空に響く焦がれ唄
6
「エイト、居るか?」
ドアを軽く叩きつつも、相手の返事も待たずに部屋の中へ入った。
ここでいつもなら、「了解していないのに勝手に入ってくるな、阿呆」などと、エイトが言い返す声が聞こえるのだが、今日は何も返答が無い。
「……エイトー?」
ここにも居ないのか?と思いながらそれでも戸に手を掛ければ、それは何の抵抗も無く簡単に開いた。
そのまま部屋の中に入ると、奥のベッドに人の影。
近づいて見れば、それが探していた当人であると気づき内心ほっとする。
ようやく見つけた。
ククールは僅かに微笑し、そのベッドの空いてる箇所に静かに腰を下ろした。
ぎし、とベッドが軋んだ音を立て、それが合図でもあるかのように、眠りに落ちていた人物が目を覚ました。
ククールはそこで、相手の警戒心の高さを思い出す。
エイトは複雑な育ち方をしたせいなのもあって、眠りに落ちているときでも気配に敏感で、こうした僅かな音でさえも感づいて目を覚ます。
共に旅をした間中、ずっとそうだった。
仲間であっても、それは変わらなかった。
ずっと。
それを、毎日のように体感していたというのに。
(……分かっていた筈だったのに、な。やれやれ、俺も平和ボケしたか?)
しくじった、と心中で舌打ちをしたが、こうなってしまえば仕方ない。
「よう。おはようさん、眠り姫。」
茶化して言えば、相手が僅かに顔を上げて眉を顰めた。
「……誰が、入っていいと……言った?」
声は寝起きの為か、掠れている。途中で欠伸を噛み殺したのか目元は涙で潤んでいて、どれをとっても、凄んでいるとは言い難い。
艶かしい光景に、背筋がゾクリとする。しかしククールは大きく息を吐いて高まる自己を微かに残る理性で抑えると、落ち着いた声で応じる。
「冷たいな。言っただろ? 俺は、お前とゆっくり話がしたいって。」
「だからって……人が寝てるのに。」
「ま、そう言うなって。それに――ほら。ちゃんと手土産は持参してるんだぜ?」
持っていたワイン瓶を少し持ち上げて見せてやれば、エイトの表情から敵意が消えた。
「……リブルアーチの限定品じゃないか。はは。やってくれる。」
それはエイトも好きな極上のワインで、人気が高く希少なのでエイト自身も中々それにありつけない高級品だった。それをこうして持参され、目の前にあれば睡眠など二の次、怒りなど三の次。
エイトは気怠い身体を起こすと、ククールからグラスを受け取った。
そして足を組み、相手にグラスを差し出すようにすれば、ククールもふざけて。
「では、お注ぎ致しましょう。」
と言い返し、恭しい仕草とわざと畏まった口調で囁いてみせた。
エイトも、そんな相手の反応が気に入ったようだった。
彼は口端を上げて頷き、
「ああ、――良きに計らえ。」
と、これまたふざけて言い返した。
グラスに注がれていく濃い暗赤色の液体が、窓から差す月光を受けて煌いた。
薄明かりの部屋、鮮明な色彩はまるでそれだけのようで。
階下の賑わいから程遠いその部屋の中で、二人きり。
◇ ◇ ◇
「何か、さ。こうして二人きりになるのって、久し振りじゃねぇ?」
ククールが笑って言うと、エイトは軽く肩を竦めて苦笑した。
「久し振り、か。まだ一月しか経ってないってのに……ククールって、寂しがり屋だっけ?」
「何だよそれ。俺はこれでも、エイトに会いたくて会いたくて、仕方なかったんだぜ? お前だってさ、俺に逢えて嬉しい~とか無いわけ? 少なくとも、お帰りくらいは言うもんだろ?」
「ああ、そういや”お帰り”って言ってなかったっけな。”お帰りなさい、ククール”」
棒読みで言い返すエイトに、ククールは眉を寄せるとグラスの中身を一気に呷った。そして側の小さな机の上に、タン、と音がするほど強く置くと、エイトの方を向いて強い視線を向けた。
「……俺は結構、真面目に言ってんだけどな?」
突然真顔で見据えられ、エイトが微笑を止める。
そして呆れたように視線を逸らすと、グラスを同じ場所に置いて、口を開いた。
「真面目に、か。……それで? どういった返事が欲しかったんだ、お前は。」
「茶化すなよ、エイト。」
「別に、茶化してなんかないけど――……」
そう言ってまたエイトが苦笑しようとすると、視界が回った。
ベッドの上に押し倒された、と気づいたのは身体の上に圧し掛かられてから。
「……酔ったのか? なら、ベッドを譲ってやるから今日は――」
「……そんなんじゃねぇよ。」
ククールが困ったように笑いながら、エイトの首筋に顔を埋めた。
他人の吐息がかかる不快感に、エイトは身動ぎし、圧し掛かる肩を掴んで押し返す。
「止めろ……気持ち、悪い。」
「慣れてないからだろ? ……俺が慣らしてやるから、気にすんな。」
「――……とっとと、退け。」
今度は殺気を込めた声で告げると、ククールが耳元で笑った。それから、ようやく身体を離した。
エイトは上体を起こすと、首筋を撫でながら相手を睨みつけて言う。
「……飢えてるのなら、余所へ行け。」
「それはお互い様だろ?」
ククールの言葉に、エイトが僅かに反応した。
「お互い様、だと?」
「――ああ。違うか?」
「……俺が、何だと?」
「飢えてんだろ、お前も。――この、世界に。」
感づかれていないと思っていた。
けれど、感じ取られていた。
しかも。
よりにもよって、こんな奴に。ククールなんかに気取られて。
それが何故か悔しくて、エイトは強く唇を噛む。
喧騒から離れた部屋の中で、獣のように睨みあう二人。
夜はまだ長い。