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Paladin Road

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光の幻、影の現


それは時折よぎる不思議な映像だった。

『兄さま、こっち!』
暖かな日差しが降り注ぐ庭園の中央に、小さな少女がいた。
彼女は笑顔を浮かべ、こちらに向かって手を振っている。
『おにわのお花がさいたの。みて、ほら、こんなに!』
周囲に咲き誇る色とりどりの花。まるで自分の宝物を披露するように両手を広げて微笑む姿が、眩しい。
光差す庭。天国のような光景に眩暈に似た揺れを感じる。
『ねえ、兄さま。』
少女がくるりと振り返り、それに合わせて彼女が身につけているドレスの裾がふわりと舞った。精霊祭で巫女が身につける衣装と同じくらいに上質な造りだが、少女のドレスの方が質も仕立てもよく、どちらかというと貴族ふうに見える。

……貴族? 山道を登らないと辿り着かない僻地に?
そもそもライフコッドは取り立てて名物になるようなものは無い普通の村だ。

『兄さま。』
君は俺のことをそんな風に呼んだっけ?
少女が微笑んで呼びかけてくるたびに、違和感のような――疑視感のような――不思議な感覚に襲われる。

彼女は誰だ?
――彼女は俺の妹。早くに両親を亡くし、たった二人きりとなった俺の、大切な家族。
彼女の名前は?
――ターニア。日ごと夜ごと、可愛らしい文句を言ったりしつつも明るい笑顔で生活を照らしてくれる、可愛い妹。
その彼女が、俺を呼ぶ。

『兄さま。』
……いや、違う。
彼女はこんな風に俺を呼んだりはしない。そう認識した途端、目の前の光景がぼやけて滲み、別の光景が重なった。

城の庭園。地下の牢屋。大きな書庫。謁見の間。
どれもこれもライフコッドには無いものばかり。
ならば、この記憶は――。

『兄さま。あのね。』
ぼやけていた映像が一つに重なる。
小さな花のように可愛らしい少女が、こちらに向かって手を差し伸べて微笑んだ。

『セーラは、エルド兄さまが、だいすき。』

ああ、彼女は――俺は――……。

揺れる思い出。
靄がかっていた記憶の向こう、甘い幻を経て辿り着いた先で俺が知るのは、世界の真実と本来の自分自身――妹を失った現実と、王子という堅苦しい身分だった。
記憶が逆巻き、そこから今に至るまでのことが一気に流れていく。

『何だか雰囲気が変わったな、エルド。お前、そんなやつだったっけ?』
『王子……ですよね? いえ、何だか以前の王子とは別人のように見えまして。』

大地に空いた穴から見えるものこそが本当の世界だと知った時、自分を突き動かしたのは未知に対しての好奇心だった。兵士の試験に合格したことで、少しばかり浮かれていたのだ。
何の身分も無い青年から、大国の兵士に。羽目を外すつもりは無かったが、やや浮足立っていたのは覚えている。

初めは一人だった。次に二人になって、三人、四人……。仲間が増えるにつれて、目的が大きくなっていった。新しい世界を見ることから始まり、魔王ムドー討伐へと変わり――世界の真実を見つける旅へと変わった辺りからだったろうか。煌めくような好奇心が、自分の中から無くなっていることに気づいたのは。
どこかに居るもう一人の自分を見つけたいとも、思わなくなっていた。何度かハッサンに「もう一人の自分がドコに居るのか、気にならないのか?」と聞かれたが、その度に笑って――曖昧に誤魔化して――いた。

時々見ていていた奇妙な夢が現実の記憶であることを知ったのは、ムドーを倒して両親を夢から目覚めさせた時だ。あの時、王妃に……母上に手を握られて、貴方は私たちの息子なのだと言われたあの瞬間に、知ってしまった。……気のせいだと思いたかったものを、突き付けられてしまったのだ。
彼女の眼差し、手を握る感触。それらが、自分の中に眠っている感覚に呼び掛けていた。――深層を揺さぶる母の声として。
「両親が生きていた」――そのこと自体は喜ぶべきことだ。

