Daily Life *M 【2】
青天と熱と
今日も、うだるような真夏日の空。
真っ白な雲と、清涼な青空が眩しいコントラストを描いている。
と、まあそこまではいいのだが。
熱波が過ぎて、集中力が低下するのが辛いという現状だ。
先程も、剣と間違え槍を腰元に帯刀しようとして姫に注意されたばかりでいる。
流石に、これはちと自分でも「大丈夫か?」と思った。
暑さのせいで、脳が溶けてるんじゃないかっていう目で見られても、おかしくないのだが、相手は純粋で高貴な姫君様。そんなことを考えたり、思ったりすることは無い。
その素晴らしさは尊敬以上の好意に値する。
が、しかし。
逆に、その生粋の眼差しと思いやりが辛かったのは、秘密だ。
すいません、姫……俺、貴方の優しさに耐え切れません。
根を詰めているつもりはなかったのだが、主君に心配されては家臣として立場がない。
姫に「執務は一先ず置いて、休憩しなさい。」とにっこり優しく言われたので。
僭越ながら、素直に甘えさせて頂くことにした。これ以上の醜態を、晒したくは無かった。
机上の小山になった書類束を見て、少しゲンナリしつつ溜め息を吐く――……。
――と、ここで不意に、自分と同じような仕事馬鹿が居たことを思い出した。
そういえば、あの人はこの暑さをどのようにして乗り切って仕事をしているのだろう?
参考までに会いに行ってみるか。
思い立ったが吉日、窓辺に出てルーラを唱えた。
行き先は無論――マイエラ修道院!
◇ ◇ ◇
「……は?」
俺はこの時、思いっきり馬鹿面をしてしまったのだと思う。
対応に出たマルチェロの部下から聞かされた言葉は、それ程の威力を持っていた。
マイエラに着き、マルチェロの執務室に向かう最中の廊下で、彼の部下に引き止められた。
そして、こう言われたのだ。
「マルチェロ団長殿は、現在ここではなくサヴェッラの方に滞在しています。」
サヴェッラ?
……ああ。あの、空中庭園みたいな大聖堂か。
しかし、何でまた? 講演でも頼まれたか?
首を捻り、考え込む。
すると、続いて振ってきた相手の言葉に、俺は先程の馬鹿面と馬鹿声を上げてしまうこととなる。
「その……実は、団長殿は、過労で倒れてしまいまして。」
◇ ◇ ◇
「元気か、仕事馬鹿!」
バン!と相手に対して何の労わりも無く、大仰にドアを開けて部屋に入ってきた人物を見て、マルチェロが眉根を顰めて言い返す。
「……喧しい。静かに入ってこれないのか、貴様は。」
「煩い、この、馬鹿!」
エイトはそれを一切無視して、ズカズカと足音荒くマルチェロの側に近づいた。
そして、ベッドに横になっているマルチェロを見下すようにしながら、両腕を組んで睥睨する。
「何で倒れるまで仕事するんだ、この仕事馬鹿。」
「……倒れたと言うほどのことではない。ただ、少し眩暈がすると言ったら、こういう扱いを受けただけだ。」
「充分、過労の症状じゃないか。仕事馬鹿。」
「いちいち語尾に余計なものを付けるな。」
「事実だろ、仕事馬鹿。……。」
エイトがそこで、不意に表情を曇らせて俯いた。
マルチェロが訝しみ、片眉を上げる。
「……何だ? どうした、エイ――」
「……前も、倒れたんだってな。」
ぽつり、と吐かれた声は、震えているような気がした。
「部下から聞いたのか? ふん、全く……まだ躾がなってないか。」
「何で、黙ってたんだよ……。」
俯いたままエイトが呟けば、マルチェロは鬱陶しいのか髪を掻き揚げて。
「倒れたと表立って公言する馬鹿が、どこに居る? ……阿呆。」
「阿呆はどっちだよ! この、仕事馬鹿!」
顔を上げて叫んだエイトの目からは、涙が零れていた。
「部下の失態の分まで、影でフォローしてたんだってな?」
「……。知らん。」
「……部下の怠慢で、遅れた分の書類まで、一人でしてたんだろ? ……マイエラのマルチェロの机の上、見たよ……。」
「……勝手に人のものに触るんじゃない。」
「……何で、俺に言ってくれなかったんだよ。言ってくれたら、手伝いに行ったのに。」
「お前に言って、どうこう出来る代物ではないだろう。自惚れるな。」
「……って、……ぅ……っ。」
悔しそうに唇を噛んで、立ったまま声も出さすに嗚咽するエイト。
それを見て、マルチェロが溜め息を吐いた。
ゆっくりと身体を起こして、傍のエイトに手を伸ばす。
「阿呆。お前にも、積もる仕事があるだろう。けれど、お前は俺を呼ばない。何故だ?」
「……それは……だって、マルチェロも忙しいから……負担、かけたくなくて……」
「――ならば、なぜ俺がお前を呼ばないのか、分かるな?」
「……! でも……っ!」
ぐしゃり、とエイトが顔を歪めてマルチェロに縋った。
「倒れるまで、なんて……! そっちの方が、嫌だ!」
「……。俺もまさか、倒れるなんぞ思ってなかったんだ。……それに、仕事のし過ぎで倒れたという訳ではないのだがな。」
「……え?」
マルチェロの言葉に、エイトがきょとんとして彼を見上げる。
「過労じゃ、ない……?」
「本当はな。」
「じゃ、じゃあ、何で――」
「……教えて、やろうか?」
マルチェロがそこで、不敵な笑みを浮かべた。悪戯げな色を浮かべた瞳を見て、エイトが腕の中で息を呑む。
そんなエイトの耳元に唇を寄せ、低く囁く。
「原因はな、随分とお前を抱いていないからだ。」
「――っ!」
びくりと肩を竦めて、エイトがゆっくりとマルチェロを見上げれば、喜悦の笑みとぶつかる。
「な、ん、っ……おっ、お前って奴は……!」
エイトが乱暴に涙を拭い、顔を紅潮させる。それは果たして、怒りのためか羞恥のためか、はたまた両方か。
「何だ。癒してはくれないのか?」
低い声で笑うマルチェロを見上げながら、エイトはどういった表情を作れば良いのかわからず。
ぎりっと、強い光を宿した目で睨み上げ。
その首筋に、しがみ付いて。
「……これで治るなら、安いもんだ。」
呟き返した消え入りそうな声を聞いて。
マルチェロが、くつくつと笑った。
ちなみにその後、入れ替わるようにしてこのベッドにほぼ瀕死になったエイトが横たわることになるのだが――それはまた、別のお話。
「しっかし……どれだけ我慢したらこんな風に……うぅ。腰が痛い。喉が痛い。……なんかもう体のあちこちが辛い……!」