雪国のAlcohol Trap
・3・
「お兄さん、随分と寒そうだねぇ。コレ飲みな、身体が温まるから。」
「ど、どうも……。」
「おうトロデーンの兄さんじゃねえか。今回もご苦労さま。……そうだ、コイツを飲んでけ。あんた、いつも寒そうにしてるからよ!」
「はは……有難う……ございます……。」
エイトは酒に強い。
竜人の血が混じっているためか、現に城などで催される宴などでは一切酔うことがなかった。
これには、耐性のほかに兵士としての性分もあるのだろう。自分が酔っていては主君を守れない、と気構える習性のせいらしく、少なくとも勤務中に酔いはしないし、自我を保つことが出来ていた。
だが、幾ら酒に強いといえど、限度がある。
エイトも所詮は人の身、普通の青年なのだ。
八件目の家を訪れて八杯目のグラスを受け取ったところまでが――限界だった。
◇ ◇ ◇
しんしんと、雪が降っていた。
粉雪に近いそれは細やかで柔らかく、ふわふわと地面に落ちては白い層を重ねていく。
エイトは降雪を見ながら、雪の眩しさに目を細めた。
口当たりのよい酒は、自分が酔いの深みに嵌まるまでその危険性に気づかない。
その時のエイトは、判断力も何もかもが低下していた。
「お前はこのクソ寒い中、何ぼーっと突っ立ってんだ馬鹿っ!」
背後から怒鳴り声。
ぐいっ、と強い力で誰かに腕を引っ張られて、身体が揺れた。
走る痛みで我に返れば、今の勢いで自分の肩からぱらぱらと雪が落ちたのが視界に入る。
妙に肩が冷たいなと思っていたら、これが原因だったのか。今だボンヤリした頭で、どうでもいいことを考えてたエイトに、怒鳴りつける声が続く。
「この氷柱にでもなる気か、この馬鹿っ! 動け!」
無反応だったのが気に障ったらしく、また怒鳴られた。
しかも、馬鹿と言われたのはこれで二回目。
「つーか、とっととその体に付いてる雪を払え馬鹿エイト!」
かと思うと三回目の「馬鹿」が投げつけられ、ばしばしと頭まで叩かれてしまう始末。
「いっ……たいな……――なんだぁ!?」
まさかそこにも雪が積もっていたなどとは、今のエイトが理解できる筈も無く。
ただ痛みを与えられた、としか感じていないため、顔を顰めると不機嫌そうに唸って相手を睨み付けた。すると、エイトに負けぬくらい険しい顔をした青年が、同じように睨んでいることに気づく。
見知った顔。
粉雪の付いた銀の髪が美しい。
エイトから不機嫌な気配が消える。
「あぇ。ククじゃないか。」
「あぇ? ……じゃ、無ぇよ! こんな薄着で何してんだお前は!」
言われて、エイトは上着を身につけていないことに気が付いた。
防寒着として羽織ってきた毛皮のポンチョが――無い。
「……クク。」
「……何だよ。」
「俺のポンチョが、無いぞ。」
「知るかよ。どこかに置き忘れてんじゃねぇのか?」
「……お気に入りのポンチョが無いぞぅ、ククー……。」
「いや、だから。俺はたった今ここに来たばっかだし、んなこと聞かれても分かんねぇよ。」
「何だよぉ……ひどいじゃないかぁ……うぅ……寒いぞぅ……。」
「……? エイト、お前もしかして……酔ってんのか?」
呂律が回っていないのを怪訝に思ったククールが訊ねれば、エイトは急に顔を上げるなり首を横に振って。
「酔ってない!」
きっぱりと言い切ったその姿勢は、雪の中でも凛々しかった。
だが目が思いっきり据わっている上、何だかふらふらしている状態では、信用しろという方に無理がある。
酔っ払いというものは、どうしてこうもあからさまな嘘を吐こうとするのだろう。
ククールも酒場に立ち寄ることが多い為、その心理は解らないことも無いが――かといって、別に分かりたくも無い。
溜息を零しつつ、相手に言ってみた。
「そうか、酔ってないか。――じゃあよ、片足で真っ直ぐ立ってみな。」
「おぅ!」
無駄に元気よく返事をしたエイトは意味も無く挙手すると、えいっとばかりに片足を上げた。
勢いは、良かった。
だが――それだけだった。
ぼさっ。
新しく積もった雪に、大きく尻餅をついた人型が出来る。
やっぱりな、という顔をするククール。その呟きが聞こえたわけでも無いだろうが、エイトは声の主を見上げると、何故か急に怒り出した。
「立てないぞぅ、コラああ!」
「だーかーら! 俺の責任じゃねぇだろっつーの! この馬鹿酔っ払い!」
理不尽な糾弾を受けたククールは苛立った表情をみせるも、それでもエイトを放っておく気は無いらしい。手を伸ばしてその腕を掴むと、引っ張り起こしてやりながら言い返す。
「ほら、いいから立て。そのままじゃ風邪引いちまうだろ!」
「うへーい。」
エイトは渋々といった声を出し、立ち上がろうとしたのだが――所詮はどこまでも酔っ払い。
足に力が入らないのか、その場にぐにゃぐにゃと崩れ落ちてしまった。その上、何が面白いのか雪の上に寝そべったままで笑い出す。
「あはははは。駄目だぁ、だいおういかー。あはははは。」
「……駄目ダメじゃねぇか。」
ほとほと呆れ、ククールは額に手を当てる。
思い切り吐く憂鬱げな溜め息は、いつもならばエイトが零すもの。
ククールは雪の上で尚も転がろうとするエイトを急いで抱きかかえると、その足で宿へと運んでやることにした。
その日、オークニスの人間は面白い光景を目にすることになる。
顰め面をした美形が、妙にご機嫌な美形を担いで歩く姿を。
「あはははは、ククー、雪が白いぞぉ、あはははは。」
「あーもう煩ぇな! 耳元で喋んな! ちょっと黙ってろ馬鹿!」
「うぇ……そんなに、怒んないでくれよぅ……。」
「……。怒ってねぇよ。怒ってねぇから泣くな。……反省したんなら、口閉じてろ。分かったな?」
「だってぇ~……。」
「返事は、ハイ、だろ?」
「はぁ~い……。」
酔いのせいか、時折甘えた声を出して懐いてくるエイトは可愛らしくて。
ククールの怒りは、それで簡単になぎ払われてしまう。
「クク~……マント、温かいぞぅ。」
「あーそうかよ。そりゃ良かった。」
いつまでも薄着のままでいさせるのは心配だからと、ククールはとりあえず自分のマントを羽織らせてやっていた。自分が寒さに無防備になってしまうのだが、背中にエイトがいるので大丈夫だろうと考えての行動だ。
事実、温かい。
「クク、ぬくいぞぅ……ふふふ……ぬくぬく~。」
「その分、俺は寒いんだけどな。つーか、いつになったら黙るんだよ。」
「えへー……ククはなぁ、何だかんだいっても、優しくて、あったかくて、太陽みたいだから……だから、好きーぃ……。」
「……。」
エイトの台詞を聞いたククールが一瞬沈黙し、それから空を仰いで吐き出すのは愚痴。
「いっつもそうやって素直でいてくんねーものかな。」
背中に顔を押し付け、くふくふと笑っているエイトを横目に、ククールは宿までの道のりを黙々と歩く。
少しだけ、歩行の速度を落として。