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Paladin Road

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籠の中の鳥は


竜に変じた少女の最期を“最後まで”見送ってから、どれくらいの時間が経っただろう。
防音である筈の部屋で、エルドはふと誰かの声を聞いた気がした。

目を開け、ゆっくりと身を起こす。
気怠い体を動かして床の上に足を下ろせば、そこに積もっていた金粉めいたものとすっかりくすんでしまった白い羽根とが、埃のように軽く舞った。

今の声は幻聴か?と軽く頭を振る。そのまま半分ぼうっとした状態で天井を見上げていれば、ふと感じるものがあった。

「……何か……来た?」
それは、数時間前に感じた気配とよく似ていた。
セバス。オルゴー。スフィーダ。ラミアス。
魔王に取り上げられ、持ち去られて以降、気配どころかその存在が全くに分からなかった天空の装備品。破壊されたかどこかへ封印されたものだとばかり思っていたそれらが、まさか還って来たのか――?
エルドは目を閉じ、意識を集中して”それ”を探る。
すれば、まだずっと遠くにあるものの、ソレが徐々にこちらに向かって近づいてきているのが感じ取れた。
勿論、これはエルド本来の力では無い。何度か転職をして様々な能力を磨いてきたが、流石にここまで人外じみた気配察知は身につけることは出来なかった。
だというのに、いまそれが可能であるのは、恐らく――エルドは肩越しに己の背を一瞥し、力無い微笑を浮かべる。

赤の刻印から生まれた”おまじない”。
当初はこれで外に出してもらえるのかと思っていたが……、……ああ、もう考えないようにしよう。
戻って来ない過去を振り払うと、身を屈めて足元にある金粉に、そっと手を差し入れた。
掬いあげようとすれば、それは実に滑らかな粒子であるが為に、すぐさま指の間からさらさらと零れ落ちてしまう。

掬えない残滓。
救えなかった想い。

何もかもに間に合わなかった。
愚かで弱い、王族とは名ばかりの、遂には凋落すらしたこの身に、それでも迎えに来たものがあるのだ。
まだ幾らも遠いその気配を感じ取りながら、エルドはぽつりと呟いた。

「……やっと俺の番が来たのか。」
返る声は、当然ながら無い。
エルドは手にした粉塵を床の上に戻すと、腰を上げてそこから離れた。
身につけていた絹のローブを掻き合わせて整え、ゆっくりとドアに向かって歩き始める。

歩く度に、床の上に落ちたままの羽根が舞う。鈍色の羽根と、金色の粉を爪先で掻き分けて――辿り着いたドアの前。呪いで施錠された鉄格子に触れ、静かな声で紡ぐは解錠のまじない。

「――……。」
金色の竜が遺したものと同じ言葉を呟けば、格子が透明になって道を開く。そこを潜り抜けて部屋の外へ出たエルドは、その場で一度立ち止まり、肩越しに室内を振り返った。
「行ってきます。」
儚く微笑み、零すのは最後の言葉。

「……さよなら、バーバラ。」
そう言うなり背を向けて前に足を踏み出したのと同時に、格子は元の形に戻りそこは再び強固な檻となった。
鍵がかかった檻。遂には誰も居なくなったその場所に、エルドが戻ることはもうない。

捕らわれた鳥は自ら出て行き、後には空っぽの檻が残るばかり。


◇  ◇  ◇


「ふ、っ……はぁ、はぁ……っく」
エルドは壁伝いに手をつき、一歩ずつ前に進む。その背から、はらはらと羽根を零して。
最後まで何かに使われることもなく、手入れすらさせずに放置していた為か、その翼はボロボロになっている。長い一本道の廊下を歩き続け、角を曲がったところで一度足を止めた。
壁に凭れて長い息を吐き、それから自嘲の笑みを浮かべる。
「はあ……どうせこうなるなら、空に連れ出してくれたら、よかったのに、なぁ……。」
今となっては、なぜ“彼”がこのような呪いをエルドに仕掛けたのかは分からない。
だからこそ、思う。
どうせなら青い空の下、抱き合って飛んでみたかった、と。
なのに彼は、エルドに呪いを強いてその羽を毟り、笑い、弄び……そのまま、檻の中へ置き去りにしてくれた。

