Daily Life *K 【11】
Vanishing Voice
風邪を引いた。
悪いことに熱まで出て、そのまま寝込んでしまった。
そして、止めに。
喉を痛めて、声が出なくなった。
そんな最悪な日が、一週間も続く羽目となった。
これは、その時の話。
◇ ◇ ◇
「エーイートー。生きてるか?」
ククールが、笑いながら部屋の中に入ってきた。
通常ならば殺意を覚えているところだが、その動作はあくまでも静かなもので、寝込んでいるエイトを気遣っている様が見て取れる。
手には、銀のトレイ。その上には、グラスと水の入ったゴブレット。そして湯気の立った粥の皿。それらがどうしても触れ合って音を立ててしまうのが困りものだったが、これだけは仕方ない。
名を呼ばれた本人はというと、ベッドの上。
ぐったりと横になったまま反応すら返さない。
「エイト? ……寝てるのか?」
そっと名を呼んで側に行けば、そこで相手がようやく僅かに身体を動かして視線を向けた。
「……。」
気怠い視線、纏う気配、漂う空気。どれもが力の無いものでいる。
「何だ、起きてるのか。どうだ、具合は。ちょっとは回復したか?」
「……。」
無言のままエイトが苦笑してククールを見返し、そして微かに首を横に振った。
「ああ、その分じゃまだ辛いみたいだな。」
ククールはそう言って笑うと、枕元にある机にトレイを置き、ベッドサイドに腰掛けた。
ぎし、とベッドが軋んだ。
「熱は?」
手を伸ばし、エイトの額に触れる。――まだ、熱い。
「……なかなか下がらないな、熱。……飯、持ってきたけど、食えそうか?」
「……。」
エイトは眉を寄せ、暫く考える素振りを見せた後で頷いてみせた。しかし、それを見たククールはエイトの額を軽く指で弾く。
「熱が高くて辛いくせに、強がるな。俺は敵じゃねえんだから、素直に弱味見せとけっての。」
そんなことを言えば、エイトが不満そうもククールを睨んだ。熱で潤んだ目はちっとも怖くない。ククールは苦笑を浮かべて弾いた箇所を撫でてやる。
「まあ、何か食べておかないと薬も飲めねぇしな。……やれやれ。」
ククールは大袈裟に肩を竦めてから、エイトに覆い被さるようにすると、そのまま掬う様に上体を抱き起こした。その身体は、ひどく熱い。
(まるで熱の塊だな。)
そんな事を考えながらエイトの熱に触れていると、腕の中の相手が身じろいだ。
どうした? と顔を覗きこんでみれば、眉根を寄せて睨んでいる。
「……。」
何をするつもりだ、風邪がうつるだろう阿呆――と、目が、咎めるような色を帯びていた。けれど発熱のせいで目は潤んでいるので、妖しい輝きを放っている。
(そんな双眸で見つめられたコッチは、堪ったもんじゃないんだがな……。誘ってるのか? )
ククールは心中でそう呟くと、口端を上げて苦笑じみた笑みを浮かべた。
さすがに、病人を襲うのは常識的にマズイ。
「悪い悪い、ちょっと考え事してて、な。……よっと。」
片手でエイトを胸の中に置き止めると、もう片方の手でトレイを引き寄せた。
「そのまま俺に寄り掛かってろ。動くなよ?」
そして完全にエイトの身体を自分に預けさせると、空いた両手に粥の皿とスプーンを持った。
「ほら、飯――つっても、そんな状態じゃ一人で食べるのは無理みたいだな。」
「……。」
エイトが首を振って否定したが、弱々しい動作なので説得力が無い。
「……そんなザマで、何を否定してんだか。良いから、そのままで居てろ。俺が食べさせてやるから。」
ククールが熱を飛ばすように、粥をざかざかと掻き混ぜる。
「そんなに熱くはないと思うけど……どうだ? ふーふーしてやろうか?」
ククールが、にんまりと笑ってそう言えば、相手は呆れたような表情をして、溜息を一つ。
「……。」
「何だよ、その反応は。――はいはい、馬鹿なこと言って悪かったゴメンナサイ。」
どこか拗ねる様に吐き捨てて、スプーンをエイトの口元へ持っていく。
「ほら……――口、開けて。」
「……。」
エイトは少し戸惑う素振りをしたが、黙って言われたとおりにした。
形の良い唇が薄く開かれ、中から赤い舌が覗く。
(……うーわー……やべぇ……。)
唯でさえ、熱で上気した頬に潤んだ瞳で理性が飛びかけているというのに、更にこの光景。
(落ち着け、俺。幾らなんでもこんな状態のエイトを襲うのはヤバイだろ。人として。)
「ん……。」
「っ、……おお? な、何だ、どうしたエイト?」
「……、……。」
エイトの口が僅かに開閉し、視線が水の入ったコップに移る。
「あ、水か。悪い――ほら。」
慌てて皿を置き、コップに換えてエイトの口に近づけた。
「……。」
こく、こく……と、水を飲む度に白い喉が上下する。艶かしく。
(……いやっ、だからっ……!そんな事を考えるなってのに!)
「……、ぁ……。」
掠れた吐息がククールの耳に響いた。
「……お前な、俺の努力を無駄にしてくれるなよな。」
「……?」
エイトが不思議そうな顔をしてククールを見上げた。ククールは、何でも無ぇ……と言って、またコップを傾けて水を飲ませてやった。
(そういや、ここ何日か、こいつの声まともに聞けてねぇよな……。)
何とか理性を押さえつけ、一息つきながらククールは、ふとそんな事を思った。
「……。」
ククールは無言でエイトに手を伸ばすと、その頬を軽く撫でた。
エイトが、「?」というような目で見る。
「ん、いや――早く、元気になれよな。」
ククールの言葉を聞いて、エイトがコクリと頷く。
「声、聞きたいから……また、名前を呼んで欲しいから。」
「……。」
エイトの顔が、僅かに曇った。
頬に触れているククールの手に擦り付くと、相手を見て口を開く。
「……、……。」
声にならない声。言葉こそ無いものの、ゆっくりと動いた唇が形どったその無音の言葉を、ククールは読むことが出来た。
『愛してる、ククール。』
ククールが破顔する。
「……サンキュ。俺も、愛してるよエイト。ほんと、早く治せよな。」
声が無くとも、確認できる思いは変わらず。
少しの不安と、けれど幸せを感じて。
今はただ、エイトが元気になるのを大人しく待つククールだった。
ちなみに余談だが、エイトが完全復帰した後に、ククールが速攻に色々溜まっていた分を消化したのは言うまでも無い。
そしてエイトは別の意味で暫く寝込むことになるのだが、それはまた、別のお話。