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Paladin Road

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業火の葬送


眼下、鮮やかな世界が広がっていた。
煌々とした紅が踊っている。その熱気は上空にいるエルドの元まで届き、かしずく焔が足先を撫で、彼の髪を巻き上げた。
テリーに抱き上げられて竜の背に乗せられたエルドは、炎に包まれた大地を見る。
一面の、赤、赤、赤。場所はどこかまでは分からないが、燃えている範囲とその大きさからして、町か城のようだ。
熱い。息を吸う度に、喉がチリリとひりつく。
熱い。瞬きする度に、瞳がぴりりと疼く。
けれども、それだけだ。火傷するまでには至らない。
恐らく、何かしらの防御魔法が掛けられているのだろう。手首、足首に巻かれた包帯に描かれた朱の模様に目を留めて、エルドは気怠げな息を吐く。

神の祝福から遠く離れた、守りのまじないとなる筈だった。
――しかし、この身は別の形で呪われて。

そのせいだろうか。目に映るこの惨劇、緋色の光景を前にしても、心が動かないでいるのは。

「どうだ。暖かいだろ、王子サマ?」
「……っ」
唐突に背後から伸びてきた手に、頬を撫でられた。
その手は冷えた声に似た温度でいて、熱気を受けて茫としていたエルドの意識を僅かに浮上させる。
「キレイだな。ほら、見ろよ。」
頬に触れる手が動いてエルドの顔を傾けたので、彼は必然的にソレを見ることになる。
燃え盛る炎の中に沈み崩れていく建物は、民家だろうか、それとも城の一部だろうか。
業火の海の中で揺らめいている黒いものは、ただの木々かそれとも――。
悲鳴のような、鳴き声のような、何かの音が聞こえるものの、それらは全てエルドの耳を通り抜けていく。
相変わらず茫としているエルドの耳元で、含み笑う声がした。
背後から抱きしめる力が強くなったと思ったら、腕の中に深く抱き込まれる。
「いいよな。なんか、こう、世界の終わりって感じで。」
「――。」
そう囁いたテリーの吐息は熱く、声は劣情で掠れている。首筋の口づけ、腰に巻きついた手が服の裾から潜り込んでくるのを他人事のように感じながら、エルドは地上で踊る炎の海に視線を落とした。

――煉獄の世界がそこにあった。
炎の中で、次々と何かが崩れ落ちていく。
あれは、きっと……人、だろう。
砕ける建物。その爆ぜる火の音に、人の声らしきものが混じっては消えていく。
ふと、幾つもの船が火の海に沈んでいくのが見えた。とすると、あそこには港があるのだろう。

(……港、町?)
どくり、と胸が鳴る。
期待からでは無く――恐怖で。

「……っ」
知らず、視線が彷徨う。
熱気に目を瞬かせながら赤い大地に視線をくまなく滑らせていれば、やがて見つかる一つの影。
炎を吹き上げている建物の側に、男が居た。傾いている入口を片手で支えながら、建物の中に向かって何かを叫んでいる。誰かが中に居るのか、それとも誰かを探しているのか。
「……ぁ」
大柄な男のその背中、恰好には見覚えがあった。
――忘れる筈がない。男が額の汗を拭い、何気なく――それとも視線を感じて?――顔を上げたので、エルドと視線が合う形となった。
男が目を見開き、驚きの表情になるのを見て、エルドもまた息を飲む。
ああ、やっぱりアイツは――彼は……!

「……ッ、サ……!」
声を上げようと口を開いたのが、まずかった。
「――っ……っげほ……っ」
熱気を吸い込んでしまい、ただでさえ悪くしている喉を痛めてしまった。
防御魔法はあまり完全ではないらしい。
それでもエルドは咳き込みながら上体を傾けると、“彼”に向かって手を――。

「……どこへ行くんだ、王子サマ?」
「――っあ。」
……伸ばそうとした手を掴まれて引き戻された先は、テリーの腕の中。エルドが元居た場所。
テリーは再びエルドを抱きしめ直すと、彼の顎を掴んで話しかける。
「そのまま行くと火の海に落ちるぜ? ほら、コッチ来いよ。」
「……っ、ぁ、ア」
エルドは肩越しに一度、テリーを見上げて何か言い掛けるも、すぐに地上へ視線を戻した。
炎の壁の向こうでは、見覚えのある男が――ハッサンが手を振っていて、エルドに向かって何かを叫んでいる。
懐かしい人。遠い残景の一部。