「……どこで間違えちゃったんだろうな。」
この翼が羽搏くことは、もう無い。……“彼”と共に空を見ることも、無いだろう。

魔王を倒し、世界を平和にした後から“彼”が聖騎士の試験を受けて暫くの間は幸せだった。
それが崩れたのは、式典が迫っていたのとそれに伴う仕事が増えて忙殺の日々が続いていた、あの夜。業務の一つを片付けて部屋に戻ったところ、いつの間にか“彼”が――テリーが居たので、驚いた。
……驚いたけれど、嬉しかった。なにせ、数日もの間、姿を見せなかったので心配していたのだから。
自室で待っていたテリーの姿を見て嬉しくて駆け寄ろうとしたその足は、しかし途中で止まる。

「テリー?」
思わず訊ねるような声音で名を呼んでしまったのは、相手に妙な気配があったせいだ。
テリーは笑みを浮かべ、ドアの前で立ち止まっているエルドに「いつまでそうしているんだ?」と問い、自分の側に来いよと誘い返してきた。
エルドはもう一度だけ「テリーだよな?」と訊ね返し、そこで相手が苦笑交じりにそうだと首肯したところでようやく動けるようになる。
それでも、薄闇を通して幻覚でも見ているような気分は消えなかった。それどころか、ベッドに腰かけるテリーの隣に座ったら余計にその感覚は強くなってしまった。
逢いたかったのに、声が聞きたかったのに――その希望は叶ったのに、どうしてこんなに不安な気持ちになるのだろう?
しかしエルドは、その違和感を仕事疲れのせいだと考えて一旦脇へ押しやり、会話を続けた。
「会えて嬉しいけれど、今日はとても疲れているんだ」――そう伝え、この埋め合わせはちゃんとするからと謝罪して、テリーに帰ってくれるよう頼んだ。やっと会えた相手の前で、「人違い」以上の間違いをしでかしたくなかったのだ。

しかし、結果的にその判断は間違っていて――取り返しのつかない事態を引き起こしてしまったが。

「……あんなこと……言わなきゃ、よかった、な。」
あれできっとテリーの機嫌を損ねてしまったのだ。テリーも日頃の任務で疲れていただろうに、それに気づかないで帰そうとした。
エルドは後悔する。あの時、無理をしてもテリーと話していたら。
そうしたら……こんなことにはならなかった?

「……。」
――本当にそうだろうか?
何かを見落としている気がする。

「……。」
テリーと逢えなくなったのはいつからだった?
聖騎士としての最低限の任務をこなしながらも、エルドの前に姿を見せなかったのは――避けられるようになったのは……。

「……考えても、仕方ないか。」
そう呟くなり、回想と思考を止めた。
時間を無駄にしている場合ではない。――立ち止まって休むのはここまでだ。エルドは、とんと軽く壁を押して離れると、前に進む為に再び歩きはじめた。


◇  ◇  ◇


静まり返った回廊。
廊下の角を曲がり、広い通路に出たところでエルドの足は三度止まる。
ここは何だか見覚えがあるような――。

「……そうだ。確か、あの“アイギスの間”がある……。」
独り言のように呟くと、大きな扉のあるほうへ、ふらりと進む。
寄り道などしている時ではないが、足を止めてまでも確認しておかなければならないものが、ここにはあった。

「……ふっ――……く、う……。」
大きな扉を肩で押し開け、少しできた隙間から中へ滑り込む。
呪いのせいか、碌に動いていなかったせいか、何をするにも体が重くて仕方がない。
「はあ……はぁ……っ」
中へ入るとその内扉に寄りかかり、少しだけ休む。項垂れ、はあはあと乱れた呼吸を整えていれば、檻籠の中で怠惰にいたエルドを嘲笑うかのように、首輪から下がった銀の鎖が揺れた。
「……。」
エルドは鈍色のそれに視線を落とし、軽く握る。
“彼”はこれで、何を繋ぎ止めたかったのだろう。
繋いで欲しかったのは、身体じゃなかっただろうに。
「――っ。」
感傷に浸るのは後だ。
きゅ、と唇を噛んでそれをローブの下にしまい込むと、緩く首を振って顔を上げた。

大広間はガランとしていて、他に誰の気配も無い。
気配が――奥にあった大鏡が無くなっている!

