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Daily Life *M 【4】

夏祭りに貴方は不機嫌




「ほら、腕を上げろ。」
「わ、分かってるよ。」
男二人だけの、サヴェッラ大聖堂の執務室。
唯でさえ広い室内に、衣擦れの音はよく響く。

「帯の端をちゃんと持っていろよ。でないと着崩れるからな。」
「あーもう、分かってるってば! 俺だって、方法は知ってるんだから!」
思わず声高に言い返せば、膝を付いてエイトの帯を締めていた相手が、顔を上げて。
「言うじゃないか。――ならば、一人で着るか?」
勝ち誇ったかのような冷笑。
何もかも見透かしているような瞳。

着方を知っているようだが、実行できるのか?
知識と経験は違うのだぞ。
――そんな台詞を、視線だけで言われた気がした。
ああ、無条件降伏。
エイトは首を振ると、諸手を上げて降参のポーズをとる。
「……生意気言ってすいませんでした。無理です着付けて下さい。」
「最初から、そうして大人しくしていろ。次に軽口など叩いたらこのまま置いていくからな。」
「はい……。」
マルチェロと話すと、いつもこうだ。
どうしてか必要以上に子ども扱いされてしまう。それはククールと同じ扱い。
もしかして重ねて見られているのかと疑念を抱いたエイトが、マルチェロにそのことを訊ねてみれば――相手は目を丸くした後、長々とした溜め息を吐き、それからひどく呆れた表情をして答えた。

「阿呆に阿呆を重ねて、どうしろと? 俺は、そんな疲れるようなことはせん。」
一蹴、どころか漏れなく皮肉もついてきた。
つまり、マルチェロにとってククールとエイトは同じレベルの馬鹿者で同一視している、と。
成程。
……いやいや、ちょっと待て。

着付けの作業が終わって立ち上がったマルチェロに向かって、エイトが言い返す。
「俺とククールは一緒の扱いなのか!?」
「別に一緒くたにしても構わんではないか。お前達は旅をしていた間柄なのだろう?」
自分の帯に目を落として締め直しながら、マルチェロは淡々と答える。
「それとも、何だ。お前は、あの者よりは優れている、とでも言いたいのか?」
「そ、そういうんじゃ……ない、けど……。」
ククールを貶めるつもりは無い。そんなこと、出来やしない。
「俺はただ……」
「――分かっている。俺とて、本気で同一に見ているわけじゃない。」
マルチェロは顔を上げると向き直り、エイトの髪に触れて笑いかける。

「深刻になるくらいなら反論するな。聞き流せ。……ほら、出掛けるぞ。準備はいいのか?」
「あ、うん。――そうだな、行こう!」
かちゃかちゃと下駄を鳴らしながら、二人で肩を並べて――夜の、中へ。


◇  ◇  ◇


昼の間に一度様子を見に来ていたから、大体の光景は覚えている筈だった。
けれども、想像は所詮、想像どまり。
祭りというものは、こうして夜になって初めて本当の姿になるものだと、こうして直に目の当たりにして実感させられた。

紺青がまだ溶けきっていない薄暗い夜の中に浮かぶ、色とりどりのランプ。
人々の声が、陽気が、雑踏の中で賑わい、祭りの熱気に拍車をかけている。
一転して面代わりをしてみせた街の姿に驚きながらも、エイトははやる気持ちを抑えてマルチェロと一緒に中へ入った。
最初のうちは、もしかしたら破目を外してしまうかもしれない、いいや構うものか、その時はマルチェロに甘えてしまえ、などと考えては馬鹿みたいに浮かれていたのだが、次第にその気分は沈むことになる。

「あ、マルチェロ。あれ何だろ。ほら、あの赤い光!」
「……。」
「蛍かな。夜光虫かな。なあマルチェロ、どう思う?」
「……。唯の夜店の外灯だろう。」
「……あはは。そう……だよ、な。」

祭りの中を闊歩しているというのに、ここへ来てからマルチェロは全く口をきいてくれない。
エイトばかりが話しかける側に回るのみで、その返される答えというのもまた、素っ気無いものばかりだった。
振り向きもせずに答えるマルチェロは、どこか冷たさすら漂っている感じがする。
エイトは考えた。
自分が何か機嫌を損ねるようなことをしてしまったのではないのか、と。
だから、ここへ来るまでにあった出来事などを覚えている限り思い返して見たのだけど。

――答えは、出なかった。

マルチェロの不機嫌さは不明なまま、二人は店が並ぶ祭の道を歩いていく。
黙々と。
淡々と。
屋台に向けられていたエイトの視線は、何時しか地面へと落とされていた。
擦れ違う人々の笑顔の中で、ここだけが別の世界。

