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Paladin Road

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落ちる揺籃歌


「フランコ、もうココでいいから下ろしてくれ。」
「はは。そう遠慮なさらずとも。御寝所までお運び致しますよ、王子。」
「……っ、フランコッ!」
「ははは。」
副兵士長に抱きかかえられて進んだ、深夜の廊下。エルドの足が地についたのは、自室の前に辿り着いてからだった。
軽口を叩いたフランコを、赤みの残る瞳で睨んでおいてから床の上に降り立つも、それでも「運んでくれてありがとう」と、エルドは礼を忘れない。
礼儀正しい王子にフランコの眼差しがますます温かいものになるが、相手は背を向けている為に気づかなかった。
ドアの前に立ったエルドだったが、部屋に入ろうとドアノブに手を掛けたところで不意に動きを止める。

(……あれ?)
ドアが抵抗なく開いてしまった。エルドは目を丸くすると、一端ドアを閉めてしまう。
それから、首を傾げた。
(俺、鍵は……かけた、よな……?)
過去にゲバンと色々あった為に、私室を空きにする際は施錠するようにしていた筈だが――?
確かに閉めたと思っていたのは昨日の記憶だったのだろうか?
いつもより疲れているせいか、今日はどうもぼんやりしていてあやふやだ。

「王子? どうかされましたか。」
ドアを閉め直し、部屋の前で立ち止まってしまっているエルドは、さぞ不思議に見えたことだろう。フランコが側に立ち、心配そうに声を掛けてきたのでエルドは苦笑を浮かべて首を振る。
「ああ、いや……少し、考え事を……ね。」
「何か気になることでも?」
「う、ん……大したことじゃない。やりかけていた仕事、どうなったかなあって。」
鍵のことについて訊ねようと思ったが、単なる自分の不注意かもしれないと思ったので止め、別の話題を持ち出して話を擦り返えた。
一応、嘘ではないのだから許されるだろう。――そう考えたエルドだったが、しかしフランコは眉間に皺を寄せた。
「仕事熱心なのは宜しいことですが、ご無理をしてまでなさるのは許可しかねます。そこまで緊急に片付けなければならないものは、無かった筈ですが?」
「え? あ、ああ……う、ん……まあ、そうなんだけど。」
「解っておられるのならば、何故?」
「いや、あの……ええ……と。」
曖昧に逸らした話が、難しくなって返ってきた。
話題に「仕事」を選択したのは間違いだったようだ。フランコの口調には問い詰めるような調子が混じっていて、エルドの脳裏に子供の頃の懐かしい記憶が浮かぶ。

そういえばトムに対して嘘を吐くと、それを真剣に受け止められてしまい、逆にややこしくなって返って来たことがよくよくあった。
仮病を使ったりした日には、それこそ主治医を呼ばれてベッドに軟禁されたりするので、トムには下手な嘘が吐けなかったことを思い出す。
けれども、「猫が教本を咥えて持って行ってしまったから勉強が出来なかった」とか「いつも使う剣が見つからなかったから探すのに時間が掛かった」などといった他愛ない嘘にはそこまでの反応は無かったので、いま思うとアレは本当に心配になる嘘に対してのトムなりの教育だったのだろう。嘘の良し悪しを教える為に。

そんなトムの背中を追いかけていたフランコは、見事に追いついたらしい。
真正面から真剣な顔で問われたエルドは、微苦笑ぎみに後退りつつ答えた。
「あ、あの――ほら、式典までもうすぐだろう? だから、いっそう王族らしく頑張らないとな、って思ってさ。」
「王子は日頃から、常に己を研磨しているではありませんか。……頑張りすぎですよ。」
「そう……かな? まだ全然足りていないと思――」
「――足りています。充分です。本日は何も考えずにお休み下さい。」
「わ、分かった。」
言い掛けた言葉を途中で遮られ、逆に畳みかけられた王子様はその気迫に押されてコクコクと頷いて引き下がる。
否定しても説教が長引くだけだ。ここは大人しく従っておこう。
「じゃあ、フランコの言う通りにもう寝るよ。」
そう言って、ドアノブに手を掛けた時だった。

「ああ、王子。」
「うん――?」
呼び止められて振り向いたエルドの目の前に、フランコが立った。彼は微笑みながらエルドの額に手を伸ばすと、その前髪をそっと掻き上げて――。