けれど――ああ、けれど。

静かな山奥で妹と二人暮らしていたあの穏やかな生活が、現実では無く夢なのだと思い知らされるのは辛かった。辛すぎた。優しい村の人たちが、自分を慕う子供たちが、頼りにしてくれている村長が……妹までもが夢だったなんて。

俺の妹。俺の世界。
それらを失って得たものは、本当の自分と真実。
けれどその真実は――現実は、俺の存在を素直に迎えてはくれなかった。

それでも、俺は生きている。夢よりも居心地の悪い現実の世界で、一国の王子として――生きていくしかないのだ。それが、好奇心の果てに辿り着いた現実だからなおさら。


◇  ◇  ◇


――ふと、目が覚めた。

「ん……うん?」
額に、何かひやりとしたものが触れている。何だか分からないけれど、冷たくて気持ちがいいので自らそれに顔を擦り寄せていれば、直ぐ側から声がした。
「確認もせずに油断してんじゃねえよ。」
「むー……?」
不機嫌な声とともに、頬をつねられる。だがそれは柔らかな加減だったので、エルドは目を開けて声のしたほうを見上げた。
すぐ側に人影。窓から差し込む月明かりが逆光となっている為に、その顔は見えない。
エルドは、ぼんやりしたまま呟いた。

「……こんばんは、テリー?」
「何で疑問形なんだよ。」
眉間に皺を寄せつつもテリーが微苦笑したのは、相手が自分の名前を口にしてくれたからだ。それでも、テリーはもう一度エルドの頬を軽くつねっておいてから話しかける。
「悪いな。起こしたか。」
「うん……いや、起こしてくれてよかった。」
ふわあ、と欠伸交じりに答えてエルドは目を軽く擦る。ああ、悪夢ではないが良い夢でもなかった。ふうっと溜息に似た息を吐いてからゆっくりと上体を起こすと、ベッドの上で座り直し、手で軽く髪を整えた。
それからテリーを見上げると、ベッドの縁辺りをぽふぽふと叩きながら微笑む。
「ほら。……座って、話そう?」
「あ、ああ。」
戸惑いながらも素直に頷いて腰を下ろしたテリーに、エルドが言葉を繋ぐ。

「それで……? こんな時間に、どうした?」
「ああ……。」
声にまだ少しの眠気が混じっていたが、問いかけるエルドの目は優しい。
非常識な時間にやってきた不法侵入者に、この態度。大きな声を出されたら、とか、こんな時間に何を考えているんだ、とかそういった反応を想定した上で――けれどきっとエルドは驚かないだろうとも考えて――こうして忍び込んできたテリーだが、さすがにこれは無いだろう、という気分になった。
「あのさあ、エルド。」
「うん?」
「今の俺が言う台詞じゃないが、お前、もうちょっと警戒しろよ?」
「あはは。何だ唐突に。別に、油断してるわけじゃないんだけど。」
「嘘つけ。」
「嘘じゃないって。現に、テリーが居たのには、ちょっと驚いたし。」
嘘をつけ、とテリーはもう一度心の中でのみ言い返す。
俺より強いくせして、何が「驚いた」だ。
本当はちっとも動揺なんかしてないくせに。
柔和に微笑むエルドに内心で悪態を吐く。
王族のくせに、こんなにおっとりしていて大丈夫なのかと心配になったこともあるが、この青年には二つの人格が融合されていることをふと思い出した。

テリーは“村育ちの青年”であるエルドしか知らないが、彼に近しい者からの情報では、レイドック城の王子サマとやらは優しくて穏やかだが気弱なところがあったらしい。常に他者を思いやり、自己は控えめな青年だったという。

(その気弱な王子サマ、が今や世界一強い勇者です、とか何の冗談なんだろうな?)

