Paladin Road
- 9 -
迷い彷徨い移ろうもの
レイドック王子に聖騎士が付き添うようになってから、半月が過ぎた。
当初、彼の騎士は外部からの人間というのもあって、異端の目を向けられたり出自の怪しい噂を立てられたりしたが、それも今は昔。彼の騎士は、その職名が示す通りの活躍を見せてその悪評をあっという間に払拭してしまった。
王子の盾となり剣となりて雷鳴の如く煌めく立ち振る舞いでもって城の者たちを感嘆させ、畏敬のヴェールで魅了し、今では王子専属に相応しき者としての地位を確立するに至った彼の騎士に――テリーに、文句を言う輩は誰も居ない。王子の執務部屋に足を踏み入れても、偶然を装って監視役みたいな顔をした兵士が訪れるようなこともなくなった。
正々堂々と二人きりになれる時間を手にしたテリーは、そうして今日も王子のいる執務室へと足を運ぶ。
部屋に入る前は、聖騎士然とした雰囲気を漂わせて。
中へ入ってドアを閉めてからは、主人に駆け寄る獣のような態度で。
◇ ◇ ◇
「エルド、今日は午後から城下の視察があるぜ。忘れてないだろうな?」
「ああ、覚えているよ。教えてくれてありがとう、テリー。」
「ん。」
傍らに付き添って、主人に予定を報告するのは聖騎士。貴公子を守る高潔な騎士……なのだが、その口調は砕けており態度は親しさみが強い。
それには、部屋には彼ら二人きりしかいない、ということに原因があるだろう。
他者がいないので、聖騎士はこうも気軽に主君に話しかけているのだ。
もっとも、咎めない王子にも少々の責任があるのだが。
「それ、何の書類なんだ?」
エルドの肩越しから仕事の様子を眺めていたテリーが、ふと質問を投げてきた。
書く手を止めず、そのままの状態からエルドは答える。
「これ? 式典に関するちょっとした指示書だよ。」
「……式典? ……ああ。そういえば、フランコがそれで何か言ってきてたな。」
「――そう。」
書類の上で動いていた手が、止まる。視線を落としたまま、エルドが言った。
「……フランコは、なんだって?」
「んーと……警備の強化と、人員を増加するっていう相談。ほら、俺、聖騎士になっただろ? 王子付の初任務ってことで、警備主任になってさ。」
「……ああ。」
止まっていた手が、動き出す。
エルドから張りつめた気配が去ったことに、テリーは気づかない。彼の王子様がそんな騎士殿を一瞥し、己が見せた強張りを悟られていないことを確かめると穏やかな声で言葉を繋いだ。
「なら、これからテリーは忙しくなるな。」
「まあな。でも――」
背後からするりと絡んできた腕がエルドを引き寄せ、耳元で声が囁く。
「――こうやって、お前に触れられる時間は作るつもりだぜ?」
耳から頬、そして首筋に、テリーが流れるようなキスを落とす。
「……っふ」
エサを啄ばむ鳥を思わせる、その接触。テリーの吐息が、髪が、肌を掠めるので、エルドは堪らず身を捩らせる。
「ん――……こーら。くすぐったいだろ。」
聖騎士らしからぬ彼の頭を軽く叩き、とうとう王子様が抗議する。
「じゃれつくのは、そこまでだ。そ・れ・と……」
不埒な輩のその頬に手を当てて引き寄せると、相手を間近で見据えて一言。
「……まだ執務中だぞ、テリー卿。」
至近距離から告げるのは、主君の声。
テリーが目を細め、動きを止める。
「そうだな。」
不敵な笑みを浮かべると素直にエルドから離れ、それから掬い上げるような仕草で彼の手を取ると、視線を合わせて言い返す。
「失礼致しました、マイロード。」
そうして“主君”の手甲、爪先に口づけを落として、聖騎士は恭しく頭を垂れた。
「……っ。」
華麗に恭順の形をとってみせた彼の青年を見て、エルドは一瞬、息を飲む。
「――。」
けれども、すぐに何もなかったような顔をすると、いつもの笑みを浮かべて――どこか強張った声で――テリーの所作に合わせた声で答えた。
「……ああ。特別に許そう。……仕事に戻ろうか、テリー?」
後半は、柔らかな青年の声で。
顔を上げたテリーが、笑って頷く。
