Paladin Road
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密やかな書庫
それは、テリーがレイドック城の書庫に通うようになってから一週間ほど過ぎた、ある日のことだった。
「そうだ。聞いてなかったんだけどさ。」
「ん。何だよ。」
「テリーって今ドコに滞在してるんだ?」
「……はあ?」
資料を探している手を止めたエルドが不意に訊ねてきた唐突な質問に、すっかり定位置となった隅の席のテーブルで分類別に本を仕分けていたテリーが眉を顰めた。
「何だよ、突然。」
しかも今更聞くことか?と怪訝な顔をしつつも、テリーはエルドに向き直って素直に答える。
「今は、城下町の宿に連泊中。あそこ、なんかサービスが良いから気に入ってな。」
「サービス?」
「ああ。朝食がちょっと多かったり、夜食の差し入れとかあったり、あとは……そうだな、毎日新しい花が飾られてたり、とか。なんか、色々。」
「あー……うん。」
それはサービスじゃなくて贔屓っていうんだぞ――と、エルドは心の中で答える。
強さのみを求める旅を終えて、孤独から抜けた剣士。彼の中で幾つも変わったものがあるが、その上質の「格好よさ」は変わらない……どころか、磨きがかかっているようだ。
ジャンポルテの館で開催されている、かっこよさを競うベストドレッサーコンテストを思い出す。
コンテストでなかなか上位が狙えず苦戦していたエルド一行。だから、テリーが旅の仲間として加入した時は熱狂的に歓迎したものだ。
この孤高の剣士は両親のどちらに似たのか、とにかく美形だ。ちなみに彼の姉であるミレーユも美形だ。
それはさておき、丁度プラチナシリーズの装備が一式あったので、渋る剣士をとにかくおだてて出場させてみた――ら、あっという間に一位を総なめにしてくれたのは記憶に新しい。
短期間でトップに躍り出た美形の剣士は、それはそれは大いに注目され――「カリスマ剣士」「鮮麗の雷鳴」「孤高たる美」など、誰が考え付いたのか(恐らくは主催者のカルバン辺りだろうが)そういった冠詞がテリーに一時くっついて周り、それでテリーが鬱陶しがっていたのも懐かしい思い出だ。
「光のドレス有難うございました剣士サマ」などとと冗談めかして言ったら、「言葉だけの礼なんて要らねえよ王子サマ」と何故か不機嫌になってしまったので、じゃあ貴族流の礼を態度で返してみるかーと思いながら、相手を引き寄せて額、目元、頬へとキスを流し落としてみれば、それはそれで絶句されたのはこれまた良い思い出だ。
「エルド?」
「ん? ……ああ、うん。」
回想に浸りすぎて少しばかり意識を飛ばしてしまっていた。しかしエルドは平然と表情を取り繕うと、にっこり微笑んで実に滑らかに言葉を返す。
「テリーが不自由してないみたいで安心したな、って思って。」
「お前……」
テリーは自分が心配されていることに感動したらしく、少し照れた顔をする。
「まあ、現状は悪くは無いな。……物足りないこともあるけど。」
「うん?」
後半の台詞は小さな声でさり気なく呟かれたものだったが、エルドにはしっかり聞きとれた。舐めるな山育ち。
「何? 何が足りないって?」
ほんわか青年から一転、きりりとした顔になると、テリーを真っ直ぐに見て口にするのは質問では無く詰問。
「服か? それとも日用品か? あ、お金なら、旅してた時のがまだ銀行に残ってるから、それを使ってくれれば――」
「……バカ。違う。」
エルドの見当違いの台詞に、剣士は何とも言えない顔をすると、頬を掻いて溜息を吐いた。本を閉じて脇へ置くとエルドの方へ体ごと振り向き――野生動物のような動作で、一気に距離を詰めた。
「……分からないわけじゃないだろ?」
静かに相手に飛びかかった獣は、そうして彼の手をとり腰に腕を回し、言葉を繋ぐ。
「なあ。最近の俺ってさ、結構頑張ってるよな?」
至近距離。吐息のような声で囁く。
けれど、エルドは微笑みを崩さない。
「そうだな。根を詰めたりしてないか心配になるくらい、頑張ってるな。」
そう答えると、どこか艶を感じさせる動きでテリーの頬を撫で、親指の腹でその唇をなぞり返した。
「――っ!」
獣じみた瞳が、柔らかな反撃に瞬く。怯んだように息を飲んだテリーを見て、エルドは「詰めが甘いところも可愛いなあ」などと考えながら、自ら相手に体を押しつけて言葉を続ける。
「ほら。目の下に薄くクマが出来てる。勉強熱心なのはエライけど、ちゃんと睡眠はとらないとな?」
「……。」
そうして囁き返したのは、窘め。甘い睦言が返ってくるのだと期待していたらしい相手の表情が、あからさまにガッカリというか、しょんぼりとしたものになった。
きゅーん、と鳴きそうな――泣きそうな――声が聞こえたのは幻聴だろうか。
(……あ。まずい。)
間違えた、とエルドは心の中で呟く。
あえて挑発めいたことをしたのは、性急がちだった相手の思考を止める為だった。
すぐに拒絶するよりも、少々ばかりの寛容さを見せてからやんわりと制止すれば大人しくなるだろう、と思ったのだが――失敗した。
情けない顔をしてコチラを見つめている相手の姿に、理性を大きく揺さぶられてしまったのだ。
(えーと……。)
エルドは、そろりとテリーの肩越しにある窓から太陽の位置を見遣り、本日中にやらねばならない己の執務状況を頭の中で並べたてる。
未読や処理中の書類はそれなりに溜まっているし、空き時間も少ないが、アレやコレやを同時進行で片付けていけばどうにか余裕が出来る……かも?
(んー……ギリギリかな。あ、でも、急ぎの案件は片付けてるから……大丈夫だよな?)
良い顔をしない人物が約一名ばかりいるが、やることはきちんと済ませているし、仕事を完全にさぼるのではなく“少しの息抜き”をするだけなのだから、そう文句も言うまい。
ただ、幾らかの小言は食らうだろう。それも最近は、副兵士長としてではなく、小姑めいた説教になっている感じがするものを。
(……まあ、フランコには後で好物を差し入れておこう。)
自身のスケジュール管理を終了したエルドは、そこで目の前に意識を戻した。
「――。」
意外にも、テリーはエルドの言葉を大人しく待っていた。間違ったことをして、何かが台無しになるのを恐れているかのように。
お預け状態の獣。哀願する眼でじっと見つめられては、返す言葉は一つしか無いわけで。
「……俺と一緒に息抜きしようか、テリー?」
「……っ! それって、どういう――っ」
唇に軽いキスをして紡いでいる途中の言葉を奪うと、エルドは相手の胸に凭れかかって告げる。
「……分からないわけじゃないんだろう?」
「なっ……」
それは、先程テリーが口にした台詞。相手は短く息を飲み、次にパッと笑みを浮かべると、エルドに強くしがみついて笑う。
「ほんと、お前って――……、ああもう、そういう物分かりのいいとこ好きだぜ、エルド!」
キスの雨を降らせて、早速テリーが甘えてくる。それを苦笑交じりに受け入れるエルドは、視界の隅に千切れんばかりに振られている尻尾の幻を見た。
(……うん。やっぱり可愛い。)
そう考える自分は、もしかしたら重症かもしれないな、とエルドは内心で苦笑する。
Suum cuique pulchrum est.