Paladin Road
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暗夜明け、雷鳴弔う
ざらざらの灰と煤、それと時折見える白い欠片――元は人の形をしていたもの――が、風に吹かれて散っていく。
全てをそこから消し去るように、舞い上げ……空のずっと遠くまで巻き上げ、跡形も残さずどこかへ運び去る。
「エル……エルド。お前は無事なのか。」
レイドック城の王子、かつては旅の仲間であった青年の名前を口にして、ハッサンは誰ともなしに呼びかける。
「何があったんだ、エルド。なあ、王子様よお。」
彼は一人で戦ったのだろうか。この折れた剣の主のように。仲間を最後まで守ろうとしたのだろうか。――己の身を犠牲にして。旅の間、そうしていたように。
「困ったことがあったら呼べよ。すぐに駆けつけてやるから。」
旅の終わり、別れ際に言ったセリフを思い出す。
ハッサンにしてみれば友人としての激励でもあったのだが、王子様の後ろから青い髪をした男が睨んでいたので、後でこう付け足した。――「用件は、城の建て替えでも改築でも、なんでもいいからな。」
すれば王子様は笑い、「そうだな。最高のサンマリーノ大工殿に、予約をいれておかないとな。予約がいっぱいになっちゃう前に。」そう言いながら、自分の背後にいた男の背を叩き、「勿論、お前も頼りにしているからな、テリー。」と、微笑みだけで相手の尖った気配を静めた。
さりげない気遣い。
よく気のつく男だった。
穏やかで優しい、けれども仲間を守る時には誰よりも強くなる男。
そんな彼の故郷が、真実の居場所が……無くなってしまった。
消えてしまった。彼と共に。
「間に合わなかったのか、俺は。」
港で噂を聞いて駆けつけたハッサンが見たものは、煤と灰と瓦礫の残骸、そして焼け跡に立ち尽くした小さな二人の姉弟だけだった。
あとは、人だった成れの果て。
どれもこれも人らしい形を残しておらず、まるでおもちゃのようにあちこちに散らばっていた。
「こういう時、隠し通路とかそういう部屋に通じる階段とか……って。無いんだったな、ココは。」
ハッサンの脳裏を過ぎったのは、グレイス城。伝説の鎧を守っていた、今は亡き国の名前。
迫る魔手に危機を感じて行った禁忌によって神の怒りに触れ、何もかもが消滅させられてしまった。
存在から魂に至るまで咎が及び、彼らの国、名は歴史上から削り取られ、無限地獄を彷徨う罰を課せられたと聞く。
神にすら見放された彼の国は今もどこかで永劫に滅ぼされ、終わらない終わりを迎えているのだろう。
「どこもかしこも焼けちまってるな。」
この国――レイドックも、何かの禁忌に触れたのだろうか?
廃墟を、あても無く歩く。
「うん?」
そのうちに、滅びた跡地の一角に近づいたハッサンは、あるものを目にして足を止めた。
焼け焦げた布きれ。その近くに折れた剣があり、側には砕けた白い欠片があった。
色の変色した地面の上に、それらが無造作に散らばっている。ハッサンはその傍らに膝をつくと、地面にそっと手を当てて息を飲んだ。
「これは――」
一瞬、ぎくりとする。そこは、ある人物の部屋があった場所だからだ。
折れた剣に、視線を向ける。
触れることは避けた。火で焼けてボロボロになっているので、触ると壊れてしまうと思って。
なので、近づいて目を凝らすだけに留めれば、柄の部分に微かな印があるのを見つけた。
「こいつは……」
ハッサンの顔が歪む。
それは、城の兵士が常用している帯剣だった。――王子様の剣ではないが、自分の記憶に間違いが無ければフランコと呼ばれていた男が腰に下げていた剣とよく似ていた。
ある時期までは、王子の副官でもあった優秀な副兵士長。その剣がここにあり、側に“白い破片”があるならば、示しているものは……これは――。
「――っ!」
がつっ、と鈍い音がした。
地面に打たれた拳。全身を震わせながら、ハッサンは声を絞り出す。
「一体、なにが……っ、誰が、こんな酷ぇこと……っ」
数日後には盛大な式典が行われる予定だった。王子が王となる、輝かしき日。誰も彼もが忙しなくも浮かれていて、祝う笑顔で溢れていたこの国に、その王家に、一体なにがあったのだろう。
世界は平和になった筈ではなかったのか?
これから彼は幸せになるのではなかったのか?
精神と肉体を長いこと別たれたままに、一人だけ元に戻りきることが出来なかった青年は、いつも己の“不完全さ”を憂いていた。
それでも、ようやく“王族としての証”を手に入れて、周囲に認められて……やっと、本物の王になるらしいと、風の噂で聞いたばかりだった。祝うために酒でも持って駆けつけてやろうかと、考えていたところだった……間に合わなかった。遅すぎた。
「相棒失格じゃねぇか。こんなんじゃ、あいつに――」
その時、何かの音を聞いた気がした。
「なんだ? ……雷鳴?」
訝しげに顔を上げたハッサンの顔に、何かが当たった。
鈍色の空より落ちてきたそれは、ぽつり、ぽつりと落ちてくる。
やがて降り注いだのは、弔いの雨。遠くで鳴る雷の音を聞きながら、ハッサンは掠れた声で嘆く。
「……お前に偉そうな説教は出来ねぇなあ、テリー。」
王子の新しい側近。王族の証にもなる聖騎士となった男の名前を呟いて、ハッサンは顔を歪めて笑う。
「お前も、守る為に頑張って逝っちまったのか? それとも、エルドと一緒にどこかで戦っているのか?」
ああ、後者であればいいと思う。
確認できない死は、そのままにしておきたいから。
「とりあえず、みんなにも伝えておくか。……言わなきゃなんねえよな、俺が。」
チャモロ辺りは“神のお告げ”とやらで知っているかもしれないが、それでも仲間を集めてもらって話しておきたかった。温かい人たちの……仲間の顔が、見たかった。
「さて、と……行くか。」
疲れたようにゆっくりと立ち上がると、ハッサンは重い足取りで歩き始める。
焼け跡を後にする彼の背後で瓦礫か何かが警告のように崩れたが、その音は雷鳴にかき消され、ハッサンが振り返ることは無かった。
それから彼は、他の仲間と共に集まったゲントの村で知ることになる。
行方不明になった者と、レイドックに起きたこと、そして――それらが、残酷な物語となったことを。
Aequat omnes cinis.