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Paladin Road

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偽り繕い綻びたもの


そよぐ風に、焦げた葉の匂いが微かに混じり始めている。
色づいた木々の葉。魚の鱗を感じさせるような雲模様。
もう少しで季節が一周するんだな、とそんなことを考えながら、エルドは持ち上げたカップに口をつけた。
口内に広がる香りの良い紅茶の味。少し感じる独特の苦味も、追加されたミルクでまろやかになっているので、非常に美味しい。
良い葉を使ってくれているなあ、と紅茶の味を堪能しつつ、エルドは対面に視線を向ける。すると、そこには渋い顔をして紅茶を飲んでいる主賓がいた。
相手はまだ紅茶が苦く感じるらしく、ミルクを注ぎ足している。そんなカップの中はすっかり乳白色となっていて、紅茶の影が無くなりかけていた。……というか、ほぼミルクになっているんじゃないかというくらいに白い。
エルドは苦笑して、声を掛ける。

「ハチミツか砂糖を貰ってこようか?」
そう声を掛ければ、相手がハッとしたように顔を上げた。
「なっ、……ひ、必要ないぞ! これくらい飲める! なんたって、オレはもう王子なんだからな!」
言い訳のような台詞を吐いてカップを傾け、紅茶を一気に飲もうとした。……が、中身はまだそれなりに熱くて。
エルドが止めようと腰を浮かしかけるも、遅かった。

「ぶはっ」と、それを口から噴き出して盛大にむせるは、この国の王子様。それでも、吐き出す瞬間に顔をテラス側へ向けたので、被害は庭の草木のみで済んだところは褒めるべきか。あとで庭師に謝っておこう。
エルドは席を立って相手の側に近づくと、その背を軽く叩きながら話しかけた。
「ああ、もう。人には、それぞれ好みがあるんだ。だから、砂糖を入れても別におかしくはないんだよ――ホルス。」
そう言ってやれば、王子様が――ホルスが顔を上げて、エルドを見た。
「そ、そうなのか?」
「うん。」
「でも、お前は……げほっ。ミ、ミルクだけしか入れなかったじゃないか。」
「俺には、これくらいで丁度いいから。」
「じゃあオレも入れないで――」
「――でも、ハチミツか砂糖を入れても美味しいよな?」
相手が張ろうとする意地を、にっこり笑顔と優しい声で剥がす。
「で、でも、王子はそんな甘ったるいこと」
「そう? 俺は好きだけど。ホルスは嫌いなのか?」
「お、オレは」
背中を撫でる手。あやすような声音。
砂糖を思わせる甘い微笑みなど見せられては、嫌いとは言えない。

――嫌いになど、なるわけがなく。

「……好きだ。」
とうとう素直に答えれば、エルドが笑って頷く。
「うん。じゃあ、用意してもらおうか。――すみません。新しいティーセットをお願いします。それと、砂糖も追加で。」
側に置いてあったベルを鳴らして部屋の外に待機していた給仕人にそう伝えると、エルドはホルスの背中を擦りながら、支度が出来るまでソファに座っていようか?と部屋の中へと戻るのだった。


◇  ◇  ◇


「……うん。うまい。流石は我が国産種だ。きっとレイドックのよりも美味いぞ。お前もそう思うだろう、エルド?」
綺麗なったテラスで再び始まるティータイム。砂糖を入れて飲みやすくなったのが嬉しいのか、ホルスの顔は喜色満面。それを見て、エルドもゆるりと微笑む。
「あはは。どうだろう。うん、でも本当に美味しい。」
ホルスの自慢に、けれどエルドは張り合わず、ただ柔らかに受け流す。嫌な顔をせずに相槌を打ち、茶請けのクッキーをひと齧り。
泰然としたその態度に、ホルスはカップを置いた。そして胸の前で両腕を組むと、ほうと息を吐きつつ、しみじみと言う。

「お前って本当に王族だったんだなあ。」
「うん? 今更、なに?」
「だってさー。試練の時は、通りすがりの旅人だったじゃないか。」
「ああ……。まあ、会った当初は確かに庶民だったよね、俺。」
「……はーあ。」
その答えに、ホルスは溜息を吐いた。エルドが不思議そうに首を傾げる。
「残念そうだな? ……俺みたいなのが同じ王子でガッカリした?」
エルドが自嘲めいた言葉を返せば、ホルスがチラと視線を向けて、首を振った。
「そんなんじゃない。……そうじゃなくて」ホルスは口元に手を当て、ごもごもと何かを口籠る。
顔色が悪い……というか、赤い?
「ホルス? どこか――」
具合でも悪いのか、と、エルドが相手に手を伸ばした時だった。

