Paladin Road
- 7 -
掴んだ夢、離した手
澄んだ青空が広がるレイドック城。その中庭から、剣と剣のぶつかり合う音が聞こえていた。
風のように舞う身体。
揺れ、揺られてたなびく髪。
剣は刃を潰した模擬刀だが、彼らの目は真剣そのもの。互いの隙を探し、剣を突き出し、この戦いに決着をつける為の一撃を決めようとしていた。
じりじりと続く膠着。手にした剣から視線を外すことなく、突破口を探す。
「……っ!」
不意に、青年が地面を蹴って一気に距離を詰めてきた。
「くぅっ!」
横薙ぎ、斬り上げ、刺突。目にも止まらぬ連撃は、相手の防御を崩していく。稲妻を思わせる激しい撃閃を前に、男は次第に後退していき、青年は徐々に進撃する。
剣閃は更に速さを増していき、やがて男の目では追えなくなった。
男の視線が一瞬、剣から逸れてしまう。
「はっ、早……っ!」
「――そこまで!」
気づけば、喉元に切っ先が突き付けられていた。
決着が付いたことを示す制止の合図を受けて、青年がにやりと笑う。
「俺の勝ちだな……フランコ副兵士長?」
青年テリーの言葉を受けて、フランコが額を伝う汗もそのままに苦笑した。
「ふう。この状況では認めざるをえないだろう。……ああ。貴殿の勝ちだ、テリー殿。」
晴れやかな蒼天。勝者を祝う鐘が鳴った。
◇ ◇ ◇
「最終試練にも合格した、か。」
城の上階。窓辺から試合の様子を見守っていた青年が、溜息のような声を零した。
彼の王子様、窓にその身を凭れさせると気怠げに前髪を掻き上げて呟く。
「おめでとう、テリー。」
口にしたのは賛辞の言葉。だが太陽を思わせる表情はそこになく、どこか陰鬱な眼差しが眼下に映る光景を眺めていた。
その時、兵士の一人――あれはフランコだろう――が、テリーに近づいて何か言った。
真剣な顔をして頷くテリー。試験の合格と、これからの予定を話しているのだろう。
次に別の兵士がやってきて、テリーに何かを話すと、そのまま兵舎の方へと歩いていった。
儀式は、着々と進んでいる。
……進んでいく。テリーの新しい道が。
「……おめでとう。これで、俺も決めなきゃならなくなったよ。」
エルドは両手で自分の体を抱きしめ、薄い笑みを浮かべた。机の上、その隅には、執務の書類とは別に分けられた封書がある。中は既に既読済みで、あとはサインして送り返せばいいだけだった。
「……努力したんだな、テリーは。」
猶予はあった。だからエルドは”期限”が来るまでじっくりと考えて答えを出そうと思っていた。
けれど、思いのほか早くにテリーは試験を受け、合格した。
勿論、彼の実力を見くびっていたとか、落ちれば良かった、などとは考えていない。今回エルドは少しばかりの助成をしたが、それだけで受かるほど兵士の試験は甘くない。なにせ一般の警護とは違い、守る相手は一国の主。故に、その能力はかなり高くなくてはならない。
しかも、今回テリーが受けたのは兵士ではなく聖騎士――パラディンだった。
王子の右腕となる高位の職。
この騎士を側に置くことが出来ると、認められるようになる――名実ともに、真の後継者として。
彼の騎士の存在が、エルドにとって王たりうる者の証となり……ああ、これで”認められて”しまった。
「お前の為だ」と言って、一生懸命だったテリー。必ず聖騎士になってみせると約束した青年は、そうして見事、夢を実現させた。
「凄いよ、テリー。本当に、偉い。」
彼はきっといい聖騎士になるだろう。剣の腕を磨き、知識を積み、そして高位の地位を手にいれた剣士。
もう誰も彼に文句は言わない。……言えやしない。なにせ彼は、己の上司もしくは同僚になるのだから。
フランコは、どういう心境でいるだろう。試験後の様子を見る分では友好的に会話をかわしていたようなので、仲良くやってくれるだろうが。
「副隊長と王子の側近が共闘する関係、か。」
……ああ、悪くない響きだ。
テリーに仲間が増える。
