空に響く焦がれ唄
13
アレの――エイトの存在など、どうでもよかった。
最初は、自分の野望の前に立ちはだかる障壁だったが、それも過ぎてからは別にどうとも思っていなかった。
用も無いのに、ここに姿を見せに来ては、意味もない言葉を交わし、そして勝手に帰るという行動が、ただ目障りなだけの存在だった。
出会いの頃は、それなりに他人行儀な態度だった。いや、実際は敵対したこともあるのだが、世界の闇を払ってからは、何事も無かったように、ここに来るようになった。
いつも微笑を浮かべて、丁寧な口調で語りかけてきて。
――何が目的なのだろう、と最初の頃はずっと疑ってばかりいた。
しかし、目障りな存在が気にかかる存在へと。
いつしか、気持ちが変化していく。
『お久し振りですね、こんにちは。……ああ、別に用があって来たわけではないんです。何となく、その……どうしてるかなって、気になったものですから。』
『元気にしてますか? お仕事の様子を見に来ました。いや、用事は……それだけ、です。』
『こんばんは。こんな時間までお仕事ですか? 大変なんですね。……ああ、私ですか? ええと、その、えっ……と。そう、今どんな仕事をしてるのかなぁって、ふと気になったものですから。』
『……こんにちは。今日は……その、何となく顔が見たくなったものですから、寄ってみました。今日も仕事ですか? お疲れ様です。』
本当に、どうでもいいことばかりを語っていて。
本当に、何もかもが鬱陶しくて。
けれど、それが。
本当に目障りじゃ無くなったのは、何時の頃からか。
◇ ◇ ◇
あまりにも頻繁に来るものだから、こいつは暇なのか?と思ったことがある。
そして何時だったか、城に勤めている、という話を聞いたことがあったのを思い出したので、こんなことを訊いてみたのだ。
「お前には、他にやるべきことがあるのではないのか? こんなことをしてる暇は無い筈だろう。」
他意は、さして無い。
すると、何故か相手は浮かべていた笑みを僅かに曇らせたかと思うと、目を逸らして。
「私の用事は、もう済ませてありますから……でも、それでも……終わりは無いんでしょうけど……。それに、これは暇だから来ているんじゃ……いえ。まあ、そうです……ね。」
言いながら自嘲めいたように笑うその姿は、日頃見せているものより陰惨でいた。
だから、つい、
「何だ、待遇が悪いのか? だったらここへ来るか。その代わり、お前は俺の配下になり、且つ今よりも給金はかなり安いものになるが……な?」
と、からかい半分で言ってみた。
ここに来れば待遇も何もかもを下げて、貶めてやる。
そんな皮肉を込めて、何となく……そう、何となく言ってみたのだ。相手は馬鹿にされたと感じ、気を悪くするか怒りを覚えて歯向かってくるだろう。
が、それを望んでいたから仕掛けた。
――だが……。
エイトが、その言葉に弾かれたように目を上げた時の顔を見て、驚いた。
「……っ。」
今にも泣きそうな瞳を、していた。
息が止まるような一瞬間、しかしそれは瞬きする間に消えていたが。
「全く、何を言うかと思えば……お金の問題じゃないんですから。」
その言葉を吐く間に、表情は呆れた微笑に変わっていた。
けれど、そのたった一瞬に見せた顔が。
酷く強く、印象に残った。
幸せな境遇下にいる筈なのに、どうしてそんな表情をするのか。
いつも誰かが側に居て、いつも人目を引いていて。
周囲にはただ温かいものしか置いていないような。光しか似合わないような人間なのに。
なのにどうして、そんな陰を含んだ顔を、寂しい目をするのか。
どうして、こんな陰ばかりしかない場所へ来るのか。
「どうして、そんなに嬉しそうな顔をするんだ。」
声に出して、問い掛けるように呟く。今は誰も居ない空間に向かって。
気になっていた。何かが。
惹かれていた。何かに。
愚かにも、自分の力ではなく人からの指摘によって全てに気づかされたが、時は既に遅く。
――「エイトが消息を絶った」と聞かされた。
気持ちに気づいて逢いに行こう、と思い立った翌日のことだった。