不意に、その手を掴まれた。
ホルスは俯けていた顔を上げると、エルドを見つめて口を開く。

「お前にはオレの聖騎士になってほしかったんだ。」
エルドの手を握りしめてそう言った年下の少年は、けれどどこか大人びた声で――子供のワガママじみた願いを――告げた。
「……ホルス。」
風が、二人の間を吹きぬける。
エルドは突然のことに、しばし呆然としたままホルスに手を握られていた。


◇  ◇  ◇


「……。」
その庭の木陰に影が一つ。木に寄り添うようにしてテラスを見上げる一人の男がそこに居た。
腕に魔法石のついた腕章をつけ、夜更けを思わせる深い青の制服に身を包んだその恰好が示すのは、高位職である聖騎士の身分。腰元に銀の鞘が美しい剣を下げているが、その煌めきに反して彼の瞳は昏い色を帯びていた。
彼の視線の先には、見つめ合ったまま動かない王族が二人。その重ねられた手を鋭い瞳で凝視しながら、騎士は低い声で呟いた。

「……そういうことか。」
深い地の底に滴り落ちる血を想像させるほどに、ぞっとする声だった。彼の腕章についている石には魔除けと守護の効果があるが、今その輝きはどことなく鈍い。

このところ、会えない日が続いていた。
近々開かれる式典の準備だとか警備状況の確認だとかで立て込んでいたから、それを早く片付けて会いに行こうと働いていた。とにかくがむしゃらに、必死になって仕事に集中して、一つずつ片付けていって――それで思ったより早く片付いたから、急いで駆け付けたのに。
それなのに、彼は部屋に居なかった。
代わりに見つけたのは、一枚の封書。机の上に置かれた本の間に、しおり代わりのように挟まれていたソレが何となく気になった。
なので、エルドの了解も得ないまま、勝手に中身を開けた。……盗み見は悪いことだと自覚はあったが、まるで隠すようにしてソコにあったので妙に気になってしまったのだ。

敬称付きでエルドの本名が書かれたそれは妙に礼儀正しい文面から始まっていた。簡単な季節の挨拶の後、何処かの家名付きで女性の名前が出てきて、――次に続いた文章を目にした瞬間、テリーは息を飲む。
長々と格式ばった文面ではあったが、要約するとそれはエルドの婚約に関することだった。
エルドは王族で、当然ながら後継ぎが必要になる。
それは彼の身分上、必然的に避けられないことであり、テリーもそれなりの覚悟はしていた。
しかし、真にテリーを失意の底へ突き落したのは、最後の方に書かれていたものだった。

『ようやく条件を満たされたと聞きました。これで長らく中断されていた儀式を行うことが――』
「条件? 一体なにが――」
何が原因で、進んでいなかった? ――何をしてしまった為に、婚約が成立した?
テリーは咄嗟に本棚に駆け寄り、王族のしきたりについて書かれている書物を見つけ出すと該当するページを開いた。
そして、愕然とする。

レイドック王家の者 近侍として聖騎士を置くは誉とし 妻を娶り真正なる継承の儀へと進むこと許される

「……、原因は……俺、か?」
読まなければよかった、と後悔した。この世の全てを恨みたくなるくらいに。
かつて彼の足元に跪いて誓った忠誠が、奉げた想いが、色褪せていく。
その日はどこまでも空が澄んでいて、太陽がまるで祝福するかのように綺麗に輝いていて。
新しい未来が拓けた気がした。
愛しい世界を手に入れた気分だった。
けれども、そうして見えていたものは幻で、甘い日々は束の間の夢だったのだと思い知らされたのは、それらが取り戻せなくなった状況になってからだった。
途方に暮れた聖騎士を置き去りにして、テラス上の二人は穏やかに見つめ合っている。
その時、ふと片方が腰を上げたと思ったら、相手の――エルドの額に、軽くキスをした。
額へのキスは友情。
けれど今のテリーにはその意味は汲み取れず、ただただ闇へ叩き落とす一撃となっただけ。

「――っ。」
ぐしゃり、と何かが潰れる音がした。
それは聖騎士が――テリーが掴んでいた封書が握り潰された音か、それとも、その心が砕けた音か。
テリーは何か言おうと口を開きかけたが、結局は噤んでしまうと、テラスに背を向けてその場から立ち去った。
迎えにきた主君を抱えず、代わりに冷たい絶望と凍えるような憎悪をその身に抱えて、ふらりと……どこか、彼方へ。

Peior odio amoris simulatio.