Paladin Road
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咎人の道
馬車が消えるのを見送った後、アレクは衰弱した王子と共に脱出を図る。
唯一の帰り道である一本道は既に崩壊に巻き込まれていて、道の端から崩れ始めていた。
完全には落ちていないが、果たして渡り切るまで持つだろうか? 走れば間に合うかもしれない、が……――ここでアレクは、隣に居る青年を一瞥する。
体力・気力共に、もはや限界だろう傷ついた体。傷つけられた背中の羽。手足に巻かれた包帯から血らしきものが滲み始めている。
こうなれば、自分が彼を抱え上げて運ぶしかない。
そう考えたアレクが声を掛けようとした時、俯いていたエルドが僅かに身動いだ。
少しだけ顔を上げてアレクを見遣り、微かに微笑む。
「……貴方、には……良い、仲間が、いるん、ですね。」
掠れ、途切れ途切れではあったがその声には憧れにも似た調子があった。唐突に褒められたアレクは驚いたが、己の右肩を貸している青年に微笑み返し、面映ゆそうに頷く。
「ああ。みんな、大切な家族だよ。」
「……俺、にも……いました。」
「――、そうか。」
過去形の言葉。アレクは一瞬息を詰め、儚い笑みを浮かべた青年が言葉の先を続けるのを聞く。
「いた、けど……もう……、……」
後の言葉を続けず、ただ目の前に広がっている炎の海を見て沈黙した彼は何を思い出しているのだろう。
何を見たのだろう。遠い眼差しをしたその瞳に混じった感情を、しかしアレクには読み取ることが出来ない。支える彼の背を撫でて、控えめに慰める。
「掛ける言葉が見つからないけれど、心中は察するよエルド王子。」
「……。」
「……ここの崩壊が進んでいる。道が崩れてきているから、走らなければいけないけれど――」そう説明しながら視線を落とし、エルドの足元を見る。
「その足では厳しいだろう? 私が抱き上げて運ぶことを許してくれないかな?」
「……は、い。」
目を伏せて頷いたエルドに「ありがとう」と礼を言うと、アレクがその場に片膝をついて彼の膝裏に腕を回した。
羽に触れないよう気をつけながら、エルドを縦に抱き上げる。そうしてよく我が子を抱いていたようにして。捕らわれの身であった彼の軽さに胸が締め付けられたが、憐れみや同情は彼に対して抱いていい感情では無い。
アレクは余計なものを振り払うと、抱き上げたエルドを連れて崩壊しつつある一本道を駆け出した。
◇ ◇ ◇
揺れる大地。上から落ちてくる岩を避け、剥がれるように崩れていく道をひたすら走る。
アレクは近づきつつある前の出口を、エルドは遠ざかりつつある洞窟の奥を見つめていた。
暗がりに残ったままの、魔王の遺骸。
最初に見た時と比べて何だか小さくなっているように見えるのは、気のせいだろうか?
「……、……。」
熱波で目がやられないよう片手で軽く覆いつつ、目を凝らしてじっと見る。異形の形と大きさをしていたソレは萎んだように縮小しており、それどころか人の姿にすら見えて――人に、戻って、いた。
まさか。
「――……っ!」
エルドが微かに唇を開くが、熱気が器官に入り込みそうになったので直ぐに口を噤む羽目になった。その間にもアレクは揺れる足元に気をつけながら、出口に向かって駆けている。
道も半分を過ぎ、あと少しで向こうへ辿り着く距離に差し掛かった時だった。
『――。』
「……、あ……?」
何かが聞こえた。……聞こえた気がした。
エルドが短い声を上げれば、ちょうど道を渡り切ったアレクが足を止めた。
「王子? どうした?」
「い、ま……」
「うん?」
見ればエルドがアレクの肩越しに何かを指差しているので、その方向を辿る。
視線を追いかけた先にあるのは、更に崩壊が進んで細くなった一本道。いや、彼が指しているのは更に奥の――。
「魔王は倒したと言っただろう? 追いかけてくることはない。大丈夫だよ。」
「……ち、がう……」
「王子?」
洞窟の奥に視線を留めたまま、エルドが呟く。
眉を寄せ、唇を震わせ、掠れた声が続けるのは魔王の死に対する安堵では無く。
「ま、だ……いる……あいつ、が、待って――……っ」
「エルド? なに――ツッ!」
弱りきっていた体のどこに、そんな力が残っていたのだろう?
