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Daily Life *K 【12】

青い空と涙



「はぁ……今日も暑いな。」
トロデーン城の、屋上。
バルコニーから眼下に広がる光景を見つめながら、エイトは眉根を寄せて呟いた。
天気が良いのは、ありがたい。
洗濯物も良く乾くし、緑が鮮やかで眩しいし、時折吹く風も、気持ちが良い。
でも、やっぱり。

「……暑い。」
汗を拭いながらバンダナを取れば、解放された髪が嬉しそうに風に凪いで揺れる。
ああ涼しい。少しだけだが。
今日も一日が、平和に過ぎていくのだろう。
疲れつつも、平穏な日々に目を細めて息を吐いた、その時だった。

「だ~~~れだ?」
視界を何かが遮ったのと同時に、背後から掛けられた声には聞き覚えがあった。
考えるまでもなく、訊かずもがな。
エイトの溜め息が深くなる。

「……ククール。今度は何しに来たんですか。」
そう問えば、視界を覆っていた手が離れ、相手が――ククールが前に回り込んできて、笑う。
「相変わらず素っ気無ねぇな、お前は。」
「あのですね……ニ、三日置きに来ては仕事の邪魔をするんですから、愛想も無くなりますよ。」

……嘘。
本当は、逢いに来てくれて嬉しい。
暑い中でも、雨でも。
逢いたい時に、ククールは来てくれる。
でも、そんなことを容易く言えるほど器用ではないから。

「……もう少し、自粛してください。」――なんて、素っ気無く答えてしまう自分が嫌になる。
でも、ククールは笑って――「悪い悪い。でもさ、お前って働きすぎるだろ? ちょっとくらいは俺が邪魔してやらないと、駄目なんだって。」と優しくおどける。
「……詭弁っていうんですよ、それ。」
……これも、嘘。
本当は嬉しい。その気遣いが。
悪びれずに言って自分を悪者に仕立てようとする、その心意気が。
「……。」
嬉しすぎて、顔が赤くなる。
羞恥ではなく歓喜からのそれに火照る頬の熱を自覚し、慌てて顔を逸らせばククールが首を傾げた。
「ん? 何だ。どうした、エイト。」
分かっているくせに、気づかぬ振りをして話しかけてくる。
その、余裕な態度が。

……好きだ。

「……何でも、ないです。汗を拭いただけです。」
「ああ。今日も暑いもんなぁ。――あ。そうだ。」
エイトに同意し、うんうんと頷いていたククールが、そこで言葉を切った。
不意に途絶える会話。その代わりに、何やら後ろでごそごそとする気配がする。

何かをしている? ……何を?
不審に思い、振り返った瞬間――。

「ほら、これ。」
目の前に、何かを差し出された。
距離の近さに焦点が合わず、ぎくりと後ずさったところで、それの正体が判明した。
「あ。これ……オークニス、の?」
謎の物体の正体は、オークニス名物「氷柱アイス」。隠し味に使われたヌーク草が、ちょっとした病みつきになるという不可思議な人気の地方産物。
溶けていないところを見ると、ヒャド系の魔法で保冷でもしながら持ってきたのだろう。
本当に、この神殿騎士は気が利く。
「暑いときに食べると美味しいんだよな~。嫌いじゃないだろ、こういうの。ほら、受け取れよ。」
「あ、うん……。」
促されるがままに、受け取った。
ひやり、と微かに漂う冷気が気持ち良い。このまま額や頬に当てると、さぞかし気持ちが――。
「こらこら、ぼーっと見つめてんな。早く食べないと、溶けちまうぜ。」
ククールの苦笑に我に返り、慌ててそれを齧った。
「……。」
口の中に広がる清涼な冷たさ。ほのかな甘みと、ヌーク草の不思議な香味が絶妙に混じり合っており、初めて口にするものだったが……美味しい。
「お前さ。働きアリみたいにきりきり働くのはいいけど、ちゃんと自分自身も休ませろよ?」
城の外壁に寄りかかりながら、ククールが言う。声音に、どこか諌める色を含ませて。
「……それなりに休んでるよ。」
図星だったものだから、むっとしながら言い返せば、隣で相手が溜め息を吐いた。
「馬ー鹿。そう簡単に俺を騙せると思うな。分かってるんだぞ、俺は。」
「だ、騙すって人聞きが悪いな。分かってるって、どういう意味だよ。」
「俺に逢いたいくせに、無理して仕事してるところ。」
「な、っ……う、自惚れるな……!」

――何で知ってるんだよ!?
思わず出掛かった台詞はどうにか飲み込めたものの、弱々しい声での反論は相手にどう受け取られたか。
「自惚れで、結構。本当の事だろうし?」などと、平然と言い切り、あまつさえコチラを一瞥してウインクまでしたのを見る限りでは、もうばれているのだろう。色々と。
顔が良いから、嫌味に見えない。
仕草が様になって、格好良い。
――だから嫌なんだ。変な意地を張ってしまう自分が格好悪く見えるから。