「……テリー?」
じっと見つめられていることが気になったのか、エルドが心配そうに顔を覗き込んできた。下ろされた髪がテリーの目の前でさらりと揺れる。
「俺に何か用事があって来たんじゃないのか?」
薄手のナイトウェアが僅かに肌蹴ているのを直そうともせず、エルドはテリーに問いかける。無防備に顔を近づけて。睡眠を妨害されたというのに、嫌な顔もせず迎え入れてくれた人。
彼がワガママを言わなくなったのは妹が死んでからだ、というのをフランコから聞いたことを思い出す。

「……用が無かったら俺はお前に会えないのか?」
「え?」
不意に、ぎしりとベッドが沈んだ。二人分の体重を受け止めて。
唐突に押し倒されたエルドは、自分を見下ろすテリーを見上げた。だが、窓から差し込む月光が、テリーを陰に隠してしまって表情が窺えない。
両肩を押さえつける力が、少し強すぎる気がした。

「テリーは俺に会いたかった?」
穏やかな声で、エルドが訊く。
「ああ。お前が会いに来ないからな。……そんなに忙しいのかよ、王子サマってのは。」
テリーが返した最後の言葉には、棘があった。
それに対し、エルドは柔らかな苦笑を返す。
「はは。まあね。色々することが増えたから、仕方ないんだ。……そういえば、テリーも忙しいんじゃないのか?」
「俺が? ……何で、そう思うんだ?」
「だって、遅くまで書庫に居残っているのをフランコが見かけているし、最近よくデスコッドでデュランと手合せしているんだろう?」
「は――」
……なんだか今さっくりと、とんでもないことを言われた気がする。
前者の書庫に関しては、フランコがレイドックの副兵士長の立場上、エルドに報告をしたのだろうことは分かる。
しかし、後者の情報は一体どこから……。

「お前、何で手合わせのことを知ってるんだよ?」
俺、言ってないよな?と問えば、王子様は、にこりと微笑って。
「何でって、この間デュランに会いに行った時に聞いたからなんだけど?」
「会いに……って、アイツそんなこと一言も――っていうか! お前、いつそんな暇があったんだよ? 忙しいから会えないんじゃなかったのか!?」
テリーがエルドの両肩を掴み、勢い込んで叫んだ。
「うわ、あはは、テリー、ちょっと落ち着けって」
「ウルサイ! お前、なにデュランと会ってるんだよ! 時間があるんだったら俺のとこに来いよ!」
「いや、なんか一心不乱に集中してたから、邪魔になるかな、と」
「言い訳するな! なんだよ、デュランに聞くくらいなら俺に聞いた方が早いし会えるし、それに――」
テリーは強い口調で矢継ぎ早に喋るものの、夜更けなのでそれなりに声を押さえて話してくれている。
そういった気遣い自体はありがたいのだが、ぎしぎしとベッドに押し付けられている当の王子様は、苦笑顔。
痛くは無いが、ちと苦しい。
そのうち俺シーツの海に溶けちゃうんじゃないかなー……などと、ちょっぴり現実逃避しかける。
「だいいち、お前は前々からそうやって……!」
テリーの叱責は、なかなか止まない。
それどころか、日頃抱いていたらしき不満が湧いて出てきた様子。
だからお前は騙されるんだ、とか、そういうところが付け込まれやすいんだ、とかなんとか。よくよく聞けばそれらは、シエーナのバザーでおなべのフタを買ったことや、ホルス王子の試練に付き合わされたことを指しているようだった。
テリーと打ち解ける一環として話した初期の笑い話だったものが、まさかここまで心配されるものになっていようとは思いもよらず。

