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Paladin Road

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欠けゆく正気


エルドは愕然とした顔で相手を見つめていた。
震える体は熱のせいか、相手の瞳に宿った狂気のせいか。

テリーは今、なにを言った? 

熱に浮かされ、具合の悪い人間を前に、何を言って……どうして笑っているんだ?
困惑した表情で、エルドは口を開く。
「テ、リー……いま、は……そんな、じょう、だん――」
「冗談じゃなくて、条件だ。水が欲しいんだろ? 喉が渇いているんだよな?」
水の入ったグラスが、エルドの目の前でゆらりと揺らされる。そうして見せつけるようにしながら、テリーは微笑みを浮かべて言った。
「さあ。ねだってみせてくれよ、王子サマ。……“そういうこと”は得意だろ?」
「テ、」
「今は、そうだな……キスで俺をその気にさせてくれたら合格にしといてやるよ。」
「……なに、をっ。」
エルドは軽く唇を噛み、目を閉じて首を振った。そして両手をテリーの胸に当てて突き放そうとするも――がくりと、力無く倒れ込んでしまい、テリーに抱きとめられる。自分から縋りつくような格好となって。
「……っは、ぅ、ぐ――」
腹部から、じくじくと熱が溢れている。
体に力が入らない。
あつい。
いたい。
顔を顰めて動かないエルドの頭上で、テリーが哂う。
「どうした。俺の唇は、もう少し上だぜ?」
声と共に、エルドの脇の下に手が滑り込んできて、そのままグイと上体を持ち上げられた。
「ひっ……あっ、ぐ!」
強引な移動に、エルドの口から悲鳴に似た声が上がる。
震える体。その背に腕を回して抱き寄せ、テリーは話しかけた。
「ほら。これなら間違わないだろ?」
囁いて、もう一方の手をエルドの後頭部に回すと、ぐいと髪を掴んで自分のほうへと引き寄せる。
「イッ、た……!」
痛みに顔を顰めるエルドに、しかしテリーは甘い声でねだる。
「なあ、王子サマはいつまで焦らせるつもりなんだ? 俺はもう、すっかり待ち焦がれてるんだけどな?」
キスを欲しがる青年は子供のように笑い、実に無邪気な声でエルドに甘えてみせる。
けれどもその眼差しは冷めていて、血の匂いが微かに混じった空気の中で狂気めいた願いを口にする。エルドの表情はこれ以上ないほどに蒼褪めているというのに、それを見つめるテリーはただソレを眺めて笑っているのだ。

これは熱が見せている幻覚だろうか?と、エルドは、そんなことを考えてしまう。
ああ……幻覚であってほしい。

「……リ、ィ」
視界が滲む。名前を呼ぼうとするも、涸れかけている喉は言葉を紡げない。
いたい。
くるしい。
熱で満たされた体が重い。
掴まれた髪が痛い。
これは一体何なんだ、テリー?――そう問いたいが、きっとまともな答えは返されないだろう。
今は熱が辛い。水が欲しい。
エルドは震える両手で上体を支え直すと、途切れ途切れながらも言葉を口にした。

「……すれ、ば」
「ん? 悪い、よく聞こえない。」
「……、キス、すれ、ば……いい、のか?」
そんなことを言えば、見下ろす相手が嬉しげに笑うのが見えた。
エルドの髪を掴んでいた手が、離れる。
「そうだな。……今のところは。」
「……わ、かった。」
エルドは弱々しく頷くと、ゆっくりと上体を屈めた。体を傾げるごとに腹部の痛みが増したが、ぐっと息を詰めて耐え、テリーに顔を近づけて――唇を重ねた。
「ん……っう」
「……っは。っふ、はは……凄いな。お前の口の中、いつもより熱い。」
うっとりした声で呟いて、テリーが目を細める。
これで満足してくれただろうか。
一息つく為に唇を離したエルドは、掠れた声で訊ねる。
「……これ、で……みず、を?」
飲ませてくれるだろう、とサイドテーブルに置かれたグラスに視線を向けたエルドは、それを取ろうと手を伸ばした――が。

汗を掻いたグラスには、届かなかった。
エルドの指先がソレに触れる前に、体を引き戻されたので。

「ひっ――あぐっ!」
叩きつけられるよう倒れたベッドの上、怪我の痛みと熱の眩暈とで呻いたエルドに覆いかぶさるは人の影。引き抜いたベルトでエルドの両手を頭上でひとまとめに縫い留めた上で、押し倒した相手が――引き摺り戻したテリーが、微笑みかける。
「俺はまだ許可を出してないぜ、王子サマ?」
ぞっとする声で、囁くように告げたのは狂気の宣告。痛みからではない別の震えが、エルドを襲う。
「……、……っ」
エルドは言葉無く、ふるふると首を振る。けれど、それを見たテリーは歪んだ笑みを一層深くして顔を近づけると、静かな声で囁いた。
「キスが上手く出来ないのか? ……じゃあ、俺が教えてやるよ。」
「はっ、――んぅっ!」
有無を言わさずに、唇を塞がれた。
舌が蠢き、絡みついてくる。口を閉じようにも、強い力で顎を掴まれているので侵入してくるものを防ぐことが出来ない。
「ん、ぐ、っふ」
角度を変え、深さを変えて、口内を弄られる。
乱暴な口づけから、流し込まれる唾液。飲み込み切れずに口端から零れ、目尻から零れた涙と混ざって顎を伝う。
「ん、んん――っ……!」
噛みつく、というよりは最早それは肉を貪る獣のようでいて、エルドは怪我の痛みも忘れて体を捩じり、逃れようとした。
「――暴れるなよ。傷が開くだろ。」
「んっ……くはっ……」
再び髪を掴まれて、叱りつけられた。エルドは息も絶え絶えに、呆然とテリーを見上げることしかできない。

「テ、リー……」
どうして。
視線だけで問いかけたエルドに、向けられたのは微笑。一片の明るさも無い、暗闇の。
「テリー……ッ」
どうしようもない気持ちが込み上げてきて、エルドは相手を睨み付ける。しかしテリーがそれに答えることはなく、ただ涙の痕が残る頬に手を添え、穏やかな声で言った。
「そう怒るなよ王子サマ。誰だって、最初から上手いわけじゃないもんな?」
「なに、言って――」
「俺の言う通りに出来たら、水を飲ませてやるよ。……大丈夫だ。丁寧に教えてやるから。な?」
「止、め……んっ――!」
だからもう子供みたいに暴れるなよ、と優しく――酷く優しい声で食い違う言葉を語り掛け、テリーが唇を重ねた。
舌が歯列を割り、口蓋をぬらりとなぞりあげる。
舌がエルドの舌を捉え、絡みつき、唾液を流し込むように動く。
「んっ……ふぁ……、ん、む……」
視界がますますぼやけ、痺れ始める思考をどこか他人事のように感じながら、エルドは暫くの間じっとテリーを見つめていたが、やがてゆっくりと目を閉じる。
そのまま力尽きたように熱の海へと沈んでいくエルドが意識を失う間際、目に焼き付いたのは無邪気さを装った残酷なテリーの微笑だった。

Omnia vincit Amor.