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空に響く焦がれ唄

8



その日、エイトは城の用事も含めた買い物に出ていた。
回る世界の日常は、どこもかしこも平和で平穏で、陰の無くなった各地は眩しいほど活気があり過ぎて――今のエイトには、少し辛い。

けれども、それらは直視しなければいいこと。
だからエイトは、なるべく焦点を合わさないようにしてあちこちを回っていた。薬草・飼料・料理などの買い入れ手続き、そして各城主に対しての返事や挨拶などなどを済ませていく。
ちなみにこれらは別にエイトがやらなくても他者に任せれば良いことなのだが、彼自身が半ば強引にその役目を引き受けることが多いのだ。
皆は、そんな苦労を厭わないエイトに感嘆・尊敬の念を抱いているが、実情は違う。

エイトは城の中で退屈に身を沈めているのが嫌だったので、わざと多忙にしているのだ。使い走りになろうがされようが、気にしない。何もせずに居るよりは、些細な事で動き回ってる方が、ずっと良い。
それに、強盗に襲われれば良い鍛錬にもなる。捕縛すれば、更に一石二鳥。
――などと、他の者が彼の人の心情を知ったら、卒倒してしまいそうなことを考えつつ、エイトは今日も外に出た。


◇  ◇  ◇


そこへは、たまたま――そう、その日は本当に、何気なく立ち寄っただけだった。
マイエラ修道院に。
何とはなしに。

「これはこれは……エイト殿ではありませんか。」
既に顔を覚えられてしまったのか、戸口に居る神殿騎士の口調は親密で、態度も軽い。
「こんにちは。」
首を少し傾げてにっこりと笑ってみせれば、相手が少し頬を染めて視線を逸らした。
エイトは相変わらず自分の美醜に対して自覚していないが、男といえども見目麗しい人物が柔らかく微笑するのは、他の者から見れば堪らないほどなのだ。
そして当人は当然だが、魅了しているとは露にも思っていないし、相手にそういう気を起こさせていることなど解っていない。

「ほっ、本日は、どういったご用件でしょうか!」
赤面し、妙にどもりながら問い掛けてくる騎士を可笑しく思いながら、エイトは苦笑を噛み殺して言い返す。
「……あ、いえ――別に、今日は用事で来たんじゃないんですけど。」
”今日は用事で”というより、”いつも用事も無く”訪問しているのだが、そんなことが普通の者に解る筈も無い。というより、悟らせるほどにエイトも馬鹿では無い。

「マル……――いや。……団長殿は、お元気ですか?」
咄嗟に出たのは、そんな他愛の無いこと。
「はい。わざわざお気遣い、ありがとうございます。」
そんな時、丁度側を通りかかった別の騎士二人組みの会話がエイトの耳に飛び込んできた。

「なあ、知ってるか? マルチェロ団長に近々縁談の話があるってよ。」
瞬間、エイトが雷に打たれたかのように硬直した。
が、彼らの話はエイトの心境に関わらず、淡々と暢気に続く。
「マジ? 何だよそれ、眉唾もんじゃないのか?」
「いやいや、それがさー。ほら、この間からウチに寄進してくるところ、あるじゃん? 何ていう名前だか忘れたけど、そこの富豪の娘がな――何と。団長に一目惚れしたんだと!」
「一目惚れ? って、いつ?」
「先週。礼拝に来た時。……この間さ、団長、丁度ここに降りてきて話してただろ。」
「ああ、院内の規律についてだか何だかってやつん時か。アレは長かったよなー……俺、居眠りしかけて懲罰喰らいかけたもん。」
「俺もだよ、それそれ。……その時に、その御令嬢が居たんだよ。そんで、もう礼拝そっちのけで、がつーんと。」
「はぁ~……それは何というか……。ま、でも団長もあれでかなり美形だからな。
がつーんと来ても仕方ないかもなぁ。」
「――羨ましいよなぁ……。」
「……全くだ。」

「……。」
彼らがそう言って笑いながら去った後も、エイトはその場に立ち尽くしていた。
今の話は、今の情報は――初耳だ。
「あ、あの……エイト殿?」
突然目の前で固まったエイトに、訳が分からず騎士が声を掛ける。
「エイト殿、いかがなされました? どこか、具合でも――」
「あ、いや――……」
エイトは直ぐに我に還ったが、今の話が気になった。振り返り、何でもない風を装って、口を開く。
「あの――マルチェロ、……団長殿、は。お見合い……でもするんでしょうか?」
「は? ……ああ、今の会話ですか。聞こえてしまいましたか、気を逸らせてしまって申し訳ない。あれらは未だ見習いから上がり立てたばかりで、躾がなっていないのです。嘆かわしい……」
「いえ、気にしてませんから。あの、それで……彼らの話は本当なんですか?」
「ええ。私も聞いたことがあります。なんでも、近く見合いでもするような――」

その後の話は、よく覚えていない。
気づけばエイトは自室に居て、そしてその床に所在なさげに座り込んでいた。

「マルチェロ、お見合い……するんだ……。」
考えてみれば、それはありえないことでは無い。
平穏になった世界は、今では全てを赦したかのように、ゆるりと一日一日を刻んでいる。
そう、世界は平和になった。
そうしたのは、自分達。
そういう世界に導いたのは、自分達の行い。

「俺は……――俺は、どうしたら良いんだ。」
あの人が安定してしまえば、俺はもう逢いに行くことすら出来なくなる。
本当に、邪魔になってしまう。
行く場所が、無くなる。
「俺は……。」
ささやかな幸せが、崩れてしまう。
そうして、今度こそ何もかもが無くなる。
――何も無い。
あるのは、毒のように緩やかな平凡が待つ日常。

「俺は……どこに行けば、良い?」
虚ろに呟き、エイトが両肩を抱きすくめる。
勿論、他に誰も居ない中で呟いてみても、答えなど帰ってくる筈も無い。