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Daily Life *K 【13】

真夜中の蒼の中で



気温の低い地域一帯の夜は、暗い。
青は何よりも色味が強く、闇はどこよりも深く。
そして、空気は全てを凍てつかせるほど冷たい。
冬は、感情から何からを麻痺させる。

だから、冬は嫌いだ。


◇  ◇  ◇


「……。」
しかし、冬が嫌いだと言っても城勤めの身で在る以上は、そうも言ってられない。
寒空の中での夜勤は、何度経験しても慣れない役目。

「……。」
ココは、トロデーン城の屋上。
そしてその陰に、冷たい風から身を守るように外壁に凭れかかって夜空を仰ぐ兵士が、一人。
言わずもがな、当城きっての優秀上級兵士、エイトである。

彼は夜目が利くのもあってか、こうして屋上に配置されることが多い。
この屋上は城の周囲一帯を望める所であり、また誰よりも早く異変を悟れる重要な場所なのだ。
故に、非常に優秀で能力の高いエイトが適任とされた。だから、エイトはココに居る。
屋上は広いが、さりとて人員を増やして警備させるものは何も無い。
それが理由なのか、誰が定めたのかココの配置人員は一人と決まっている。

だから、エイトはココに居る。
たった、一人で。

「……はぁ……。」
両腕を組んだ姿勢で夜空を見上げるエイトが、何度目かの溜め息を吐いた。
とにかく、ココは寒い。
一応、それなりにしっかりとした防寒対策をしてきているのだが、それらの耐寒性を上回るのか、何をどうしても寒いままでいる。
しかし、寒い寒いと連呼してみたところで、気温が上がるわけでも無い。
「……はぁ。」
だから、エイトが口から漏らすのは溜め息だけ。
ちなみに愚痴は、誰かに聞かれると敵わないので口にしないよう常に心がけている。
ミーティア姫の耳に届いたら、事だから。
あの優しい姫君に心痛を抱かせてしまうのは、申し訳ないことなのだ。
共に旅をした仲間でもあるが、全てが正常に戻れば、身分差も元に戻る。
家臣は、身分を弁えて行動しなければいけない。気を遣わせるなんて、以ての外である。

……と、これはエイトが常に抱いている信条なのだが、この考えが君主や姫君を余計に悲しませることになるなどとは、当人は考えもしない。
まあ今のところ、この城における彼の評価は、「非常に真面目で礼儀正しい素晴らしい兵士長」であるから、当分の間は少々気を抜いても大丈夫だろう。
ぼんやりと夜空を仰ぎながら、エイトが再度溜め息を吐き口を開く。

「……そういや、今日は星が少ないな。」
と、そんなことを呟いた時だった。

「なぁーに遠い目してんだか。」
「……っ!?」
背後から掛かった声に、というよりは気配を悟れなかったことに驚いたという素振りをみせて、エイトが後ろを振り返れば。
そこには、夜目にも鮮やかな色彩を纏った人影が、一つ。

「ククール!? お前、何でココに!?」
目を丸くしたエイトが訊ねれば、ククールは困ったように苦笑して。
「何か似たような台詞を、夏辺りに聞いた気がすんだけど。」
言いながらエイトの直ぐ側までやって来て、笑いかける。
「働き虫なところは変わらず、だな。」
「……言うほど、働きすぎているわけじゃない。」
夜間で他に人気がないからか、喋るエイトの口調は、いつものような堅苦しいものでは無い。

「というか、お前は暇潰し過ぎ。まだ放浪者をしてるのか? 他にやること無いのか?」
「放浪者って……お前な。」
口の悪さに少々辟易するものの、しかし気を許した相手だからこそこういう話し方をするのを知っているので、嬉しい。
「ま、それはそうと。」
言いながら懐を探るなり何かを取り出し、ククールが言う。

「ほら、差し入れ。」
「え……うわっ!熱――…くもないか。暖かい……?」
渡されたそれは、白くて柔らかいものだった。
ほかほかしていて暖かい。
一瞬、温石の類かと思ったが、それにしては柔らかすぎる。見た目は、パンのように見えるのだが。
「……? ミルクパン……じゃ、ないな。材質が、小麦のそれじゃない。おい、ククール。何だよ、これ。」
「あー……エイトは未だ知らなかったんだ? オークニス名物、ほっかいろまん。」
「はぁ? よく分からないんだけど。」
「具の入ったパンの一種だと、思ってくれ。まあ、俺も良くは知らねぇんだけどな。珍しいから、買ってきたようなもんだし。――ま、いいから、食べてみろよ。美味いぜ?」
「……また何か怪しいもんでも入れてるんじゃないだろな?」
夏のアイスの件を根に持っているのか、じいっと睨むエイトに、肩を竦めたククールが言い返す。

「疑心暗鬼よりも、いいから冷めない内に食えって。温まるぞ。」
「……それもそうだな。」

はむ。
もぐもぐもぐもぐもぐ。

「あ……美味しい。」
咀嚼したものを、ごくん、と飲み込むなりエイトが感嘆の息を漏らした。
それを聞いたククールが、嬉しそうに笑う。
「だろ?」
「ん、ほんとに美味しい。」
喜悦の表情をしながら、エイトがそれを食べていく。
ごくん、と全てを食べ終えた後、エイトが満足の吐息を吐きながら言った。
「はー……。美味しかった。ごちそうさま。」
「そうか、そりゃ良かった。」
「しっかし、オークニスって名産物が多いよな。うわー、身体温まってきた。これってやっぱり、ヌーク草? 即効性は相変わらずだな。」
「ははっ、ヌーク草が即効性ってのは、俺も認めるけどな。」
違和感。
「……。ちょっと待て……お前……やっぱり、何か企んでるな?」
先程から、ずっと笑みを浮かべているククールに気づいたエイトが、そこでふと笑みを引いた。
怪訝そうな顔をして、更に問い詰めてみようと考えた瞬間。

「――っ……!?」
眩暈に似た感覚に襲われ、エイトの体がぐらり、と大きく傾いだ。
「おっと。」
それを寸でのところでククールが支えたので、あいにくと床の上に倒れずに済んだ。
……のは、良いのだが。

そのまま、ゆったりと床の上に寝かされたのは、どういうことだろう。
しかもそこは死角になる場所で、止めに体の下には先に毛布が敷かれた状態でいて。
「は……。あ、はははははは……な、なあククール? アレに何か入れたりとか……してないよな?」
引き攣った笑みを浮かべたエイトが、尋ねれば。
ククールが、にっこりと笑って。

「夏に食べたものと同じのを、入れておいた。」
「……っ! お、お前って奴はぁぁぁぁぁ!」
「いや、これが一番手っ取り早いんだって。」
「何が早いんだ!」

「温める方法として。」
「――っ! もう、お前、一度くたばれ!」
夏の教訓を活かせなかった自身と、そして相変わらずな思考のククールに憤りを感じながら。

エイトは暫く、ククールが何か手土産を持ってきたら殴って追い返そうと考えるのだった。

それは、ある寒い夜の出来事。
誰にも知られずに済んだ、真夜中の秘密。


day after day