Daily Life *K 【7】
その言葉の意味を知る
死が二人を別つまで――という言葉を初めて聞いたのは、どこだったろう。
説教好きな兄上様からの講義か、父親代わりの優しい司教様が朗読する聖書の中でか、それとも……下種な金持ちがいる家へ、嫌々”祈り”を捧げに足を運んだ道中でだったか。
とにかく、聞いたのはあまり良い状況の時ではなかったと思う。
ああ、オディロ院長との思い出を除けば、置かれた環境は最悪に近いものだった。
俺は哂った。
その言葉を。
嘲笑った。
その意味を。
永遠の愛なんてもの、俺は信じてなかったし欲しいとも思わなかった。
差し伸べた手を払われた、あの時から。
縋りついた視線を逸らされた、あの日から。
だから、何にも要らなかった。
欲しがってみせたって、どうせ一つも得られはしないのだ。
そういうことを徹底的に教え込まれて過ごしたガキは、だから逆に人の愛を操っていた。
自分の掌の上で踊る女たち。甘い声で俺に縋り、身体を絡めて強請るのは軽い愛の言葉、嘘に塗れた蜜の関係。
「愛してるぜ」
そう耳元でそっと囁きかけてやれば、相手は途端に、くにゃりとしなってこちらに陥落する。
ほら、愛なんてこうも安い価値しかない。簡単なものだ。
そうやって俺は、ずっと哂ってきた。
それはこれからも、ずっと一生変わらない。
変えることなど出来ないのだ。
――帰ることなど、出来やしない。
両親を失い、綺麗なものばかりで囲まれていた子供は、もう居ない。
そんなこんなで、すっかり諦めていた現実は、しかし俺のちっぽけな予想など簡単に笑い飛ばし、裏切ってくれるのだ。
◇ ◇ ◇
「日射病になるぞ、阿呆。」
俺はその時、芝生の上に仰向けに寝そべっていた。
最初は、その状態から空の色と雲の流れゆく様を見つめていたのだが、すぐに飽きてしまってそのまま眠ってしまったのだ。
まあ本来の目的が、空を鑑賞することでも芝生に寝っ転がることでもなく、人を待っていたのだから構いやしない。
その待ち人が、ようやくやって来たわけだ。
トロデーン城の兵士長サマが、直々に。
俺は眼を開けて、相手を見ようとした。けれど視界に入ったのは、身を屈めてこちらを覗う男の姿。逆光になってはいるが、相手が眉を顰めているのが分かる。
「何でまたこんな日陰の無い場所で寝てるんだ、お前は。阿呆か。」
馬鹿にしたような口調だが、その声には心配げなものが混じっていた。
こちらの身を、本当に案じてくれているのだろう。阿呆、と二回も言われたが、気にかけてもらっているということが嬉しくて、口元が緩む。
「酷い言い草だな。お前を待ってたってのに。」
「こんなところで待つな。城で待てよ、城で。トロデーンの兵士たちは、お前の顔を知っているんだ。中に入れば、きちんと客人として扱うぞ?」
「客人、か……興味、ねぇし。」
そう言って、自分の影が日陰になるようにして相手が日差しから守ってくれているが、それでも肩口からちらちら覗く陽光が、やはり眩しい。
目を細めながら応対していれば、何かに気づいたのだろう。相手が溜め息を吐いて、言う。
「俺に用事があって来たんだろうが、まあ、とりあえず起きろ。というか、そろそろ立て。城へ行こう。冷たい物を用意して迎えてやるから。」
そういうなり、背を向けて歩き出そうとするので、慌てて相手のその足を掴み、俺は言葉を繋いだ。
「ちょっと待てよ、エイト。」
すると、足を掴まれてがくりと体勢を崩しかけた相手が――エイトが、じろりと俺を見下ろし、眉を顰めた。
「……急に足を掴むな、阿呆。危ないだろう。」
「冷てぇな。――ん。」
エイトの足から離した手を、そのまま僅かに持ち上げてみせた。
相手に向かって差し伸べる――手。
エイトが、俺の顔と差し伸べた手を交互に見て、首を捻る。
「……? 何だ? 何かのジョークか引っ掛けか?」
兵士という職種に属しているせいか、エイトは大概、疑り深い。まあ、こういう性格も好きなわけだが。
俺は苦笑交じりに笑うと、手を差し伸べたまま言い返す。
「いちいち裏読みするっての。……起こしてくれ、ってオネダリしてんの、分かんねぇかな?」
「オネダリ……って。何をまた子供みたいなことを。」
エイトは呆れるべきか、それとも馬鹿にするべきか悩んでいるような顔をした。
けれど、なかなか手を掴んでくれない俺のほうが先に焦れてしまった。
過去の思い出も手伝ってか、つい相手をじっと見て――。
「……俺の手を、とってくれ。」
――なんて、思わず情けない声を出してしまった。
エイトが目を丸くし、眉を少し下げて苦笑した――かと思うと、すぐさま誰もが見蕩れるような優しい微笑を浮かべると、そっと身を屈めて俺の手をとった。
「全く……仕方ない阿呆だな。――ほら。」
差し伸べた手を掴み、柔らかな勢いをつけて、エイトが俺を引き起こす。