羽が落ちるようなキスを、一つ。

「フ、フランコッ!?」
ぎくりとした声を出して、エルドが大きく後退する。フランコは笑みを崩さず、くすくすと笑いながら言った。
「健やかに眠れるおまじない、ですよ。よくトム兵士長にねだっていたでしょう?」
「あ、あれは、子供の時の話じゃないか!」
「そうでしたか。……では、添い寝も必要では無い?」
「な、無いよ!」
「そうですか。それはとても――残念です。」
「もう……フランコ兄ッ!」
エルドの口から出たのは、昔の愛称。
懐かしい言葉に、フランコの相好が大きく崩れた。

「はははっ。冗談だよ――エルド。」
愉快気に笑うは副兵士長ではなく、旧知の仲でもある友人。
エルドはそんな“兄さま”を睨みながら額を押さえつつ、今度こそドアを開けて室内に足を踏み入れた。その背に兄さま副兵士長が投げるのは、甘い挨拶。

「では、今度こそお休みなさいませ、王子様。……おまじないの効果があるといいな、エルド。」
「~~っ……オ・ヤ・ス・ミ!」
顔を真っ赤にして、エルドはドアを閉めた。鍵を閉める時に、ドア越しから、くつくつと笑う声が聞こえたような気がしないでもないが――反応したら、負けだ。そのまま室内にて見送る。

廊下を戻る靴音。
フランコの気配が遠ざかる。

「全くもう……あの人は。」
薄暗い室内の中で、エルドは息を吐いた。
それは溜息では無く――苦笑からの吐息。

(うん。……なんか良いな、こういうの。)
幾分じゃれあい加減が過ぎていたが、悪くない気分だった。
それどころか、こうして誰かと親しげなやりとりをするのは随分と久しぶりだ。……そう昔に思うことでもないのだが。
テリーとの触れ合いが無くて、少し気が弱っているのかもしれない。
(おまじないの効果はともかく、疲れはとれたかも……なんてな。)
くすくす笑いながら入口に置いてあるランプを灯し、さて寝るか、と顔を上げた時だった。

窓際。月明かりの差し込むベッドの側に、人影が――何かが、いた。


◇  ◇  ◇


「……っ!?」
酷く驚いたのは、それに気づくまで気配が無かったからだ。
エルドは反射的にランプを掴むと、影のあるほうを照らして……更に驚く。

「……っ、テリー?」
その人影は、青白い月光を背にしてベッドに腰掛けた聖堂騎士だった。
王子の盾、その剣として忠誠を誓った、たった一人の……一人で行方を眩ませていた青年は、驚いているエルドを見て薄っすらと微笑を返した。
「こんばんは、王子サマ。」
「テリー……。」
彼の名を口にするも、エルドはしばらくその場から動かなかった。

今までドコに居た?
何をしていた?

言いたいこと、訊ねたいことはそれこそ色々あったのだが、言葉が喉の途中で貼りついているのは、暗い部屋に居たテリーの姿に気圧されるものがあったからだ。
久し振りに見るから、戸惑ってしまうのだろうか?
変に擦れ違っていたから、緊張するのだろうか?
ランプを持つエルドの手が、ゆるゆると下がっていく。
薄闇を通して、じっと見つめ合う二人の間に奇妙な沈黙が落ちた。

時を刻む時計の音が、いやに大きく聞こえる。
どれくらいの間、そうしていただろうか。
ふっ、と吐息のような笑い声がした。
「いつまでそうしているんだ?」
薄闇の中で、その声は低く、静かに響いた。

「ほら。こっちへ来いよ――王子サマ。」
エルドを見て、テリーが手招く。
穏やかな声。しかしその視線は、真っ直ぐ射抜いて。
「……。」
待ち人がやって来た。
会えて嬉しい、と思うのに……会いたかった筈なのに、その足がドアの前から動こうとしないのは、逆光になっていて彼の顔が良く見えないせいだ。

