Paladin Road
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おもいで抱いて煉獄へ
「ふ……人間がここまでやるとは、な。」
魔王は血を吐いて薄く笑い、満足そうな声を出した。
視線の先には、彼に傷を負わせた人間たちがいる。それは実に奇妙な集団で、数名の人間と、驚いたことに魔王と同胞でもある魔物までがいた。
魔王は――デュランは、とあることに思い当たる。今度の勇者一行には、魔物が持つ邪心を浄化して仲間に引き入れる能力を持つ者がいるということを。
ふと見れば、一行の中央前線、彼らを守るように武器を構えた男がいる。デュランは男を見て、「ああ、これが例の人間か。」と得心した。
人にしてはどうにも不思議な気配を宿した、その瞳。勇者のものとはまた違うが、それでも此処まで辿りつき、魔王の一人をこうして討伐したのだから勇者に相違ない。
俺はまた勇者に倒されたか。
運命にも似た一致。
偶然か、必然か――それとも“神”とやらの仕業か。
(全く。此処に来てようやく手を出すとは……相変わらず、悪趣味な存在だ。)
デュランは顔を顰めて口中にある血の塊を吐き出すと、身構えている先頭の男を見つめて終幕に続く芝居を続けることにした。
「よくぞ俺を打ち負かした、勇者御一行殿……いや、光のしもべと言えばいいのかな。」
「――。」
デュランの言葉に、先頭に立つ男は顎を少し引いただけだった。
杖を構えたまま、戦闘態勢を崩さない。それはデュランが瀕死の状態にしてはまだ声に覇気があり、地に膝すらもついてはいないせいだろう。
「随分と警戒心の高いことだ。……いや、本来はそれが当然の反応だったな。」
「――?」
デュランの呟きは、しかし周囲を流れるマグマの音で男に聞こえることは無かった。
魔王が失笑したのを見て男は不思議そうに首を傾げたが、杖を構えたまま口を開いた。
「貴方は話が通じるようだな。そこを通してほしい。」
凛とした声に怯えはない。男の側にいるキラーパンサーや背後に控えているスライムナイトも、デュランを前に微かな畏敬を見せてはいるものの強い眼差しで対峙している。
“伝説の魔物使い”――そんな言葉が浮かび、つい失笑を零せば男の後ろで剣を構えていた少年に睨み付けられた。
「魔王っ! 父さんを笑うなっ!」
「フェル、よしなさい。彼はそういう意味で笑ったのではないよ。」
男がデュランに視線を留めたまま、優しい声で少年を窘めた。
成程。男と少年は親子で、彼は父親を侮辱されたと勘違いしたらしい。デュランは沈痛笑いを噛み殺し、男に言う。
「息子か。随分と敬愛されているのだな。」
「ああ。私には勿体ないくらいに良い子たちだよ。」
「そうか。時に、俺が貴殿を哂ったのではないと言いきったのは何故だ?」
「私の勘だが、貴方はそういうことをする人ではないだろう。」
「ははっ、“人”か。……本当に、懐かしいものを思い出させてくれる。」
「懐かしい?」
「……敗者の言葉にこれ以上耳を貸す必要もあるまい。」
デュランはそうして会話を打ち切ると、自らの背後――薄闇の奥にある王座を一瞥し、唇を動かした。
「先に逝くぞ、我が友……“――”よ。」
「……。」
言葉の最後に何か――誰かの名前を?――呟き、笑ったデュランに男はもう何も訊こうとはしなかった。
デュランは満足そうな顔をして天井を仰いでいたが、ふと何かを思い出したように目を細めて再び呟く。
「ああ……もう一人、友が居たな。」
口角に柔らかな微笑を浮かべ、誰に言うとも無く零すは独白。
「既に飛び去ったか、それとも……此処へ落ちてくるか。」
アレもかつてはこの魔王を打ち負かし、その後で友とした。
太陽の光のような覇気を纏い王族然としていたが、夢幻の身分を疎かにせずに誰にでも穏やかに接した強い男。魔の属性であるこの存在をちっとも恐れず、それどころか腕が鈍らぬよう時折こちらが居る場所へやって来ては模擬戦を申し込み、談笑に興じた人間。
ああ、アレもまた愉快な人間だった。偽りも何もない二人目の友だった。――あの日までは。
デュランは己の手に視線を落とし、自嘲めいた笑みを作る。
「友として動けば良かったかもな。」
そうすれば彼らは今も友として己の側にあり、この世界も――……。
(――今更に過去を振り返るなど愚の骨頂だ。)
デュランは後悔めいた考えを振り払い、目の前の男を見た。
この胸中に生じた妙な感情は、きっとあの男のせいだろう。不思議な瞳を持つ魔物使いの男。もう一人の友とよく似た眼差しをした、勇者の一人。
戦いに負けたが、怒りや悔しさはない。むしろ、すっきりとした気分だった。
(これが改心というやつかもしれんな。)
だが回顧はここまでだ。デュランは目を閉じて全ての思いを断ち切ると、再び勇者一行を見て笑う。
「俺を負かした人間共よ。さあ、勝者の道を通るが良い。」
それだけを言うと、魔物使いの男が何かを言うよりも早く踵を返して道の端に寄り――。
そのまま、躊躇なく灼熱の海へ身を踊らせた。
燃え盛る業火の中、高らかに笑う魔王の声を聞きながら、男はその場に佇んでいたが、やがて首を振ると、仲間たちを引きつれて洞窟の奥へと向かうのだった。
後に、何とも言えない遣る瀬無さを残して。
◇ ◇ ◇
チャリ、チャリ、と鎖の擦れる音が誰も居ない空間に反響する。それは重い足を、体を引き摺るように歩く青年の首から下がる銀鎖の音だった。
奥に進むにつれて変わり始める周囲の光景、そして気配。
懐かしい森を抜け、水路を辿り、地下道に走る洞窟を潜り抜けた先にあったのは、吹きこぼれるマグマに囲まれた絶景の舞台。
そこには息苦しい重圧感があり、鉄の匂いすらも掻き消すほどの灼熱の空気があった。
息をする度に喉が焼かれるような熱気の中、籠の鳥は――エルドは、目の前の舞台を見て「ああ」と息を吐く。
熱気に混じる血の匂い。そこには見慣れない数人の人影があり、地面に倒れている大きな塊を見下ろしていた。
「テ――……ッ。」
エルドは一瞬眩暈がしてふらついたが、唇を噛んで正気に返る。
この結末を望んだのは自分だ。今更目を背けるなど許されない。
岩壁についていた手を離すと、ゆっくりとそこに向かって歩き出す。羽先が熱気に炙られて焦げて何枚か炎の中に落ちていったが、痛覚はない。
呪文の効果が切れたせいで一層気怠くなった体を引き摺るようにして近づいていたその時、舞台に居た一人がエルドの接近に気づいた。
ハッと振り返り、手にしていた杖を構えたが――エルドの姿を見て、息を飲む。構えていた杖を少し下げて警戒を解くと、真っ直ぐに見返して問いかけた。
「君は、誰だ?」
その声は意外と若く、穏やかだった。
エルドは、男のずっと向こうに見えている“地面の上の大きなもの”を一瞥し、それから男に目を戻して泣きそうな顔で微笑む。
Non obiit, abiit.