(なんだかんだでクールぶってるけど、テリーって”良い子”なんだよな。)
温かくなる胸中。そうして生じたほんわか気分は、エルドにある行動をとらせることになる。

「なあテリー。」
「大体お前、デュランには伝説装備一式剥がされ、て……――っ!?」
首に巻き付いてきた両手に引き寄せられるようにしてエルドに抱きしめられたテリーは、そこで言葉を失う。
ふんわりとした抱擁。肌蹴たナイトウェアから覗いた素肌が、テリーの顔に触れた。
久し振りの接触は、テリーの体温を一気に上昇させる。けれども、テリーはグッと唇を噛むと、押し殺した声で吐き捨てた。
「……これで誤魔化したつもりか? うやむやにできると思ってるんじゃないだろうな?」
低い声で、牽制する。わざと、突き放して。
そんなテリーの頭上で、くすりと笑う気配がした。
「誤魔化してなんかいないよ。俺がテリーを抱きしめたくなったから、そうしてるだけ。」
「な、……んだよソレ。」
「うん。何なんだろうな。」
テリーは抱擁から抜け出そうと身を引きかけるも、耳を押し当てているエルドの胸から聞こえる心臓の音が妙に心地よくて、どうにも突き放せず――離れがたく。
そうして動きの止まったテリーの耳に、心音に重なるようなエルドの囁きが聞こえた。

「ごめんな。俺のワガママに、もう少し付き合って?」
そう言ってエルドがテリーを緩やかに抱き込んだ。
鼻先を掠める甘い匂いに、テリーはくらりと眩暈を覚える。
流されるものか、と張っていた意地が――たやすく砕け散ったのはいうまでもない。

「お前……ズルいんだよ。」
顔を上げて相手を睨みつけたテリーの瞳に宿るのはしかし、怒りでは無く煽られた情欲の炎。
そのままにしていた両手でエルドの体を抱きしめて、にやりと笑う。
「煽った責任はキッチリとれよ、王子サマ?」
服の合わせ目から滑り込ませた手で、意味ありげにエルドの背筋をなぞりあげれば相手が吐息のような声を零す。
「っふ……明日、早いんだけど、な?」
首筋にかかる獣の熱い息を感じながら、エルドもまた手を伸ばした。そして、まだ着乱れていない相手の――けれど張りつめて窮屈そうにしている――その箇所を、かたどるような仕草でなぞりあげてやれば、主導権を握って優越に浸っていた相手が、びくりと肩を震わせた。

「おっ……前、なぁ……っ!」
短く呻いてエルドを睨み付ける獣は、耳元まで真っ赤に染まっていた。それでエルドは何かを察する。
「あ、ごめん。もしかして、もう達しちゃっ――」
「――ウルサイ黙れ!」
テリーが焦燥を誤魔化すようにエルドに唇を重ね、先に続いたであろう言葉を強引に奪った。
「っふ――」
顔の角度を変えるごとに深さを増すキスを受けながら、エルドは目を細めてテリーの背に腕を回し――……。

――回しかけたその腕が、一瞬だけ空中で止まった。

「……。」
エルドはテリーの肩越しに見える天井に少しの間、視線を留めていたが、やがて深呼吸ひとつすると、目を閉じてテリーの体を抱きしめる。掻き抱くように――縋るように。
けれどテリーは己の乾いた欲で飢えていて、抱擁の変化に気づかない。
ただ、熱を帯びて掠れた声で囁いた。

「なあエルド。俺、試験勉強頑張るから。だからさ、お前、もっと俺に会いに来いよ。そしたら俺もやる気が出るし……もっと頑張れるからさ。」
「……。」
「エルド?」
「……うん。分かった。それが、テリーの望みなら。」
再び重なる唇。
エルドが目を閉じ、布が擦れる音を聞きながら考えるのはしかし目の前のことではなく。

(お前ならきっと試験に合格するよ、テリー。)
その未来を望むなら、俺は出来る限り手を貸そう。
望みが叶った時に、彼の前で笑顔のままでいられるようにしよう。
そんな事を考えながらエルドはテリーを抱き締め、祈る。

……どうか”その時”も、笑っていられますように、と。

Quo Vadis?