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Daily Life *K 【9】

雨の日、大樹の下で



雨が止まない。
物凄い音を立てて一斉に降り出した雨に見舞われ、考えを纏めるよりも先に体が動いた。
『嘘だろ!? マジかよ……!』
『何で雨が……さっきまで晴れてたのに!』
共に空に向かって悪態を吐きながら、豪雨の中を駆けた。

気づけば繋いでいた手。
それには互いに気づかない振りをした。


◇  ◇  ◇


逃げ込んだ先は、緑萌える大きな木の下だった。
樹々の間を通り抜けて雨が落ちてくるが、それでもこの眼前の土砂降り具合を見れば、傘としての役割は充分果たせていると思う。
「……ついてないなあ。」
恨めしそうに空を見上げて呟けば、隣に並んだククールが苦笑する。
「ま、空も機嫌の悪い時があるんだろ。そんなに咎めてやるなって。」
「……別に、咎めてるわけじゃ――」
「ん? でも、機嫌が悪そうに見えるけどな。エイトは雨が嫌いなのか?」
柔らかな声でそう問われ、思わず隣を見れば、かちりと目が合った。
絡む視線。
くすり、と余裕のある微笑を向けられて。
どきり。
慌てて目を逸らし、口を尖らせる。
「……き、嫌いじゃない、けど……」
「けど――?」
「……煩い。突っ込んでくるな。」
ムッとして言い返せば、隣で忍び笑う気配。やがて沈黙。
他にすることが無いので、そのまま二人して空を仰ぐ。

静寂。
叩きつけるような雨音に、他の音が消された世界。
一本の木の下で、雨宿りする男が二人。
ずぶ濡れで、二人きり。

「あーあ……ほんと、ついてないなぁ。」
長すぎる沈黙に居心地が悪くなって、エイトは先程と同じことを呟いてしまった。
あっと気付くも、口をついて出てしまったものは取り消せない。視界の端で、ククールの肩が震えるのが見えた。
「それ、さっきも聞いた。」
そう言って、視線の端で相手がまたふわりと微笑うものだから。
「うっ、煩いな。独り言なんだから、聞き流せ!」
優しい声がくすぐったくて、何だか恥ずかしくて、エイトは思わず怒鳴ってしまい、再びツンと顔を背けた。

雨の音は相変わらず煩いままで、一向に降り止む気配が無い。
僅かに冷えた空気。
濡れて重くなった服。
肌に貼りつく髪。
そう広くない木陰に立つククールとエイトの間には、微かに不自然な距離が開いている。
触れそうで触れないその間隔に対して、エイトは何でもないふうを装っていた。
気にしない、気にならない、気になんかなっていない――と心の中で呟くのに、どうしてもその隙間を意識してしまっている自分が居て嫌になる。
そっと、深い溜め息を一つ。

(……俺は阿呆か。なに動揺してるんだよ。)
顔を伏せつつも、そろりと目線を上げて隣の様子を窺う。
ククールはというと、額に貼り付いた前髪を掻き揚げて、鈍色の空を眺めていた。
髪から雫が流れて頬を通り、顎を伝って落ちる。

ぽたり。

「……。」
一瞬、思考が止まった。
そのまま、ぼんやりと「何か、女性が熱を上げるのも仕方ない気がするな。コイツって、何だかんだいって、かなり格好良いし」――などと、自分自身でも気づかぬうちに、ぶっ飛んだ感想を考えていた時だった。
エイトの凝視に気づいたククールが顔を向け、ふっと相好を崩す。

「何だよ、さっきから。もしかして、俺に見惚れてるワケ?」
冗談で言ったつもりだった。
そんなことを言えば、相手が怒るだろうことを予想して。
けれど返された反応は。

「ああ、うん。――格好良いな、って思って。……見惚れてた。」
「――っ!?」
驚いたのは、仕掛けたククールの方だった。
エイトからそんな素直な賛辞を受けたのは初めてだったから、妙にどきりとしたのもある。
「エ……イ、ト?」
どぎまぎしながらも向き直り、距離を詰めてみた。
こつりと触れる肩。相手が特に嫌がる素振りを見せないので、その肩口に手を置いて顔を覗き込む。
「なあ。いま、何て言った?」
「……え?」
魅了されたままで半覚醒状態なのか、エイトがぼうっとしたようにククールを見る。
「なに、って……格好良いな、って。」
「――。」
「――。」
後に続く沈黙。
雨の音だけが、ざあざあと聞こえる。
絡む視線。
どちらともなく距離が、顔が近づいて。

――そのまま、口付けをひとつ。

「……あっ!?」
ちゅっとした音を立ててククールが唇を離せば、エイトがそこで正気に返ったのか、ハッとして口元を押さえた。
よろりと一歩後ろに下がると、首を横に振って呻く。
「ちょ、ちょっと、待った……今のは、違う……!」
「違うって?」
下がったエイトに合わせるように、ククールが一歩進み、距離を詰める。
「お前、俺のこと褒めてくれただろう? 格好良いって。」
「ち、ちがっ……あれは、ちが、違う……っ!」
何かに酷く狼狽しているエイトの姿を見ながら、ククールは苦笑して手を伸ばした。
腕を掴むとそのまま自分のほうへと引き寄せ、耳元で囁く。
「違うって、何が?」
「いや、そのっ……ち、違うんだ。さっきは、ちょっと考え事してて……!」
「考え事って、何を? 俺を見ながら、どんなことを考えてたんだ?」
「だ、だから、それは……――っ!」
ぐるぐると、エイトの頭の中で色々なことが渦巻く。

ククールが格好良いから見てた、とか。
雨で濡れた姿が妙に艶めかしくてドキドキするな、とか。
考えていたのは、いま思い返せば不埒なことばかりで。

「おおお、俺は、別に、そんな! 違う、違うんだ! だって、雨が降ってるから! 雨、雨が……なかなか止まないから!」
だから、考え事に集中してしまって。
いつもは気にしないようにしていたことを、気にしてしまって。
「そんな言い訳、初めて聞いた。」
腕の中のエイトをぎゅうと抱きしめ、ククールが笑う。
「お前って、嘘つくの下手すぎ。」
エイトが自分を見て何を考え、何を思っていたかなんて、全部お見通し。
だって、自分も同じことをそのまま考えていたのだから。

「……ほんと、時々恐ろしく可愛いよな。」
「だ、だから! 俺は何も……!」
「分かった分かった。続きは、帰ってからな?」
「つっ、続きって……あ、阿呆――!」
雨が降って、良かった。
珍しい反応が見られたから、実に良かった。

「今日はツいてるな。」
ククールは空を見上げ、ひっそりと笑った。


day after day