TOPMENU

Daily Life *K 【5】

募りすぎた寂しさの果てに



「ふっ……くあーっ、疲れたっ。」
サヴェッラ大聖堂の資料室。
山積みにされた本の前に、ククールが一人で座っていた。
書き物をしていた手を止めると、天井に向けて両腕を上げ、大きく伸びをする。すれば、ごきごきと嫌な音が聞こえた。長い時間、同じ姿勢で作業していたせいで筋肉がこわばっているようだ。
「はあ、これでもまだ半分かよ。よくもまあ、こう次から次へと忙しくなるもんだ。」
そんな独り言を零しながら、片手で肩を揉む。
暗黒神を倒し、世界に安定を取り戻したその後。ククールは騎士団を辞め、一人気ままに世界を放浪していたのだが、ふとなんとなく――本当に”なんとなく”、だ――腹違いの兄が気になったので、様子を窺いにココへやって来たのが運のツキだった。
誰かさんの尽力(いや計略か?)により、いつの間にか大聖堂の長にまで祭り上げられた兄上様は、余程、人の手が欲しかったのだろう。
ククールを見つけるなり、滅多に見せない笑み――それは丁度、獲物を見つけて喜ぶ狩人に似ていた――を浮かべると、こう言った。

「いいところへ来た。暇ならば、”少し”手を貸して欲しい。」と。
兄上様が皮肉も無しにこちらに頼みごとをするのは、非常に珍しかった。
だからだろうか。ついうっかり承諾してしまった。
……それが誰かさんの授けた策略の一旦であることに気づいたのは、恐ろしく面倒な仕事を頼まれてからのことだった。


◇  ◇  ◇


「普通、久しぶりに再会した可愛い弟に挨拶も無しで、いきなり仕事を押し付けるか? くっそ~っ! ありえねぇーっ! ……はぁ。」
相手の策に引っ掛かった以上、愚痴を吐いても仕方ない。こうなれば、とっとと仕事を片付けてしまおう――そう思い、資料として出しっぱなしにしていた本を片付けようと、棚に手を伸ばした時だった。

きぃ、と。
戸が軋む音がしたので、そちらへと視線を向けて見て――驚いた。
「……エイト? うわ~、久しぶりだな。一月ぶりか? 元気にしてたか?」
「……。」
ククールが笑いかけるも、エイトの表情はどことなく暗い。
「……エイト?」
棚梯子から降りて、エイトに近づこうと足を一歩踏み出した。
すると――エイトが、キッとククールを睨みつけるなり、勢いよく駆け寄って来た。
「おい、……!? エ、イ」
――どんっ! 
名を呼ぶより早く、エイトがククールの腕の中へと飛び込んできたものだから驚いた。
勢いに押されて後ろへ大きく傾きかけたが、それを寸前で耐え、どうにか姿勢を整えながら、ククールは声を掛ける。
「……何だ? どうしたよ。」
「……。」
「一月も会いに行かなかったから、怒ってるのか?」
「……。」
だが、エイトは頑なに口を閉ざしたまま。むっつりとした顔をして無言でいるが、それとは裏腹に、仕草を見る限りではどうやら怒ってないようだった。
何故なら、エイトは強くククールに縋りつき、その胸元へ顔を押し付けてきたからだ。ムズがる子供のような……親に甘える子供のような反応を見せるエイトに、ククールは少しばかり当惑する。
嬉しい。が、珍しい。けれど、嬉しい。
そんなことをぐるぐると考えていれば、相手がぽつりと言った。

「……逢いたかった。」
「……エイト。」
「……何で、お前……お前って奴は、逢いたい時に居なくなるんだよ。」
「……。」
「俺が逢いたくなる時に限って、何で……どこにも……。」
拗ねるような声音に、ククールはそっと天井を仰ぎ――苦笑する。
どうも、人恋しさが募りすぎたらしい……が、それでも一月会わなかっただけで、こうも人格が変わるものか。
こんなエイトは、滅多に見られない。なにせ、自分のほうから甘えてくることからして希少なのだ。
大抵は酒に酔った時だし――しかしながらこの兵士長はどうにも酒に強いので、そんな姿はほとんど見ないし見られない――その上、性格が真面目な兵士なのもあってか、弱味を曝け出すこと自体がない。
そんなエイトの、この姿。この態度。――落ちないわけがない。
ククールは相手の背にそっと腕を回して抱きしめ返し、頭を撫でて言い返す。