「ミ、レー……ユ?」
息を飲み、目を擦るもやはり鏡が無い。
「どこ、に……誰が――っ」
ゆるりと首を回して辺りを見回していれば、何かざらついたものを踏んでしまい、よろめく。
足元を見ればそこには砂利のようなものが散らばっていて――ぎくりとした。
「――っ! あ、あぁ……っ」
それは、きらきらした銀色の欠片。かつてテリーに抱き上げられて連れて来られた時に見た、あの大鏡のものに似ているのは気のせいだと思いたい、が――枠の装飾や大きさは、記憶のそれと合致していた。

「ミ、レーユ……。」
落ちている鏡の破片には、暗い天井しか映っていない。
何も、誰も映っていなかった……鏡の向こうで微笑んでいた美しい人は、もう先にいってしまっていた。
彼女には予言に似た能力があったから、見てしまったのだろう。この物語の結末を。
知ってしまったのだろう、答えが一つしか無い未来を。

幼い頃に離れ離れになった姉と弟。ようやく再会できたというのに、幕引きがこのようなものだとは誰が思おう?

「……ミレーユ。君は……。」
物静かな女性だったが、弟を想う気持ちは強いものだった。
だから、先に行ってしまった。
“彼”よりも“王子サマ”よりも先に、早く。きっと、美しく微笑んだまま。
彼女は芯の強い女性だった。
だから、躊躇いなく先に行った。
……逝ってしまった。竜に身を変えたあの少女のように。

「……。」
エルドの脳裏を過ぎったのは、金色の竜の最期。
大魔女バーバレラの魂を引き継いだ少女はしかし魔王によって魔法都市ごと滅ぼされてしまい、肉体を失った彼女は幻の世界でしか存在出来なかった。
後に、納得できなかったエルドが古代魔法を解読し、その秘術を彼女に施して現実の世界でも生きていけるようにしたのだが、あれももうすっかり遠い過去となってしまった。意味すらも失って。
バーバラもまた、ミレーユと同じように逝ってしまった。想う人に寄り添って。

「……。」
どうして、とはもう問わない。彼女と同じ未来が、その結末が、エルドにも透けて見えていたから。
そして今、この物語は終わりに向かおうとしている。伝説の装備に導かれた勇者たちの手によって。
エルドが黙祷だけを捧げ、大広間を後にしようと背を向けた時だった。

不意に、足元から突き上げるような衝撃があった。
ぐらりと揺れる地面。エルドは咄嗟に壁に寄りかかり、手をついて転倒を防ぐと地面に視線を落とした。
「いま、のは……“底”か。」
かつてデュランが言っていた。この城は、ありとあらゆるものが捻じれているのだと。
その内部構造の何もかもが歪んでいるのだと、聞いたことがある。

ああ、歪んだのは建物だけでは無い。
人の心も、その存在も、きっともう――。
エルドは目を閉じ、一つ深呼吸をしてから静かな声で言葉を紡ぐ。

「……我が身、風羽を纏いて時を逆巻く――ピオリム。」
ふっと体が軽くなる。エルドは踵を返して大広間を後にすると、再び廊下の奥に向かって走り出した。
はらはらと羽根が散る。冷たい石造りの廊下に、そうして足跡めいた欠片を落としながら、エルドは真っ直ぐ地の底へ。
金色の竜が這い出て来たその場所に待ち受けている未来は遂に止めることは出来なかったが、それでも自分には最後まで見届けなければならない義務がある。――この全ての最期を。

「……なんて、な。はは。格好、つけてる、場合じゃ、ない……か。」
ふっと笑えば吐息に微かな血の味がして、自身の未来を知る。
呪いを刻み、魔と交わった人間の結果を噛みしめつつ、魔法の力を借りて先を進んだ。背中の羽根は、何処までも役には立たなかった。
空を舞う役目を、主人が果たさないせいだろう。羽搏く先が、未来ではないからだろう。
もはや光は届かないだろうが、それでもエルドは空では無く地下を選択した。

待ち受けているものは伝説の始まりと、それによって幕が下ろされる物語の終焉。
それを知った上で、勇者の偉業を成し遂げた青年は深淵の底へと降りていく。
武器も防具も持たず、非力な姿で。

ただ終わりを見る為だけに、落ちていく。

Quo moriture ruis?