「ハ……ッ、サ……ッ!」
この距離に隔たれて、声が届かないことが歯痒い。
「……っ、ハ――っ!」
男の腕に繋がれて、側に行けないことがもどかしい。

「……、ハッ、サ――……んんっ」
それでも応えようと口を開いたエルドの言葉は、顎を掴んでいた手によって塞がれてしまう。
エルドの肩口から顔を覗かせたテリーが、冷たい声で囁いた。
「ソッチは火の海だって言っただろ? それ以上は止めとけ。でないと……」

――火傷どころじゃすまなくなるぜ、王子サマ。
氷の声が耳朶を打つ。その上、口を塞いでいた手が動き、エルドの視界を閉ざした。
そうしておいてから、テリーは笑って告げる。冷徹な殺意を込めて。

「お前の居場所はアッチじゃない――俺の、側だ。」
暗闇の中で、雷の落ちる音がした。
続いて、何かが砕ける音と、崩れ落ちる音と、それから――それに混じって聞こえたのは、誰かの叫び。

「エルド――……!」
その断末魔は雷鳴に掻き消され、崩れてきた壁と炎に飲み込まれた彼の姿を、遂にエルドが見ることは無く――見ることも許されず。

「っ、ぁ、ハ、サ……っ――」
名を口にしようとするも、言葉が紡げない。ただ、ごうごうと燃える音がした。
人の悲鳴らしき声も、もう聞こえない。
ぱきり、と何かが砕ける音がした。
「あ、ぁああああ……うぁ、あ、ハッ…サ、ン……ハッサ――ぁ、あああああ……!」
冷たい手で覆われた視界。あまりの現実に硬直するエルドを抱きしめて、テリーが甘い声で話しかける。
「ああ……やっと震えが止まったな。」
腰を抱いていた手が背中に触れ、背骨をつっとなぞる。
それは肩甲骨の辺りまで上がってくると、そこで不意に何かを握りしめた。
「――ヒッ……!」
掴まれたのは、羽。赤い呪いを描かれたあの日からの刻印。
その羽根をがつりと掴んで、テリーが笑う。
「これでもう寒くならないよな?」
「イッ――!」
ぷつり、と引き抜かれた羽根が、火の海に放り込まれる。
あっという間に燃え尽きる葬送の一羽。
テリーはソレが灰になるまで見守ると、エルドの目を覆う片手はそのままに口を開く。
「何か、興奮してきたな。……はっ。ダメだ。」
エルドの首筋に熱い息がかかり、情欲に濡れた声が耳元に吹き込まれる。

「デートはここまでにして、帰ろうぜ。――というわけで、戻るぞ。“お嬢さん”。」
テリーの言葉に従うように竜がひと鳴きし、翼を羽ばたかせて飛び上がった。金色の体が大きく旋回すれば、そこから金の粒子が零れて地上に舞い落ちる。
遠ざかる地獄。いまだ燃える煉獄を背に、テリーは振り返ることも無くただ唇を吊り上げる。

「お前を煩わせるものは、これで無くなった。」
胸に抱き寄せた鳥の視界を手で覆い隠したまま、くすんだ羽根に口づける。

「もう何もないんだ、お前には。」
だから。

「お前には俺だけだ。」
だから。

「……ずっと一緒だぜ、王子サマ。――俺の、マイロード。」
「――っ。」
最後は聖騎士の声で囁いて、声も上げずに涙を流している相手の唇にキスをする。
それは、かつての証。すっかり遠くなった日々にあった忠誠の口づけ。
背の上で聞こえた彼の宣誓を、竜は悲痛な表情で聞き、風と共に聞き流して居城に向かって羽ばたき続ける。

そんな彼らが去った地上には、他に動くものも無い焼け野原が広がっているばかり。
その埋火には微かな金の粒子が煌めいていたが、やがて風に吹かれてどこかに散ってしまった。

音のない塵芥の町跡。
何もかもが燃え尽きて灰となり――後には何も残らない廃墟が、これでまた、ひとつ。

Vulnerant omnes,ultima necat.