「悪かった。……そんなに俺に逢いたかったのか?」
そう問えば、腕の中の相手が素直に頷いた。
この反応、その仕草。そのどれもが恐ろしく可愛すぎて、ククールは嬉しくなる。
一月でこれなら、半年や一年ならば、どうなっているのだろう。
どうなるのだろう、この男は。硬質な殻を脱ぎ捨てたその中にあるものは、これ以上に甘いものなのか――。

……そんなことを本気で実行してみようかと考えたが、エイトに恋慕を抱いている輩は多く居るのだということに気づいて、止めておく事にした。
下手をすれば、そのまま掻っ攫われかねない。
いいや、最悪――寝取られる。誰に、とは言わないが。
ぶるると頭を振って考えを払うと、エイトに視線を戻す。
「ごめんな、長いこと放っちまってて。」
「……うん。」
「暫くは俺、ココに居るからさ。逢いに来いよエイト。――それか、逢いに行ってやるほうが良いか?」
「……。俺が逢いに来る。」
「そっか、分かった。でも、お前の方の仕事は大丈夫なのか?」
「――何とでもするさ、そんなもの。」
自ら仕える城で任される仕事を、簡単に”そんなもの”呼ばわりするエイトは、本当に珍しい。
それ程に、大切なものがあるのだろう。

仕事よりも、大切なもの。――ククールが大切だと。
必要とされるのは嬉しい。
求められるのが嬉しい。
昔の自分に聞かせてやりたいと思うくらいに。
「サンキュ。でも、あんまり無理はするなよ?」
エイトを強く抱き締めて、耳元で囁きかけるのはたった一言。
「愛してる。」
「ん……俺も、愛してる。」
そう言って、エイトが顔を上げてククールを見つめる。
その仕草は、おねだりでもするような。
ククールが目を細め、唇を近づける。

が。

こつ、こつ、こつ……と。
戸口を叩く音がしたのでその方へ顔を向けて、驚いた。
いつの間にいたのか、男が一人。入り口すぐ側の壁際に身を凭れさせて、二人を見ていた。
その表情は、呆れたような顰め面。
男が、ふーっとこれ見よがしに溜め息を吐き、口を開く。

「情事は仕事を片付けてからしろ。馬鹿者が。」
「っ……覗いてやがったのか、お前っ!」
エイトをちゃっかり抱き締めたままククールが非難の声を投げれば、男は――兄上様は、ふん、と鼻白んで言い返す。
「阿呆が。ドアを開きっ放しにしておいて、何を言う。文句を垂れるくらいなら、きちんと締めておけ。そもそも今はまだ勤務時間だろうが。」
「う。」
反論できない。何故なら、戸口を開けたままにしていたのはエイトだったからだ。ククールが言葉に詰まっていれば、腕の中に居たエイトが少し背伸びして顔を上げ、ククールの肩越しから口を開いた。
「なんだよ、もう少しだけ見逃してくれればよかったのに。……マルチェロの、意地悪。」
ぷう、と子供のように頬を膨らませて平然と抗議するエイトに、流石の兄上様も、これは敵わないと思ったらしい。頭痛を堪えるように額に手を当て、言い返す。
「……悪かったな、無粋者で。ならば、とっとと仕事を片付けてしまえ。そうしたら、俺ももう邪魔はせん。」
「分かりました。じゃ、ククール。とっとと片付けようか。」
「え? いや……え?」
「せいぜい睦言に励むが良い。……じゃあな。続きをするなら移動するか施錠しておけよ。」
ぱたん、と戸を閉め、皮肉も説教も無しに退出したマルチェロに、ククールが呆然とする。
まさか、見逃してくれるとは。今の地位について余裕が出たのか、なんとまあお優しいことだ。
これも世界を救ったご褒美か。
それとも、憑き物が落ちて丸くなったのか。
マルチェロだけに。
なんつって――。

「――おい。いつまでも呆けてないで、とっとと済ませるぞ。」
「ん? ああ、分かった。」
びしりとした声に、はっとする。腕の中の恋人は、いつの間にか生真面目な兵士長の顔してククールを見上げていた。
可愛かったのは、一瞬か。
それでも、珍しい一面を見せられて、ククールは嬉しいような、がっかりしたような微笑を浮かべ、そうして中途半端になっている仕事に取り掛かるのだった。
但し、今度は一人ではなくエイトと一緒に。

――片付いたら、今の続きを二人きりで。


day after day