Paladin Road
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偽装恋人遊戯
その部屋は冷たく閉ざされていた。
大きな錠前が掛けられたドア。その表面にはアンティークふうの模様が描かれている。暗い緋色でドア一面を埋めつくしている様は、まるで呪いのように見えた。
ドアと部屋を繋ぐその間にも鉄格子があり、そこにも同じように鍵が掛けられている。
檻と化した室内は静まり返っており、奥に大きなベッドが置かれているほかは、特に目立つものはない。
ただ、部屋のあちこちに何かが点々と散らばっており、白の結界が如く、ブランケットに身を包んで眠る青年を守るようにして彼の周囲を中心に散乱していた。
――ガチャリ。
鉄格子の向こうから、重い金属音がした。
厚手の毛布にその身を埋めていた青年の目が開かれる。鎖が擦れる音がして、次にチャリチャリと鍵の触れ合う音が聞こえてきた。
入室の挨拶も無く開いたドアから姿を見せたのは、一人の男。部屋に入ってきた彼はすぐさま後ろ手に閉めたドアに鍵をかけると、真っ直ぐにベッドの方へと近づいてきた。
男は、部屋のあちこちに落ちている花弁に似た何かを気にするふうでもなく、蹴散らして歩いてくる。
床に散らばっていたソレの正体は、小さな羽根。部屋を縦断する漆黒の影に踏みにじられ、毛足の長い絨毯の上で息絶える。
側にやって来た男は、そのまま上に乗り上げる形でベッドに腰を下ろすと、依然として背を向けたままでいる人物に声を掛けた。
「起きてるんだろ、王子サマ?」
反応は無い。男は毛布の隙間から覗く、くすんだ白を一瞥し、次に相手の頭上にあるヘッドボードへと目を向けた。そこには鈍色をした銀の鎖があり、ベッドの中に向かって垂れている。
男は息を吐くと、その鎖を掴んで引き寄せた。
「……っ。」
じゃらりと重い音がして、青年の両手が鎖のほうへ引き摺られる。
毛布という外装を剥がされた青年は薄手のチュニック姿で、他は何も身につけていないように見えた。寒々しいその手足や背中には包帯が巻かれており、両手首は鉄の輪で拘束されている。
鉄の輪から伸びた鎖の一端を掴んだ男は、そうして青年を自らの腕に抱き留めると、顔を覗き込むようにして優しく微笑みかけた。
「帰って来た恋人に挨拶も無いのか?」
「……っ――んぅ……っ」
酷く甘い――毒の混じった――声でそう囁くと、男は青年の髪を掴んで唇を重ねた。
「う……ん、っ……んんっ……っは、ぅ」
噛みつくような獣のキス。
男は――テリーは、角度を変えて何度も口づける。
「んっ……ふっ――、う、ぁ……っ」
唇を舐め、歯列を割って舌を絡めようとするが、相手はそれに応じない。それどころか首を竦めて逃れようとするので、テリーは苛立たしげに眉を顰めると、拒絶する相手のその顎を掴んでこじ開けた。
そうしておいてから睨みつけ、低い声で凄む。
「っは……挨拶もできない、ってんなら――せめて素直に鳴いとけ……っ!」
「んっ――ン、ぐっ」
滑らかに滑り込んできた舌が上顎を舐め上げ、生き物のように蠢いてエルドの口腔を犯す。
舌を吸われる度に唾液を流し込まれ、飲み込み切れずに溢れたそれが厭らしい音を立てて口端から流れて顎を伝い落ちていく。
エルドは怖気に身を震わせ、強く閉じた瞼から涙を零す。
それに気づいたテリーが動きを止めた――が、それも一瞬。すぐに冷たい笑みを浮かべると、唇を離して囁いた。
「へぇ……こういうほうが“好き”なんだ?」
「あ、ァ……ひぅ……う、ぅあ……っく」
「……なあ。好きだろ、俺のこと?」
「っふ、うぇっ……っ、ぐ、っ……、うぁ、ア、ぁああ……っ」
「……っんだよ。今日は“まだ”、そこまで酷くしてねぇだろ。」
テリーは最早すっかり癖となった舌打ちをすると、目を閉じたまま震えて泣き止まない相手を片手で抱き起して膝の上に乗せた。そして、向かい合わせになった相手の髪を、頬を、そろりと撫ではじめる。
「ほんと、これくらいで泣くんじゃねぇよ。」
そう話しかける声は穏やかで、髪や頭を撫でる手つきには甘やかなものがあった。
束の間の静寂。流れる蜜のような時間。
けれどそれも、テリーの手が髪を滑り首筋を伝い、背骨を沿って羽のある個所へと触れるまでだった。
「――っ!」
テリーがエルドの背中に手を当てたのと同時に、何かに気づいたエルドが息を飲んだ。
その反応に、テリーが目を細めて哂う。
