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Paladin Road

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願いの丘から星降る夜へ


赤い鳥が、さようならと鳴いた。
それは平和な日常に別れを告げる合図。
幻だった夢を現実にしたのは、黒い騎士。
眩しい日々は、温かい場所は、もう戻らない。
全て業火に飲まれて――消えてしまった。何もかもが。

それは一夜にして起こった悲劇。生き残ったのは、小さな目撃者が二人。
年端もいかぬ姉と弟。震える姉の手をしっかりと握って、弟は語る。その日のことを。

彼らは、寝る前に夜空を見上げて願い事をするのを日課としていた。
家から少し離れた丘の上、町が見渡せるお気に入りの場所。そこで姉弟は小さな手を合わせて、空に祈った。
おいしいものが食べられますように。
明日もいい天気になりますように。
それは、いつもの願い。最近はそこに、もう一つが新しく加わっていた。

『――優しいお兄ちゃんが、また一緒に遊んでくれますように。』

彼らが遊ぶこの丘にいつの間にか現れた青年は当初、優しく微笑んでその場から立ち去るだけだった。
見慣れない青年だったが、彼らは特に警戒もせず――相手がとても優しそうだったので――遠慮なく近づいて話しかけたところから、接触が始まった。
青年は名前も何も語ろうとはしなかったが、その代わりに色々な話をしてくれた。遠い場所にある、さまざまなことを。
滝のある洞窟や、険しい崖の上にある喋る草のこと。雪の積もる地方にいるという、氷の女王様。海のどこかに在る人魚がいる岩礁について語られた時などは、それはもうひどく興奮して、青年を長々とおしゃべりに付きあわせてしまったが、相手はただ優しく笑って姉弟を静め、そして「夜更かしすると体に悪いから、また明日な」と言って、実にさりげなく帰宅させるのが上手かった。

姉弟は、青年が好きになっていた。町の誰よりも優しく穏やかで、不思議な雰囲気があったせいかもしれない。
また、時々に見せる寂しげな笑みが気になっていたのもある。

彼は丁度、この丘に咲いている花を思わせた。花自体は全くに飾り気のない野草だが、花弁は空を映したような色をしていて、野生独特の強さと美しさを持つその花を、姉弟……特に弟のほうが好んでいた。

弟が一度、訊ねたことがある。
「お兄ちゃんはどうして寂しそうなの?」
青年は一瞬、驚いた顔をしたものの、すぐにまた微笑んで、一言。――「宝物を無くしてしまったんだ」それだけを言うと少年の頭を撫で、小さな手に小さな焼き菓子の包みを握らせて、どこかへ行ってしまった。……それが最後の置き土産となって。

姉弟は、青年がドコの誰でも気にしなかった。ただ、どうして会えなくなったのだろう、と悲しんだ。

……小さな彼らは、知らなかった。
その青年が自国の王子であり、近々大きな式典が行われるので忙殺の中にあるということを。幼いが故に。権力とは無縁であったので。


◇  ◇  ◇


それから、何日も経ったある日のことだった。
星の綺麗な夜だったので、姉弟はその日も、いやその日だからこそ、小さな手を合わせて願い事をした。

おいしいものがたべられますように。
あしたもいい天気になりますように。
――また、あの優しいお兄ちゃんに会えますように。

他愛のない願いごとを夜に願い、素直な祈りを星に捧げた。
無邪気で純粋な想いは、果たして届いたのだろうか。姉弟の目の前を、何かがスッと流れた。
「……あ!」
流れ星かと思わず声を上げたのは姉か弟か。ともかく“それ”を見た時、願いを叶えてくれる星が流れたものなのだと思った彼らの表情は、パッと明るくなった。

けれど――“それ”は甘い夢では無かった。

雷鳴と共に現れたのは祈りの欠片では無く、黒い竜に乗った漆黒の騎士。
それが、国を切り裂いた。何も言わず、ただ笑って。町のあちこちから火の手が上がるのを、姉弟は見た。
焦げた匂い。悲鳴。夜空の“雷”。舞い上がる火の粉は、まるで赤い鳥が翼を広げたように見えた。
何か――父か母か、それとも町の誰かの――声を聞いた気がしたが、姉弟はその場から動けず、ただ茫然として立ち尽くす。
町を駆け巡る雷を少年は目で追っていたが、不意にソレが、自分の方を見た気がした。
漆黒の騎士に、町外れの丘に居た姉弟が果たして見えたのかは知らない。だが、少年は相手が薄く笑ったように見えた。

何かを憐れむような――懐かしむような?