「そうだな、もう邪魔はしない。悪かった。」
そう言って襟元を正すと、テリーは背筋を伸ばしながら壁にかかった銀縁時計を見た。
針は、もうすぐ正午に差し掛かろうとしていた。顎に手を当てて考え込むふうな顔をして、テリーが呟く。
「……じゃあ俺は、午後に出掛ける準備でもしておくか。」
「準備? 今回は遠征じゃないから、荷物は必要ない筈だけど?」
きょとんとした顔の王子様に対し、聖騎士は少しばかり得意げな顔をして言い返した。
「俺がするのは、荷造りじゃなくて警備状況の確認だ。怪しい奴が入り込んでいないか、見ておかないとな。」
「はは。そんな、怪しい奴なんて」
「絶対いない、なんて言いきれないだろ? 前はどうだったか知らないが、今のお前は王族なんだぜ。用心するに越したことはないだろうが。」
それでも、「大げさだな」とエルドが笑う。それは“王宮育ちの王子様”ではなく、“山奥の村の青年”としての反応だった。別に用心していないわけではないのだが、魔王やらその四天王、果ては大魔王と生死を掛けた戦いを繰り広げたせいか、“人間”相手なら自分でどうにか対処できる、と甘い判断になってしまっているのだ。
まあ、流石にヒト離れしすぎた特技などは、デスタムーアを倒して夢と現実が完全に分離した時に、ゼニス王によって封印してもらったので、かつての戦闘能力は無くなっているのだが。
それでも余程の手練れでもないと負ける気がしないのは、キラーマジンガ系で痛い目に遭ってきたせいだろう。
(アイツには苦戦させられたなー。早いし強いし連撃だったし。……アレに比べると、盗賊とかそこらへんの荒くれなんかは生温いしなあ。)
毎回そんな気持ちを抱いてしまうので、エルドは護衛に関する忠告をいまいち深刻に考えられない。
悪い癖だ。
けれども、テリーの仕事に水を差す発言を続けるのも良くないな、と思い直すと、厳しい顔をしている相手にほんわかな笑顔を向けて口を開いた。
「分かった。聖騎士様の言うとおりにするよ。なるべく気を付ける。」
「……なるべく?」
「うん。だって、俺が常に万全の警戒態勢でいたら、テリーが活躍出来ないだろう?」
「……っ! ……、お前、馬鹿だろ。」
テリーは咎めるようにエルドを睨み付けるのだが、その顔が驚きと喜びで赤くなってしまっていて、いまいち迫力がない。彼は片手で髪をガシガシと掻くと、そっぽを向いて会話を続けた。
「――っ、とにかく! 不審者がいないか見回ってくるから、俺が戻ってくるまでにはお前も着替えて準備しとけよ。」
「ああ。待ってる。」
「じゃあ、また後でな王子サマ。」
ぶっきらぼうに言って部屋から出て行こうとするテリーだったが、不意に踵を返すとエルドの元に戻ってきた。エルドが首を傾げる。
「ん? まだ何か注意事項でも?」
「いや、忘れ物――」
言うなり、さっとエルドの唇を奪ってその表面をひと舐めすると、意気揚々と部屋から出て行った。廊下に、騎士らしい足音を響かせて。
「全く。不純行為の多い聖騎士様だ。」
微かに濡れた唇を指先でなぞって、エルドは笑う。
ここ最近のテリーは、甘えることが多くなった。側に居る時間は増えたものの、二人きりの時間が減ってしまったからだろう。それぞれの仕事が増え、時間の調整が付きにくくなっているからだ。
だからこそ、二人きりになった途端に甘えてくるのだろう。
聖騎士の仮面を外して、じゃれついてくるのだろう。
離れたものを埋めるように。――埋めて、離れてしまわないように。
「……。」
エルドは、机上の隅に隠すように置いている封筒に視線を向けた。だいぶ前に返した封書が、再び新しい手紙を携えてやって来たのだ。
文面の出だしは形式ばった貴族的な挨拶から始まっていたものの、中身はエルドが想像した以上に友好的なもので溢れていた。それでエルドは、意外と自分は嫌われていないらしい、と知る。
(俺、いまだに王子っぽくないんだけど……いいのかな。)
弱々しい笑みを浮かべ、そんなことを心の中で呟く。
(それとも……あの子がフォローしてくれたかな?)