「どうした? ほら、来いよ。」
相手はベッドに腰掛けたまま動かず、エルドが近づいてくるのを待っている。
「……テリー、だよ、な?」
口をついて出たのは、疑問形の言葉。
おかしな質問をしたエルドに、相手が――テリーが、笑う。
「何だそれ。俺以外の誰に見えるんだ?」
「ああ、うん……テリー、にしか見えないんだけど、さ。」
馬鹿な質問をしたな、とエルドは自覚する。ここまで自分は疲れていたのか、と考えながらランプを持ち直すと、引きかけていた姿勢を正して、テリーの居る方へとようやく歩き始めた。

「あはは……何だろうな。会うの、久し振りだからかな。」
苦笑を混ぜながら、ベッド脇にあるサイドテーブルにランプを置いた。
小さな光が、二人の間に円を作る。それでようやく、エルドはテリーの顔を見ることが出来た。
深い海の底のような色をした瞳が暗く見えるのは、光の加減のせいだろう。
「……、えっと……おかえり。」
自分が浮かべた笑みは、強張っていないだろうか?――そんなことを考えながら、エルドはテリーに微笑む。
「戻ってきてくれたのは嬉しいんだけどさ、俺、今日は凄く疲れているみたいなんだ。」
なにせテリーとフランコを間違えたくらいだしな、と心の中でのみ呟いて、苦笑交じりに話を続ける。

「だからさ。悪いんだけど、今日のところは……」
「何もせずに帰れって?――やっと会えたのに?」
「……っ!」
それは、あっという間だった。
穏やかな、けれど微かな冷やかさを漂わせていたテリーに、唐突に腕を掴まれたエルドは強い力で引っ張られる。
回る視界。
次にエルドが認識したのは、自分を組み敷いているテリーの姿だった。彼の騎士は酷薄な笑みを浮かべ、言葉を繋ぐ。

「副兵士長殿のおまじないは受け取っておいて、俺からは何も受け取らないのは不公平じゃないか?」
「……な、」
フランコにキスをされた時はドアを閉めていた筈だが……テリーは、ドア越しに声だけを聞いていたのだろうか?
――見ていたのだろうか? ただの会話というには、どうにも近すぎた――自分の立場も身分もすっかり忘れてしまいそうになった――あの、親しすぎる光景を。

「テ、テリー! あのな、あれはフランコの悪ふざ――っ」
言い訳めいた説明を口にしかけたエルドの言葉は、唐突なキスで封じられた。
「んっ、テ……っ」
舌が口をこじ開け、生き物のように動いて口腔を蹂躙していく。
歯列をなぞり、上顎の裏を舐め上げるその技巧は、エルドの欲を確実に煽り立ててくるものでいて。
息継ぎがやっとなくらいの性急すぎるソレに、エルドは目を丸くする。

(な、んだ……これっ!?)
会わなかった日はそこまで長く無い筈なのに、そのキスは以前のものと違っていた。
巧くなっている、というよりもそれは……この感じ、は。
快楽を煽るというよりは引き摺りだされる強い刺激に、背筋がぞくりとした。何だか分からないが、これはマズイ。
「んっ……っは、ちょっ、と――」
くらくらしかける意識をギリギリの理性で繋ぎとめて相手を見上げたエルドは、そこ更に大きく目を見開くことになる。
小さなランプのみが灯る薄闇の中、一対の瞳がエルドを見据えていた。
それは氷のように冷たく、鋭く――なのに、昏い欲情に濡れていて。

「……っは――テリー、ちょっと待てっ!」
エルドはテリーの胸元に両手を当てると、やや強めに押して距離をとった。
「――。」
僅かに離れる体。テリーの動きが止まる。
はあはあと乱れた息を整えながら、王子は騎士に話しかけた。
「ひ、久し振りなのは、っ、分かる、けどっ……今日は、この辺にして、おいて……くれない、か」
本当に疲れているんだ、と言葉を付け加えながら上体を起こそうとすれば、ふ、と笑う声がした。
笑われた?
相手に視線を向けたエルドは、俯いたテリーが語るのを聞く。
「そうか……疲れてるって、言ってたな。」
「あ、うん……。ここ最近、仕事が立て込んでて、さ……」
「それで……早く、休みたい?」
「ん? うん……ご、ごめんな? 折角きてくれたのに。」
「……よく眠れるようにしてやろうか。」
「え?」
エルドが訊き返したのと、“ソレ”が動いたのは同時だった。