そして、俺の服のあちこちについた草などに目敏く気づき、ぱしぱしぱし、と手で払い落としてくれた。
まるで母親のような優しい仕草。
けれど、今の俺が欲しいのはそういうものではなく。
「エーイート。もう良いって。ガキじゃねぇんだから。」
埃を払う手を途中で掴み、そのままエイトの身体を引き寄せた。
「母親の真似事みたいなのは止せって、言ってるだろ?」
俺の言葉に、エイトが片眉を上げて俺を見返し、困ったように笑う。
「ガキみたいな真似をしてみたり、かといって望み通りに扱ってやれば拒絶するとか……。はあ。何が不満なんだ、この聖堂騎士サマは?」
俺の抱擁からするりと抜け出し、エイトが肩を竦める。
「俺じゃ不満か、ククール? お前の手をとっても、足りないのか?」
「エイト? 何を……」
そこでエイトが厳しい顔をして俺を見据え、強い口調で言い繋げる。
「お前の価値観なんか知らないし、その過去にも興味はない。」
ずばっと言い切ったその言葉に、一瞬がつんとした衝撃を喰らう。
けれど、そこから直ぐに注がれた言葉はそれを打ち消すものでいた。
「お前が一体どんな考えでいるのか知らないけどな、俺は母親きどりでいたことなんか一度もないぞ。」
「あ、いや……俺は別に、そんな……」
どう答えたものかと言い淀めば、エイトが唐突にこんなことを言った。
「この際だ、はっきり聞こうククール。……お前は俺が好きだな?」
「……はぁっ!?」
きっぱりとした口調で訊ねたそれは、有無を言わせない詰問。
答えは一つしか許されていないだろう、質問という名の――尋問。
「好きなんだろ? 見当外れか? 俺の思い上がりか? 違うよな?」
「あ、ああ、違わない……、……好き、だけど……」
なぜ俺が戸惑う側になるのだろう。
どちらかといえば、こういう恋愛における駆け引きは、こちらの方が場数を踏んでいて有利なはずなのに。
俺の答えに、エイトは両腕を組み「良し」と満足げに頷いた。
「そうだろう。俺もお前が好きだ。」
「う……え、あ、……おう。」
嬉しいはずなのに、何故か盛大に戸惑ってしまう。
エイトが強気なせいだろうか。引き攣った笑みを浮かべる俺を見て、相手がそこで不意に相好を崩す。
「だからこれは、両思いというやつになる。」
そう言い切る表情には、先程見せたあの笑みが浮かんでいた。柔らかで優しく、そして眼差しが愛しいあの表情が。
愛しい?
――愛?
ああ、これが愛というやつか。
何て威力。
何て効果。
妙にどきどきしている自身の心臓に手を当てながら、俺が呆然とエイトの笑みに魅入っていると相手がズカズカと距離を詰めてきた。
そして、すいと流れるような仕草で俺に手を差し伸べ、言う。
「俺の手を取れ、ククール。」
「あ、ああ……。」
言われた通り、エイトの手を掴んだ。
するとエイトが笑い、握り返す。
「ほら。こうしてみると、どちらにも当て嵌まるだろう?」
「え?」
「手を差し伸べるのと、差し伸べた手を掴むのは同じだ。与えるのも、与えられるのも同じなんだ。お前だけが望んでるんじゃない。……俺だって、同じだ。」
「お前――……」
「俺は手を離さない。だから、お前も手を離さないでくれ。」
そう言うなり今度はエイトが俺を引き寄せ、抱きついてきた。
「約束しよう、ククール。一緒にいることを。」
「死が二人を別つまで――……ってやつか?」
声にからかいを交えて言えば、エイトが顔を上げて苦笑する。
「良いタイミングで出してきたな。無駄に遊び歩いていたわけじゃないのか。」
「無駄に、っていうのが引っ掛かるが……ま、そこは経験値の差だ。」
ようやく本領発揮が出来るかな、と思いながら俺はエイトの顔を覗き込み、言う。
「一緒にいよう、エイト。死が二人を別つまで……つーか、別たれても離れてやんないけど。」
「表現は加減して言えよ? 下手したらお前それ、変質者。」
「煩いな。オコチャマは黙っとけ。いいから、返事は?」
「どっちがオコチャマだ……はいはい。じゃあ俺は、お前が嫌がっても憑いていくからな。」
「……着いていく、だよな?」
「さてな。どっちでも好きなので変換しとけ。」
ツンとわざと素っ気ない振る舞いでエイトが離れ、大きく伸びをする。
「ま、細かい話は城で話そう。暑い。脳が溶けてククールになる。」
「ククールになる、ってどういう意味だよ?」
「そのまんま。」
「てっめ――こら……!」
「おいおい、鬼ごっこか? 勘弁してくれよ暑いって――……」
笑いながら追いかけ、追いかけられながらトロデーンへ走っていく俺とエイト。
最初は馬鹿にしていたんだ、愛なんて。
本当に、要らないと思っていた。
でも今は――前言撤回。
このままであれば良いと思う。
俺の願いを、叶えてくれ。
このままで。
――死が二人を別つまで。
などと言わず、それすらも超えて共に生きよう。