Paladin Road
- 15 -
熱で軋み、氷が苛む
「ん……っ、は、ぁ……っ」
微熱の海に浸食されてから、何日になるだろう?
何日が過ぎたのだろう?
エルドは熱に浮かされた体を力無くベッドに横たえたまま、何も出来ない日々を過ごしていた。
くらくらと、ぐらつく視界に惑わされて動けない。
ぐらぐらと、揺らつく意識に翻弄されて考えられない。
「う……あ。」
目の奥で、熱が回る。
赤い渦。血のような。
『よお。王子サマ。』
不意に、狂気の微笑を浮かべたテリーの姿が脳裏を過ぎった。
「――……っ。」
背筋に冷たいものが走る。熱があるのに、一気に寒くなった。
エルドは息を飲むと、ぶるりと身震いしてソレを意識の外へと締めだす。
あんなテリーは知らない。
棺桶を引き摺っていた時ですら、あのように歪な気配を纏ってはいなかった。
あれはテリーじゃない。
空に浮かぶヘルクラウド城で対峙した時ですら、あそこまで暗く沈んだ瞳ではなかった。
「うぁ……ぐっ……」
つきり、と腹部が痛んだ。
塞がりつつあるものの、それでも体内に残っている毒がなかなか抜けないせいか傷の治りがどうにも遅い。
あつい。
さむい。
いたい。
「っ、は――…ぁ」
相変わらず人の声どころか何の気配も感じられない室内で、一人きり。痛みに耐え、熱にうなされながら苦痛の声を零す。
ここに来てからテリー以外の人間を見ていないが、そのテリーすら常に側に居るわけではなかった。
彼がやって来るのは、日に二回の食事と、清拭の時間だけ。優しい声でエルドに話しかけてキスをねだり、”上手にできたら”食事を与えられるし、体もきれいに拭いてもらえた。……ただし、それが出来ないと――彼を満足させられなけえば、延々と同じことをさせられた。
ぐったりしようとも息が上がろうとも、キスを強制させられ、望まない快楽を引きずり出される。繰り返し、繰り返し。
引かない微熱の一方で、蓄積する疲労。
エルドはそれで、すっかり参ってしまっていた。
「っふ……」
つらい。
くるしい。
涙が滲むのは熱のせいだ、と思いたい。
「う……ぁ……」
さむい。
いたい。
……この痛みは怪我のせいだ、きっと。
「ぁ……れ……か」
だれか。だれか。
ぐるぐる渦巻く赤い意識の中、エルドは心の中で叫ぶ。
冷えた寝室。檻の中。
声無く乞う願いは、誰にも届かない――。
◇ ◇ ◇
「……?」
ひたり、と何かが額に乗せられた感覚を受けて、熱に沈んでいたエルドの意識が浮上する。冷たいタオルの感触の心地よさに眉間の皺が引くも、ふと疑問が生じた。
何故、タオルが?
「ん……。」
重い瞼をどうにか開けたエルドは、そうして側にある存在を確認する。
傍らの影。何か……誰かが側にいる?
「だ……れ?」
「――。」
そこに居たのは人――ではなく、ドラゴンだった。
通常のドラゴンと比べて体躯が幾らか小さいのは、この部屋に入る為に合わせたようだ。しかし、モンスターで無いことは賢者の石を思わせる聡明な光を宿した瞳が証拠となっていた。
ドラゴンは、物問いたげな目をしてエルドを見つめている。
もしや、額に濡れたタオルを乗せてくれたのは――。エルドはドラゴンにゆるりと微笑みかける。
「……あ、り、が、とう。」
「――。」
額のタオルについての礼を掠れた声で、それでもしっかりと口にすれば、ドラゴンが小さく頷いたように見えた。
人語を解していることから、このドラゴンはそれなりに位が高いようだが、話すことは出来ないらしい。
金色の鱗が美しい、見知らぬ竜。
――ふと、オカリナの音を聞いた気がした。
「……き、み……は」
不意に、エルドが驚いたように目を瞬かせる。かと思うと、ドラゴンに向かって手を伸ばした。
「――。」
近づく指先。
ドラゴンは僅かに身を引こうとしたようだが、エルドの手が震えていることを見てとった瞬間、元の位置に戻った。
は、とエルドが息を吐く。熱によって重くなっている腕を近づけるのに、酷く時間が掛かった。
震えて揺らめくその指先を、ドラゴンは少しの間じっと見つめていたが、やがて首を下げると自らエルドの方へと近づいてきた。
それを見たエルドは、つい口元を綻ばせる。
「やさ、し、いな……あり、がと、う。」
そのようにしてようやく触れることの出来た鱗は少しひんやりとしているものの、考えていた程の硬さは無かった。むしろその質感は上質なビロードの生地を思わせて、エルドの微笑は更に広がる。
「ん……きもち……いい。」
「――。」
ドラゴンが何もしないのをいいことに、ゆるゆると撫でる。犬猫と同等にみなしているわけではないのだが、つい手触りが良くて気安く撫でてしまう。
気分を害してはいないだろうか?とドラゴンをそっと窺えば、相手はどことなく気持ちよさそうに目を閉じていた。
ふ、とエルドの唇から笑みが零れる。
それは、いつぶりかの感情だった。
穏やかな時間。
懐かしいその空気に、うとうとと微睡んでいる時だった。
「随分と気持ちよさそうだな、王子サマ?」
冷たい声が、その空気を切り裂いた。
ドラゴンが声のしたほうを振り返り、エルドもまたビクッと身を震わせる。
まどろみから覚めて瞼を開ければ、冷ややかな笑みを浮かべた青年と目があった。
◇ ◇ ◇
「……、て、りー……――イッ!」
エルドが腕を下ろした時には、名を口にした相手によってベッドに押し付けられていた。
「俺とのキスじゃ、満足できてなかったのか?」
訊ねる声は、優しい。――血に塗れた刃の切っ先に似た冷気を混ぜ込んで。
「違……ぅ」
エルドは小さな声で答え、小さく首を振る。
救いを求めたわけではないが、視線を泳がせていたエルドはテリーの肩越しに、ドラゴンと目が合った。
「――。」
しかし金色のドラゴンはその聡明な瞳に悲しげな色を浮かべると、そのままエルドに背を向け、ドアへ向かって歩き出す。
「ま――」
――待って。
けれど伸ばそうとした手が触れたのは、優しいドラゴンの鱗ではなく。
「――俺ならココに居るだろ、王子サマ?」
「ぅあっ!」
エルドの手を掴んでベッドに縫い留めたのは、ぞっとする狂気を隠そうともしていないテリーの冷たい手。
音も無く閉じられるドア。
冷えた室内に、秘密めかして低く囁く声がする。
「これでも、結構加減してやってたんだぜ? ……でも、お前には物足りなかったみたいだな。」
言ってくれればいいのに、とテリーがエルドの顎を掴んで笑う。
「う……っ」
エルドは思わず目を閉じ、顎を引いて逃げようとする。
けれども、弱った体では抵抗しきれる筈も無く。
「もっと感じさせてやるよ。ほら――」
「やっ……ん、ぁ――ふっ、ん……んんっ」
「っふ……ははっ……ん、これから、はっ……お前が、満足するまで……っ、してやる、から……」
囁き、啄ばみ、囁く。それを繰り返しながら合間に告げるのは、狂気の宣告。
「だから――覚悟しろよ、王子サマ?」
ぐらりと眩暈。
そうして彼の王子は、再び蜃気楼のような現実の中に放り込まれ、望まぬ熱の海へ落とされていく。
Vae victis.