ようやく辿り着いた対岸。だというのに、何かを見つめていたエルドが不意にアレクを突き飛ばした。
突然の事にアレクはよろめき、その場でたたらを踏む。その隙にエルドは抱擁から抜け出し、すっかり細くなった道に向かって駆けだしてしまった。
彼が行く先は、あの暗がり。
魔王の骸しかない影の奥。
「王子、そちらは駄目だ――戻りなさい、エルド……ッ!」
アレクが急いで後を追おうとしたが、それに合わせたように大きく地面が揺れ、上から落ちて来た石塊が唯一の進路だった細い道を直撃した。
「道が! くそッ……!」
衝撃で道の半分が溶岩の中へ崩れ落ちる。しかしエルドはいつの間にかその先を抜けていて、もう向こう岸へ渡るところだった。あの足でまさかそこまで速く走るとは思いもよらず。
「失伝魔法、か……。」
書物で読んだことがある。失われた魔法の中に、風を纏い、速度を上昇させる呪文の存在を。確か名前はピオリム、というのだったか。
しかし、なぜ彼はそれを戻る時に使わなかったのか。
……誰かを探そうとしていたことを、ふと思い出す。
「もしや、彼が会おうとしていた相手は――」
アレクは切なげに眉根を寄せる。
落ちた道。アレクはもう向こうへ行けない。
……彼の王子を救えなくなった。相手が自ら火中へ飛び込んだので。この手を振り払ってしまったので。
炎渦巻く中、魔王の躯がある場所へ近づいていく彼の人の姿が見える。
まるで恋人の元へ駆け寄っていくような足取り。熱気から顔を守りながら、アレクは悲しげに呟く。
「君は檻に戻って何をしようとしているんだ、エルド?」
折角助かったのに――助けられたのに、どうして、彼は。
断たれた道。彼が散らせた羽根が火の粉の中で燃えるのを見て、アレクは唇を噛みしめることしかできない。
「私の目の前で、また誰かが死ぬのか?」
杖を握りしめて呻く。
「……この手から命が零れていくのは嫌なんだ。……今度こそ救いたいんだ、父さん、母さん……っ。」
洞窟内の気温は依然として上昇し続けており、酷く熱い。
このままではアレクの身も危険だが、それでも彼は王者のマントで己の身を守りながら、我が手から離れた命をどうにか救い返せないかと、ぎりぎりまで考えていた。
◇ ◇ ◇
その頃、エルドは再び洞窟の最奥――魔王が倒されたあの場所に戻っていた。
そこには、まだ遺骸があった。
消えずに残っていた……残されていた。人の形で。
「……っ――」
歩みが早まる。魔王は仰向けに倒れており、動かない。側までやって来たエルドは崩折れるようにその場へ両膝をつくと、己の流す体液に塗れた魔王の体に手を伸ばした。
何の躊躇いも無く地面のソレに触れ、呟く。
「俺を、呼んだ? ……呼んで、くれた?」
掠れた声帯を震わせ、柔らかな声で問いかければ今まで微動だにしなかった地面の躯が――魔王の目が、ゆっくりと開かれた。
一対の赤い瞳がエルドを見上げる。魔王は、その口元からごぼりと血を吐き出しながら彼に応えた。
「……ああ……おまえ、か……おうじ、さま……」
それは人の声だった。
しかも、意外と若い――恐らくはエルドと同じくらいの、年頃の青年の声。
漆黒の外殻は、普通の鎧に変わっていた。その下から、暗い色をした赤が流れている。エルドはその傷口にそっと手を置くと、彼に向かって微笑んだ。
「……ようやく夢が、覚めるな。」
掠れた声でそんなことを言えば、魔王が目を瞠り――それから、笑う。
「は、は……そう、だな……さめち、まう、な……ゆめ……ああ――おわる……ここ、で……ふ、……っはは……っ」
血を吐き散らし、息も絶え絶えの中で魔王が笑う。どこか楽しそうな人の声で。
「ッハ……いま……の、うち、に……息の根、を……止めておく、のが……賢、明……だ、ぜ。」
「……。」
「さ、あ……ひと、おもい、に――殺して、くれ。」
それは、かつての言葉。堕ちた天空城、魔王の部下として倒された時に彼が口にした、人の言葉。
「いけ、よ……おう、じ、さま……おまえを、とじ、こめ、る……かご、は、もう……ない、だ、ろ……?」
その時、一瞬だけ魔王が洞窟の出口を見た。彼らの会話は勿論届いてはいないが、魔王の視線に気づいたアレクが竜の杖を構えて叫ぶ。
「エルド! そこから離れるんだ! 私と来い!」
「アレク、さん。」
会って間もないというのに、誘う声は必至で温かい。
一握の罪悪感。エルドが彼の方を振り向かないでいれば、絶え絶えに笑う声がした。
「はは……来い、だと、さ。……ほら……いけ、よ……むこう、へ……あの、光の出口、へ……」
しかし、エルドは背後を――アレクが居る方を振り向かない。
そっと魔王の手を握ると、困ったように首を傾げて微笑む。
「ばか、だな。……お前を、置いて、行くわけ……ない、だろ。」
囁くように言って、魔王の口端から流れ出ている血を指先で拭い取ってやる。
それから、その鼻先をちょんと突いて笑みを深めた。
「お前の夢は、俺の、夢だ。……昔も、今も。これから、も。」
そう言って魔王に顔を近づけ、告げるのは彼にとっての真実の希望。
「だから……眠、ろう。俺と、一緒に。……今度こそ、一緒だ。」
ふ、とエルドが優しく微笑み、その唇で魔王の名を紡ぐ。
「なあ、……テリー?」
ne vivam si abis.