「……そうそう。お前が本当に鳴かなきゃならなくなるのはコレからなんだぜ――王子サマ。」
ぎちり、とビロードめいたものを握りしめる音がした。
「ヒッ、……ぃ、やっ――ァアア……ッッ!」
テリーが“ソレ”を掴むなり一気に引き抜けば、エルドの体がビクリと跳ねて仰け反った。
「ふっ……ははっ。」
上がる悲鳴。その声を聞いたテリーは、うっとりとした表情を浮かべている。まさに恍惚として。
手を開けば、そこから何かがハラハラと零れ落ちた。
くすんだ白。微かな赤を滲ませてシーツの上を舞ったのは、小さな――ささやかな、羽根。
それは今しがた、エルドの背中の中央辺りから生えている翼から引き抜かれたものだった。
「あ、ぁあああ……っ」
虚ろな瞳から涙を零し、痛みにガクガクと震えて縋るエルドを見つめながら、テリーは優しく話しかける。
「良い声だぜ、王子サマ。そうだ、もっと――」
痛みに喘ぐ相手の後頭部に手を回し、その髪を掴んで仰け反らせた喉に唇を寄せる。
「もっと、鳴いてみせてくれ。」
「ひっ、あぁ、あ、あっ、ア、ぐっ」
もう何度目だろう。首筋を強く吸って赤い痕をつけ、鎖骨に歯を立てて幾つめかの所有印を刻む。
「あ、っふ、んんっ、イ、……っだ、ァアッ、ひ、ぃあっ」
エルドの背に回した手を動かして一枚一枚その羽を毟りながら、テリーは体のあちこちに印をつけていく。
ひとつ、ふたつとキスを落として。
ぷつり、ぷつりと羽根を抜く。
夜が明ける頃には元に戻る、まがいものの羽。数時間後には生え変わってくれるのだから、何の問題も無い。
――そう、何も問題にはならない。これは、断続的な痛みを伴うだけの、ただの狂った遊びだから。
故に――正気を失っても弄られ続ける。
死ぬまでには至らない戯れが故に……遊ばれて。
「お前のそういう表情、良いな……凄ぇ、ぞくっとする。」
「ふ、あぁ……あぁ、あ」
涸れた声で泣くエルドの目元に口づけ、その涙を舌で舐めとってやりながら、テリーは優しく、残酷に彼を弄ぶ。ポケットから取り出した小瓶の中身を手に絡めると、エルドを一層深いところへ追い詰めていく。
「あ、ぁあ、あ、あ……あ、っう、く……ひ、ぅ――っ」
腹、足の付け根、太股の裏、そしてその奥に指を潜り込ませれば、繋がれた鳥の瞳からハラハラと涙が零れ、落ちて散らばるボロボロの羽根に染み込んでいく。
首筋、胸、骨の形、筋肉の流れに沿って、どこもかしこもを濡らしてやった。
「ふ、ははっ……ちょっと苛めすぎたか? ん、ほら……泣くなよ。」
「んっ、ぶ……っはぁ……んっ――んーっ!」
涙で濡れたその顔に、ぬらつく手を擦りつけて汚せば目を閉じたままの相手が唇を噛みしめる。
「っは。べっとべと。……さて、と。じゃあ次はコッチ――だ、な…っ。」
「ひっ!」
言うなり、テリーは羽根から手を離すと両手でエルドの腰を掴んで貫いた。
「ア、 ぅあっ、あああああっ……!」
ガクガク震える相手を眺め、苦笑気味に片方を歪ませる。
「なんだ。これでも寒そうだな、王子サマは。」
寒さで震えているわけではないことを知っているくせに、憐れんだ声で話しかける。愛しげに目を細めて。……嘲弄で口端を吊り上げて。
◇ ◇ ◇
「ああ、そうだ。コレが終わったら出掛けるからな。」
習慣化した何度目かの行為の後で、テリーは不意にそんなことを言った。
「……。」
ベッドの上に力無く横たわるエルドからは、返事は無い。だがテリーは特に気にしたふうも無く、汗で額に貼りついたエルドの髪を手で直しつつ言葉を繋ぐ。
「お前があまりにも寒がるから、暖かいところに連れて行ってやるよ。」
デートなんて久し振りだなと楽しげに笑うテリーの声を、エルドは痛みと乱暴な快楽の余韻が残る意識の向こうで聞く。何処へ連れて行く気だ?と考えることすら出来ない程に、何もかもが摩耗していた。
「遠出になるから、移動はドラゴンだ。上空は風があるから、暖かい格好で出掛けような?」
「――。」
エルドはやはり返事をせず、瞬きだけを一つして、疲労のまどろみに意識を沈める。
気を失うように眠りに落ちたエルドを見つめながら、テリーは歪んだ笑みを浮かべた。
「今度こそお前の震えを止めてやるからな、王子サマ。」
そう言って、テリーはエルドの額に宣誓のキスを一つ。
遠い声。遠くなった人。
この現実から遠ざかって……最後は、どこへ?
Omnia fert aetas, animum quoque.