「え――、あ……?」
“ソレ”は真っ直ぐに突き立っていた――エルドの腹部に。


◇  ◇  ◇


「っ、な、に――っ」
激痛に顔を歪め、エルドの体は再びベッドの上に沈み込む。
テリーの手に握りこまれていたのは、小型の針。攻撃力自体は大したものではないが、一撃でモンスターの息の根を止める効果を持つ、非力ながらも強力な武器――毒針だった。

「テリ……ィ……どう、して……っ」
ずきり、ずきりと痛みが走る度に、視界が赤く明滅する。
エルドは、腹部を押さえている手の平が、じわりと温かいもので濡れるのを感じた。
急所は外れた――外してくれた?――のか、即死は免れたようだが、身体を動かそうにも既に力が入らない。
ぐるぐると視界が回るのも毒のせいか。体温が下がりはじめているのもあってか、ひどく寒くなってきた。
「う、ぁ……」
エルドは苦痛に顔を顰め、くの字型に体を折る。
「……テリ、っく……」
「……。」
刺突者に視線を向けるも応えは無い。エルドは腹部を押さえていた手を片方離すと、それをテリーの方へ差し出して再度問う。
「テリー……、な、んで、……っ」
何でこんなことを。
これは冗談なんだろう?
実はちょっとしたイタズラか何かで、仕事で疲れた俺を驚かそうとしたのか、気を紛らわせてくれようとしたのか、そういうの、で……。
「ぐっ……うぅ」
しかし問いかけたい言葉は声にならず、エルドはただただ痛みに顔を顰めて呻くしかできない。
眩む意識。
ああ、目が霞む。
濃紺のカーテンが降りてくるのを感じながらも、エルドはどうにか歯を食いしばってそれに耐え、テリーと言葉を交わそうと意識を保つ努力をする。
しかし視界は既に暗くなり始め、顔色も蒼褪めていた。
崩折れる王子を見下ろすは、忠誠を誓った筈の聖騎士。彼は手を差し伸べて待っている王子に近づくと、その上に屈み込むように顔を近づけ……柔らかに囁いた。

「手加減したつもりなんだけど、ちょっと痛かったか。悪いな。」
「……っ、……か、げ……ん?」
「ああ。――眠いんだろ? いいから、そのまま寝ちまえよ。……ほら。」
「……っ!」
それだけを告げると、エルドの瞼の上に手の平を重ねて、強制的に視界と意識を閉じさせた。
何かを言い掛けたエルドは言葉を紡ぐ間も無く、深い闇の中へ落とされてしまう。

「」
僅かに乱れたシーツの上。
くたりと横たわるは、王子様。その表情に苦痛の跡を残して。
エルドの額には、掻いた汗で前髪が貼りついている。それを指先でそっと掻き上げつつ、テリーが呟いた。

「おやすみ、王子サマ。あとは俺に任せろ。」
優しい手つきで彼の髪を梳き、肌を撫でて語り掛けるその声は甘く、柔らかで――血の滴りを思わせる狂気があって。
冷たい瞳に昏い色を宿した騎士は実に綺麗に微笑むと、意識を失った王子の体をそっと抱き上げてベッドから降り立った。
ゆっくりとした動作で窓際まで近づけば、窓がひとりでにサアッと開く。光を砕いたように細かい星が散っている夜空を見上げて、テリーは溜息を吐いた。

「本当にお前は手間を掛けさせてくれるよな、王子サマ。……でも、そういうところも好きだぜ。」
独り言に含み笑いを混じらせて、蒼白の王子の額にキスを落とした。副兵士長がした場所に、寸分の狂いもなく重ね、痕跡を消して。

……全く忌々しい痕をつけやがって。残滓すら残すものかよ。
憎々しげに吐き捨てた後、口直しのように今度は唇を貪ってから舌舐めずり一つ。

「……さあて、と――コイツが起きる前に片付けないとな。」
テリーはエルドを抱き上げると、窓際に近づいてそのまま外へと躍り出た。

夜の帳を思わせる紺碧のマントが一瞬闇の中に広がり、消える。
そうして騎士は、王子と共に宵闇へ。
後に残ったのは、灯りの消えかけたランプと無人の部屋。
ベッドの上から窓際へと続く幾つかの赤い跡が、まるで花のように点々と落ちていた。

Quis fallere possit amantem?