「……阿呆。」
甘くて美味しいアイスが、今は少し……塩辛い。

「泣かせるために来たんじゃねぇんだけどな?」
苦笑いしたククールが、そのまま肩を抱いてきて、そっと引き寄せた。
「あーあ。折角のアイスが、溶けてるし。」
棒だけになった「アイスだったもの」を握り締めて泣く俺を見て、ククールがからかう。けれど、溶けたアイスでベタベタして汚れている棒を手からそっと抜き取り、小さな風の魔法でバラバラにして空へ舞い散らせたのと同時に、別に持っていた携帯用飲料水で俺の手を洗い流してくれた。
この男は時々、こういう年上らしいところを見せてくるから嫌だ。
止めになるから、本当に嫌だ。
「子供扱い、するな。」
どうにか言えた台詞は、けれどもやっぱり弱くて震えてしまった。
「だっ、大体、この涙はお前が馬鹿なことを言ったせいなんだからな……!」
「はいはい、そうだな。俺のせいだよ。俺のせいで良いから。」
ククールはそれでも、気分を悪くした様子を見せない。苦笑しながら俺の頭をポンポン叩くその手の力加減が、見つめる眼差しの柔らかさが、なんだかもう全部「止めのトドメ」になった。

「……ゴメン、な……。」
「ん? 何?」
「逢いに行かないで、ゴメン。……俺、」
「謝るなよ。その分、俺が来れば済むことなんだから。だから、ほら、泣くなって。」
「俺……本当、は……っ」
「分かってるって。嬉しいんだろ? 知ってるって、それくらい。さっきも言っただろ。俺、自惚れてるからさ。」
「うん……うん。」

隣で、笑う人が居る。
隣に、優しい人が居る。
そんな現実が、本当はすごく嬉しい。
この夏の暑さでも、溶けることはないこの関係、この事実。

「……ところでさあ、エイト。ちょっとしたお願いがあるんだけど……聞いてくんねぇ?」
「……ん? 良いよ。何だ?」
気持ちもすっかり落ち着いたので顔を上げれば、太陽のような笑みを浮かべたククールが、「ちょっとしたお願いごと」を言う。

「今日、お前の部屋に泊めて。」
「……は?」
なんだ突然。いや、宛がわれている部屋は階級的にそう狭くはないから、構わないのだけれども――しかし、珍しい。いつもは泊まっていかず、どこか近くの町に宿をとるか、そのままマイエラに戻るかなのに。
一体、どうしたのだろう?
マルチェロと喧嘩でもしたのだろうか?
疑問をそのままぶつけてみれば、ククールが身体を摺り寄せてきて囁く。

「いやさぁ……久しぶりにお前の泣く顔みたからさー……我慢、できなくて。」
「……あ?」
嫌な予感がする。実にイヤ~~な予感が、ヒシヒシとする。
すりすりと寄せられた身体、その一点が触れた瞬間、全てを悟ることになった。

「おい……ちょっと、待て……ここでは……」
城では、させない約束だ。
周囲――特に王と姫――の手前、声など聞かれては一大事だからだ。
その約束は、結構きっちり守られていた……筈だった、のに。今までは。――今この時までは!
顔が強張るコチラに対し、ククールはその整った顔でにこやかな笑みを作って、言いのける。
「声を押し殺して喘ぐエイトもいいかな~、って想像したら、我慢の限界がきた。無理。」
「んな、っ……この、阿呆っ! ふざけるな、一度くたば――」勢いよく殴りつけようと拳を握ったが、不意に膝から力が抜けた。
「あ、……あれ……?」
暑さにやられて脱水症状でも起こしたか?
一瞬そう考えたが、しかし何かがおかしい。脱力と同時に、身体の芯が熱くなってきた。
疑問に思いながらククールにしがみ付き、何とか体勢を立て直そうとしているその耳元で、相手がくつくつ笑って囁きかける。

「効くだろ、それ?」
「……は? 何、を……」言いかけて、ざあっと血の気が引いた。ククールの顔を仰ぎ見ると、やけに艶めいた微笑が浮かんでいる。
まさか。まさかまさかまさか。
さっきの、あのアイス――コチラが言いかける台詞を察したのか、ククールがにこりと笑って答える。

「そ。実は、ヌーク草じゃなくて別のもん混ぜてみた。」
「な、な、な……!」何を混ぜた、と眼で問えば。
「見当ついてるくせに。」
情欲で濡れた視線を向けて、相手が憎たらしく笑う。
多分、きっと。
いいや恐らく最初から嵌めるつもりだったのだろう。
「こ、の……!」
泣いた自分が馬鹿だった。
これを大人で格好いい男だと思った自分を、殴ってやりたい。

「じゃ、エイト――部屋に、行こっか。」
ひょいと簡単に肩に担ぎ上げられて、意思を尊重されることなく運ばれていく。
青い空が揺れる。ああ、先程の甘やかなノスタルジーは何処へ。

「青い空なんか、大嫌いだーーっ!」
などと泣きながら叫んでみたが、周囲に人気は無く、無駄に山に響いただけだった。
ある暑い、青天の日。
もう少しククールに警戒心を抱こう、とエイトが学習した日。


day after day