独りだった彼の日常が変わる。明るいものに。
「……。」
エルドは封書を手に取ると、目を閉じて天井を仰いだ。
テリーは変わり始めている。彼の未来は、これから色鮮やかなものになるのだろう。鮮やかな未来が、彼を待っていてくれている。
「……うん。」
目を開けるエルド。小さく頷いて封筒を開けると、中の書類を取り出した。そして机上のペンを手に取り、サインする欄に自分の名前を、ゆっくりと書き落としていく。
E・L・D・O・R……その名を、最後まで書き終えた時だった。
廊下、控えめながらも駆ける音がして。
「――エルド! やったぜ! 俺、合格した!」
ノックも無しに部屋に飛び込んできたのは、青い稲妻。全身に喜色を浮かべて駆け寄ってきたテリーを、エルドは片手で受け止めて微笑む。
「ああ、そこから見てたよ。……頑張ったな、テリー。」
そう告げて、テリーの頭を撫でつつ、もう片方の手で器用に書類を折って、封筒へしまい込む。指先で、そっと隅に寄せたところで、不意に、ふわりと体が浮いた。
「ん、……っと。」
床から足が離れる。テリーがエルドの足を抱え、机の上へと体を持ち上げたのだ。
そうして机上に乗り上げた体に圧し掛かってきたのは、騎士になったばかりの青年。高潔な精神にそぐわない表情を浮かべると、顔を近づけてエルドに囁く。
「これからは俺がお前を守るんだぜ、王子サマ。」
「そうなるな、聖騎士殿。」
「……それだけ、か?」
「うん? だって、まだ”全部”が済んだわけじゃないだろう?」
テリーは試験に合格したが、叙任式を終えない限りはまだ仮の身分である。
不満げな騎士サマ(仮)にその事実を言外に匂わしてやれば、喜色から一転、ムッとした顔になる。
「俺、頑張ったんだぜ? ご褒美は?」
鼻先を擦りつけるようにしてエルドの首筋に顔を埋めつつ、テリーが押し殺した声で懇願する。
「うーん。」と、エルドは天井を仰いで苦笑した。
褒美も何も、試験期間前の数日間には「ヤル気が上昇するから」と、毎晩部屋に押しかけてきたし、試験前夜――つまりは昨日だが――に至っては、「俺に幸運を分けてくれよ、王子様」と、やって来たので、仕方ないなと洗礼のキスを一つしたら「分け足りない」と言ってコチラをベッドに遠慮なく押し倒したのは誰だったんだ、と言いたくなる。
あれだけ強請っておいて、どの口で褒美を欲しがるのかこの剣士サマ……いや聖騎士サマ(仮)は。
「毎日会っていたのに欲張りだな、テリーは。」
「当たり前だろ。」
首筋に感じる息が熱い。それでも、暴走せずにきちんとエルドの返事を待っている辺り、いじらしい……と、思わなくも無い、か?
抱き込むように後頭部に手を添え、その髪を梳き梳かしてやれば、腕の中にいる相手が焦れたように言う。
「お前にはずっと触れていたいんだ。それこそ、一日中抱いていたいんだぜ。」
そう言って、首筋に噛みつくようなキスを仕掛けてきた。
エルドの足の間に割って入るように自分の体を滑り込ませ、腰を強く押し付ける。
「なあ……いいだろ?」
掠れた声で催促されるのは、返答。了承以外は望まない――許さないといった声で、青年は答えを促す。
強気なのは、聖騎士という身分を手に入れた為か。
「……いいんだよな、エル――?」
それでも、コチラを見上げたその目は不安げに揺れていて。
エルドは苦笑を噛み殺すと、ご褒美を前に大人しく待っているテリーを抱きしめて応えてやる。
「いいよ。あげる。」
「――っ!」
子供のように笑う無邪気な彼の姿を目に焼き付けておいてから、エルドは、そっと顔を逸らす。
彼の視線の端には、返事を書いた封書が一つ。テリーの叙任式が終わるのと同時にアレを出しておこう、と決めて、エルドは目を閉じた。
閉ざした視界、聞こえるのはテリーの声と布ずれの音。
熱い手が服の下に潜り込んでくるのを感じながら、「これでいいんだ」と心の中で呟いた。
Omnia vanitas.