エルドは封書に手を伸ばすと、何気なくひらりと裏返した。封緘に使われているのは蝋印で、とある王家の紋章が刻まれている。
王族の名は――ホルストック。その出会いは、幻と現実の世界を行き来して旅をしていた時にできたものだ。
情報を得る為に立ち寄った成り行きで、そこの王家の一人息子――ホルス王子の洗礼試練に付き合わされたのは良い思い出だ。……しかし、苦労した割には碌な情報が得られなかった、という結果が待ち受けていたが今はもう気にすまい。
ホルス王子。
無事に試練を成功させたことによって、ワガママ王子を卒業した少年の姿を思い出す。
エルドより二歳年下の彼は、試練に協力した人員の中でも、特にエルドに強い好意を抱いた。
途中で愛想を尽かさず、なんとも根気よく、時々は柔らかに叱りつけて励ましてくれた、旅の青年。彼にしてみれば、ホルスは村の子供やランドを見ているような感じであり、いつものように“おかんに近いお兄ちゃん”気質でもってして対応しただけに過ぎなかったのだが、それがホルスには殊更嬉しかったようだ。
仲間曰く――「あの時のお前は母親みたいだったぜ」「母親でしたね」「お母さんみたいだったよ」「エルドはきっといい母親になるわ」などなど。褒められているのかどうかよく分からない賛辞を仲間から頂戴したのもいい思い出かもしれない。「?」と疑問符をつけたくなるが。
そのホルス王子だが、彼は世界に平和が訪れた後に、エルドにたびたび手紙を――いつでも遊びにきてくれて構わないからな!という誘いを――寄越してきていた。
それはともかく、エルドがレイドック城の王子だということは、どこかで伝わったのだろう。手紙はレイドック城に届き、それから徐々に交流をするようになった。
初めは、通りすがりの旅人と王子様の些細な交流だった。それが今や王族同士の社交となって――些細なもの、とはすっかり言えないものとなっていて。
そうして……道が出来た。エルドの道が。
村の青年ではなく、レイドックの王子としての未来が。
「俺は本当の王子サマじゃないのにな?」
エルドは、口元に薄い――水に張った薄氷のような危うさを秘めた――笑みを浮かべる。
それは何に向けての笑いだろう。
彼は何を笑っているのだろう。
王子様になりきれていない彼に気づかない城の人々か、目先のものに捕らわれている騎士殿か、それとも――。
そんな彼らを憐れだと笑うくせに、自らは偽りの幸せのみを夢見ている青年か。
「テリーは、俺の為に聖騎士になってくれた。だったら、俺がすべきことは一つだ。」
聖騎士の名を口にして、自分か犯している罪への言い訳にする。
幸せな日々の上に重ねていく、嘘。
重ねて塗り潰していくのは、罪。
積み上げられたのは、もはや取り返しのつかない現実。
「俺は完璧な王子じゃない。完全な王族にもなれなかった……でも。」
エルドは、テリーの言葉を思い出す。
『今のお前は王子サマなんだぜ。自覚しろよな。』
彼の騎士は、そう言ってくれたではないか。
だから、先程に手の甲に落とされた敬愛のキスには胸をつかれた――心の奥が軋むくらいに強く突かれてしまった。
テリーは単に、自分が身につけた騎士の礼節を披露したかっただけなのかもしれない。そこに意図は無いだろう。素直に気持ちを伝えただけに過ぎない行動は、しかし、知らぬうちにエルドの背中を押していた。
エルドは、キスの落ちた右手の甲を、もう片方の手でぎゅっと握りしめる。
俺はもう迷わない。――心の中で、そう呟いた時だった。
廊下より、足音。
近づいてくる人の気配。
やがて、ノックの音が一つ、二つ。
「おい、準備は出来て――……おりますでしょうか、王子?」
途中から敬語が混じったのは、誰かが側を通りがかったせいだろう。二人きりでない時は聖騎士の仮面を被るから大丈夫だと、彼は自らが言ったことをきちんと守っているようだ。
部屋の中、エルドは苦笑してドア越しに答えを返す。
「ああ。いま行く。」
そうしてクローゼットを開けて豪奢なマント――今では常用となった外出着――を手に取ると、聖騎士が待つ扉の向こうへと歩きだした。
王族の道を思わせる緋色の絨毯を踏みしめながら、エルドはこれから進む自分の未来を想像し――途中でその映像を消し去り――外套を羽織って、ドアの前に立つ。
このドアを開ければ、聖騎士が居るだろう。待ち焦がれた顔をして。共に歩めることが誇りであるような姿勢で、部屋から出てくる王子を待っている。胸元の装飾の留め金を留めて目元を片手で覆うと、エルドはふうと息を吐いた。
さあ、彼に迎えられよう。レイドック城の王子として。
ドアノブに手を掛けてゆっくりと開けば、そこには想像していた通りの表情をした聖騎士殿が立っていた。
「すまない。待たせたな。」
王子の声でそう言えば、聖騎士は虚を突かれたといったように目を丸くしたが、特に気にしなかったようで、自分の胸に手を当てて頭を垂れ、彼の言葉に応じてみせた。
「いいえ。貴方を待つことも我が喜びです、マイロード。……では、参りましょうか。」
恭しい仕草で傍らに立つと、彼が纏っている緋色のマントを片手で救い上げて静かな口づけを落とした。
そして顔を上げると、エルドを見てニッと笑う。
麗しの剣盾。王子に忠誠を誓った聖騎士は得意げな子供の顔をしていて、その瞳を純粋な慈愛で輝かせている。
エルドは口元に僅かな笑みを浮かべると、テリーの頭を撫でようと手を伸ばしかけ……力無く下ろした。
テリーが、「?」といった顔をしたが、彼が口を開いて何か言う前にエルドがその肩を叩いて言葉を攫う。
「……行こうか、テリー卿。」
そう告げてマントを翻し、エルドは廊下を歩き出した。テリーは目を瞬かせてその場に立ち尽くしていたが、やがて我に返ると、やや遅れて彼の後に続く。時々何か言いたげな眼差しを向けていたが、エルドは前方に真っ直ぐ視線を向けて、気づかない振りをした。
Labitur occulte fallitque volubilis aetas.