何だよ。
俺が何かしたのかよ。
なあ、マルチェロってば。
おい。
振り返れよ。
折角、浴衣っていう珍しい服を着てるってのに。
マルチェロってば。
たまには振り返れよ。
後ろに俺が居るんだぞ。
無視するなよ。
おいってば。

――俺を見てよ、マルチェロ……。

「……馬鹿マル。」
「人の名前を短縮したばかりか、前に不愉快な名詞を付けるな阿呆。」
心で呟いた筈の愚痴は、自分でも気づかないうちに実体として吐き出していたようだ。
まずは通行の邪魔にならないように、脇の木陰へ寄った。
そこで立ち止まってようやく振り向いたマルチェロは、涼しい顔でエイトを見ている。
それが何だか、余計に癪に障った。
(何が原因か、分かってないのかよ!)
エイトは相手を睨みつけてやりながら、愚痴の続きを遠慮なくぶつけることに決めた。

「やっと口を開いたな。ものはついでだ、不機嫌な理由を話せ。」
「……誰が不機嫌だと?」
「お前だ、お前! ここへ来てからずっと、俺が話しかけても返答しないし、そうやって背中を向けたままだったじゃないか!」
「……。」
「黙るなってば! 何だよ、俺が何かしたのか? やらかしたのか?」
「……。別に、不機嫌なわけではない。」
「嘘つき!」
「嘘ではない。ただ……。」
「ただ?」
マルチェロは周囲をざっと一瞥すると、言いにくそうに咳払いを一つして。

「……こういったことに参加するのは初めてだから、どう振舞えばいいのか解らんだけだ。」
「――は?」
ワカラナイ?
いまそう言いましたかマルチェロさん?

「マルチェロ、は――祭りを見るの、初めてなのか?」
「……そう言っただろう。何度も言わせるな。」
頬が僅かに赤みがかって見えるのは、屋台の明かりのせいではあるまい。
恥らっている……?
そういえば、書物に浴衣の着付け方法などは載っているが、祭りの楽しみ方などという項目などありはしない。神事関係のまつりごとと、この祭りとは違うのだから。
エイトの身裡で、温かい感情が弾ける。

「は――……あは……あははははっ!」
何だよそれ。
何なんだよそれ。
祭りを見るのが初めてだって?
じゃあ、もしかして。
ずっと黙ってたのは、単に戸惑っていただけなのか?

全くもう――……心配させやがって!
エイトの視線はもう、地面に向けられていない。
目尻に浮かんだ涙を浴衣の袖で拭うと、子犬のような表情でマルチェロに駆け寄って言う。
「あはははは! よし、じゃあ、俺が案内してやるよ! いや、案内だけじゃ駄目だな。祭りの楽しみ方も教えてやる!」
「なっ!? い、要らんわ阿呆!」
「遠慮するな、あはは! ――あ、林檎飴の屋台がある! マルチェロ、突撃ー!」
「こ、こら袖を引っ張るな! 喚くな! 走るな……待て、転ぶぞエイト!」
「あはははは! よ~し、今日は目一杯遊ぶぞー! あはははは!」
「……エイトっっ!」

原因が分かったエイトは途端に元気を取り戻すと、祭りが終わるまでマルチェロを引き摺り回し、全屋台の出し物・売り物を制覇しに掛かり始めた。
無論、費用は全てマルチェロ持ちだったから、何の気兼ねも無く遊び倒したのだった。


◇  ◇  ◇


そうして限界まで夜祭りを満喫した、翌朝のサヴェッラ。
まだ元気の残っているエイトとは裏腹に、マルチェロはひどく疲れた顔をしていた。
「あはは、あー昨日は楽しかった!なあ、マル。また祭りがあったら一緒に行こうな?」
「……。」
「あれ?……マル? ……えーと……怒って、る?」
「…………。」
エイトはその日、何を話しかけても一日中マルチェロに口をきいてもらえなかった。
そんなマルチェロの不機嫌が解除されたのは、すぐにしおらしくなったエイトが泣きそうな顔をして謝りに来た、夜のこと。

けれども、エイトはまだ知らない。
マルチェロの執務室にあるテラスの脇には、鼻緒を直した跡がある下駄が二足、人目を避けるようにして、ちょこんと置かれていたりするのを。
まるで、いつでもそれを履いて出掛けることが可能だ、とでもいいたげに、きちんと用意されている下駄と浴衣の存在を。

エイトはまだ気づかない。
次にマルチェロから誘いを受けるまでは。


day after day