Daily Life *K 【3】
他愛ない光景の中で
「……おい。そこはそうじゃない。こうするんだ。」
「あ? 何だよ。別に良いじゃねぇか、これくらい。」
「そんないい加減な姿勢で手伝われるくらいなら、何もされん方がマシだ。」
「……はいはい、分かりました。わーかったって。……この神経質め。」
「戯言を吐く暇があったら手を動かせ、阿呆。」
「……はいはいはい。」
「返事は一回で充分だ。」
「……っ。だぁぁぁぁ! あーもう、いちいちグダグダ煩ぇな!」
「姦しいのは貴様の方だろう、阿呆!」
「何だと! この仕事馬鹿!」
「仮にも兄に向かって馬鹿とは何事だ!」
「こういう時だけ都合よく兄貴面するんじゃねぇよ!」
サヴェッラ大聖堂、その執務室で。
マイエラ聖堂騎士団の元団長(現在、紆余曲折を経て大司教)と、その元聖堂騎士団騎士(現在は流浪人)が、室内で喚きあっていた。
部屋は広々としているが、こうも猛々しい大音声で満たされると耳がおかしくなる。
――というか、実は既に耳鳴りがしはじめていたりする。他に人がいないのもあってか、音が反響して聞こえる気すらしてきた。
少し距離を置いた場所にある小間机に、彼らをゆったりと傍観している青年が一人。そのこめかみを軽く揉みつつ、僅かに顔を顰めているのはトロデーン城きっての優秀上級兵士長、エイト。
彼は、雑務の手伝いに来ていたのだが、部屋に入って早々に二人が喧嘩を始めたものだから、仕事は中断中だ。
「あああああ! 鬱陶しいっ!」
「それは俺の台詞だ、愚か者っ!」
彼らの――マルチェロとククールの諍いは、いつになったら止むのだろう。
エイトは初めこそどうにか自分の仕事に集中していたのだが、姦しい上に耳鳴りが酷くなり出したので、そこで筆を置くことになった。
とにかく、雑音が激しすぎて集中出来ない。
(駄目だ……これじゃ仕事にならない。)
エイトは額に手を当て、うんざりとした顔をして溜め息を吐いた。
しばらく何かを考え込んでいるふうだったが、その内に口論しあう彼らを尻目に、そっと部屋から出て行った。そのまま部屋に戻らないのが一番なのだが、仕事を放棄したまま平気で居られる程に、エイトは器用ではない。
「えーと。とりあえず、あれとあれを出して持ってくるか。」
そんなことを呟きながら”とあるもの”の用意をするために、廊下を歩いていく。背後ではまだ喧騒が続いているようだったが、防音効果が効いているせいか然程ひどくは無いようだった。
十数分後。
エイトが戸を開けると、目の前の光景は部屋を出る前と全く同じままで居た。
「だーかーら! あんたの説明が下手すぎんだよ!」
「何を言うか! 単に貴様の理解力が低いのだろうが!」
「何だと!」
「何だ!」
(……まだやってるし。仲良いなあ。)
エイトは半分呆れながら室内に入ると、戸を閉めて小間机の方へと向かった。
あらかじめ机上の書類束を脇へ除けておいたそこへ、持って来た銀のトレイを置く。
――かちゃり、と。
トレイの上で食器が触れ合う音を立てたところで、喧騒が一時、鳴り止んだ。金属的な音に気を引かれたのか、マルチェロとククールが揃ってエイトへと視線を向ける。
「……あれ、エイト? いつの間にそんなもん持ってきたんだ?」
きょとんとした顔で言うククールに、エイトが苦笑する。
「いつの間にって……そりゃあ、あれだけ大きな声で馴れあってたら気付かないよなあ。」
「馴れ合ってなぞおらんわ!」
マルチェロがすぐさま反論の声を投げるも、エイトは一笑に付してそれを受け流し、持ってきたカップを差し出した。
「ま、とりあえずどうぞ。」
「……む。」
顰め面をしながらも、受け取るマルチェロ。
エイトは満足そうに笑って会釈し、次にククールにも手渡した。
「どうぞ。」
「ん、何だ? ――ああ、紅茶か。」
「愚か者。これはロイヤリティフレーバーだ。」
匂いで瞬時に判別がついたらしいマルチェロが、口を挟む。
「ふむ……よくもまあ、こんな高級茶葉を持ってきたな。ココのものではないだろう?」
葉の種類を言い当てたマルチェロの目利きに、エイトが笑う。
「流石は大司教様。目聡いですね。ええ、これは俺の自前です。」
「自前って……お前、これめちゃくちゃ高いやつなんじゃねぇのか?」
どこにそんな金が、とククールが訊ねかけたのを、側のマルチェロが遮って言う。
「お前は、こいつの事をどんな目で見ているんだ。こいつは、これでもかなり優秀な男なのだぞ。」
「いや、エイトの能力は俺も知ってるけどさ……そんなに高給貰ってんのかよ、お前?」
「あはは。まあ給料は貰ってるけど、それほどでもないって。」
エイトは謙遜の言葉を吐き、手にした自分のカップに口をつけた。
その答えは曖昧にしたまま。つっとククールがマルチェロの方へと視線を向け、眉を上げる。
(なあ。実際のところ、こいつに幾ら払ってんだ?)
(……そんなことを知ってどうする。)
(どうにもならねえけどさ。……気になんだよ。教えろ。)
(それが人にモノを頼む姿勢か、阿呆が。)
(こんの野郎――……!)
互いに言葉を発さず、視線だけで意思のやり取りをしあう二人を見つめながら、エイトが可笑しそうに目を細める。
「ほんと、仲良いよな。」
何だかんだ言いながら、そうして視線を交し合うだけで疎通が出来るのだから。
喧嘩するほど、仲がいい。
そんな言葉を見たのは、はてドコで読んだ書物だったか。
心地良い時間。
他愛ない光景。
穏やかな空間。
そして、その中にある、このちょっとした幸せ。
最早こうして喧嘩するのが日課になった二人の、その仲裁役を嬉しげに務めながらエイトは微笑する。
自分には兄弟が居ないから、彼らの今の距離は見ていて楽しい。
彼らが険悪な兄弟だったと、誰が知ろう?
この光景がずっと続けば良いな――と、そんな事をエイトが思い、願っていることを、彼らは知る由も無い。
「人が下手に出てれば、調子に乗りやがって!」
「それのどこが下手だ! 礼儀作法をもう一度最初からやり直せ!」
「何だと!」
「何だ!」
また喧騒を始めた二人を見つめるエイトは、今度は仲裁に入らない。
ただ苦笑を浮かべたまま、机の上に視線を流す。
(まあ、俺の持ち分は片付いてる事だし。……いいか、このままで。)
マルチェロとククールの机の上の未処理の書類束に目を向けながら、エイトは眼前の光景を鑑賞する事に決めたらしい。トレイの上からクッキーを乗せた皿を取り上げると、それを一枚かじり、ほうと一息。
――そうして、数時間後。
エイトの予想通り、彼らは徹夜する羽目になり、明け方まで互いに罵りあいながら仕事をすることになる。
が、その時間にもエイトはこの部屋にこうして居るのか、それとも先に帰っていたりするのか。
それは、その時にこの場を覗いて見なければ、分からない。
そんな未来を置き去りに、この話はここで終わる。
今だ喧騒しあう仲の良い兄弟を、そのままにして。