アメジスト色の瞳が星屑の欠片のようで、きれいだな、と素直に思ったのは子供が故のこと。
そんな幼い存在に、幸いにも刃が振り下ろされることは無かった。
漆黒の騎士は竜と共に上空を大きく駆け、姉弟の住む城下に雷と炎を交互に落とすその度に悲鳴に似たものが上がり、火の爆ぜる音がして――すっかり静かになった頃には、空の向こうが白み始めていた。

それから、どれくらいの時間が経ったのか。
ようやく明けた夜。騎士と竜が、昇る太陽とは反対の方角へと姿を消すのを呆然と見送った小さなこどもたちを迎えたのは、黒ずんだ建物と灰塵と化した何かの塊だった。
人の姿は無く、もはや声は聞こえず。あちこちで残りカスのような炎がぱちぱちと燃えている音だけが聞こえる日常の残骸が、そこにあった。

「おかあさん、たちは?」と呟いた姉の呟きに、返る言葉は無い。なにしろ、姉弟の家も、両親も、店も、みんな消えていて――代わりに、花がまき散らされていた。
丘の上のあの青い花が、絨毯のように……葬列への敷布が如く散らされていて、町は青と赤とくすんだ黒で彩られていた。
「……っ、おかあさん! おとうさん――っ!」
三色の荒野を前に、現実を認めた姉は体を震わせ、とうとう泣き崩れてしまった。
ひゅう、と冷たい風が通り抜け、地面に撒かれた花が舞い上がる。
青の葬列。弟は姉の手を握ったまま、じっとその光景を見つめていた。


◇  ◇  ◇


「ぼくのせいだ。」
語り終えた弟は、小さな声で言った。
「ぼくが、お兄ちゃんに会いたいって願ったから。」
少年の瞳は僅かに潤んでいたが、しかし憎悪は無く、いまだ側で震えている姉の手を握りしめていた。……たった一つだけ残った宝物を守る、小さな騎士として。
「お前のせいじゃないさ。」
話を聞き終えた男は身を屈めると、相手と目線を合わせて涙をこらえている少年の肩を軽く叩いた。そうして、彼の言葉を優しく否定する。
「お前のせいじゃない。それは、絶対だ。……悪いのは、その竜に乗った黒い野郎なんだからな。」
「騎士さまだよ。お城で見るような、カッコイイ騎士さまだった。」
顔を上げた少年の瞳は悲しみで濡れていたが、「騎士さま」と口にする声には憧憬の音があった。
「……お前、騎士さま、が好きなのか?」
「うん! ぼく、騎士さまになるのが夢なんだ。あのお城にいた騎士さまみたいになって、おねえちゃんを守るの!」
「……、……城、の……騎士、みたいに?」
「そう。あのお城の、かっこいい騎士さま! しれん?ってやつにごーかくすればなれるって、聞いてたから。」
「ああ……あれか。」
懐かしそうに呟いた男を見て、少年が目を輝かせる。
「おじさん、知ってるの?」
「おじ……っ、……あー。まあ、な。……昔、親友と受けたことがある。」
「すごい! じゃあ、ぼくもいつか……?」
期待した目、希望に溢れた声。
男は、少年の背後を一瞥する。暗い夜がもたらした、惨劇の痕跡を。何もかもが無くなってしまった場所を。……ここでの「試練」は、もう無いだろう。
「ああ、大丈夫だ。」
少年に視線を戻せば、視界に入ったのは姉とつないだ手。小さいながらも力強く、惨劇に立ち向かう意思を見せたその目は、既に子供のものではない。
繋がれた絆。男は笑みを浮かべると、立ち上がりながら言葉を返した。
「お前なら、お前の望む騎士さまになれるぜ。……頑張れ!」
保証のない言葉。けれども、少年には確かな効力があった。
「うん! ありがとう、おじさん!」
「おじっ……、まあいいけどよ。」
他の人間に連れられて姉と共に馬車に乗りこんだ少年は、男の姿が見えなくなるまで手を振っていた。
遠ざかる馬車。
それが見えなくなってから、男は顔から笑みを引いた。腰に手を当てると、辺りを改めて見回して……重い溜息を吐く。

「……やりきれねえな。」
焼けた跡地を見つめながら、男――ハッサンは、静かな声で呟いた。
その声には、どうしようもない苦痛と困惑が滲んでいる。
彼の見つめる先には、崩れ落ちた瓦礫の破片――かつてそこに存在していた城の名残――があった。

Omnes una manet nox.