Hot Limiter
・2・
何かひやりとしたものが額に置かれたところで、エイトは目が覚めた。
「ん……ここは……?」
見慣れた天井は、自分の部屋のもの。
「俺――……?」
目を擦りながら身体を起こすと、額から何かが滑り落ちる。
持ち上げてみると、それは氷のうだった。同時に、直ぐ傍らから声が掛かる。
「もうちょっと寝てた方がいいんじゃねえか?」
「ククール……? あれ……何で……。」
椅子に腰掛けているのは、最後に話していた相手のククール。
呆れたような顔をしているのは、何故?
はて、どうしたのだろう?とエイトは自問する。
確か外で草を刈っている途中だった筈……なのだが。
エイトは記憶の繋がりが不確かなためか、ぼんやりとしたままククールを見る。すると、ククールの側にある小テーブルに視線が止まった。
氷の入ったグラスと、水がたっぷり入った水差し。
グラスには、口を付けた跡がある。
そういえば自分の額には氷のうが置かれていた。
もしや、自分の身に起きたのは――……。
「日射病?」
「熱中症とも言うな。つーか、馬鹿かお前は。」
ククールが眉を顰め、エイトを睨んだ。不機嫌そうな顔は、彼が苦手とする兄上様のものに良く似ている。
エイトが思わず口元を緩めると、それを見て留めたククールの表情が、ますます歪んだ。
「……笑い事じゃねえんだぞ?」
低い声が機嫌の悪さを示していた。これはちょっとマズイ。
「うん……そうだよな。俺、突然倒れたんだよな? 心配かけたな、ごめん。」
声に反省の色を滲ませて謝ってみせれば、ククールの眉間から皺が引く。
「……まあ、症状は軽症だったんだ。……ほんと、暑い時は気をつけろよ?」
そう言って、ククールは優しい仕草でエイトの額をコツンと叩いた。
それからふと、何かを思い出したような顔をして質問をする。
「んな事よりもさ。……この城って、省エネかなんかしてんのか?」
「……は? 省エネ?」
「兵士、少なねぇから。それともあれか? 納税足りてなくて、とうとう経費削減対象に――」
「……阿呆なこと言うな。今は、二等以下の兵士が休みをとってるだけだ。だから少なく見えるんだよ。」
「つっても、静かすぎじゃねぇ?」
「この暑い中、騒ぐ阿呆がどこに居る。奥のほうで事務をしてるんだ。」
「ふーん。何だ、他に人は居んのか。……そんじゃあ訊くが、何でお前は一人っきりで草刈なんかしてたんだ?」
そう訊ねると、エイトは苦笑いを浮かべて。
「こんな重労働になるもの、人に頼めないだろ。」
「……お前みたいなのが上に就くと、下は楽で良いな。ってか、馬鹿かお前は。」
だからって、あんな広い庭の草刈りを一人でやるか?
こういう時こそ部下を使うべきだろが。
ククールは色々言いたいことがあったのだが、エイトの性格を知っていたので言うに言えず。
というか、言ってもきょとんとされるだけなのだと予想がついたので止めた。
結局、そんなエイトにククールが言ったことといえば。
「……その仕事、俺がやってやるよ。」
「――えっ!?」
エイトがひどく驚いた声を上げて、まじまじとククールを見る。
そんなに意外なことを言ったか?と複雑な気持ちになったが、敢えて何も言い返そうとはしなかった。
◇ ◇ ◇
「しっかしお前も、真面目だよな。」
髪を痛めないように、エイトに上のほうで纏めてもらいながらククールは言う。
「バカ正直に鎌なんかでサクサクやってないで、盛大に片付けちまえばいいのに。」
「盛大にって……どうやって?」
「魔法の一つや二つ、使えんだろ? それだよ。バギマとかバギクロスとかさ。」
「……俺はその種の魔法は不得手だぞ。」
「あれっ、そうだっけ? んじゃあ、えーと――ギガスラッシュとか。」
「……。……俺が庭一帯をズタズタにしたいと思うか?」
それもそうだ。
「そっか。魔法が使えても、こういうのは結局手作業か。進歩してんだかしてねえんだか。」
ククールがそんな事を呟くと、エイトが笑った。
「魔法に使われるなってことだよ。良いじゃないか、手作業でも。」
「良いこと言ってるとは思うが、その手作業で倒れたんだよなお前は。」
「……悪かったよ。」
「ははっ、俺ももう責める気はねぇよ。さて――と。」
纏め上げてもらった髪をひと撫ですると、ククールは立ち上がって。
「んじゃ、サクサクっと片付けてきてやるよ。」
「気をつけろよ。あっ、そうだ。それと、これ……渡しとく。」
「ん? 何だよコレ?」
「ポルトリンク産の、日焼け止め。海の町の産直品だから、効果高いぞ。」
「あー……要らねえ。」
「阿呆! 日焼けを甘く見るなよ。塗っとけ、いいから。」
ククールはまだ何か言おうとしたが、険しい顔をしたエイトにそれを押し付けられ、仕方なく素直に従う振りをした。
「それじゃあ、一応持っとくよ。」
「持ってるだけじゃ意味無いからな? いいか、塗っとけよ!?」
「ハイハイハイ。いーからお前は寝てろ。じゃ、行ってきまーす。」
「……あいつ、本当に分かってるのか……?」
忠告を真摯に受け取らないククールを見送った後で、エイトは不安げに呟いた。
けれどその声を聞くべき者は、とっくに部屋を後にしてしまっていて。
漠然とした不安を抱きつつも、日頃の疲れからかエイトは眠気を覚え、そのままとろとろと緩やかな眠りへと落ちてしまった。
◇ ◇ ◇
「うっわ!暑っつ!」
眩しい太陽が目に痛い。
エイトの説教を振りきって外に出ると、もうすっかり日が高くなっていた。
一人で庭へやって来たククールは、手に鎌を持っているが、実は少しばかり、魔法で対処できやしないかと考えていたりする。
楽が出来るなら、しておきたい。これは誰しもが抱く考えだろう。
気温のことを考えて薄着になったが、暑いものは何をどうしても暑い。
その中での長時間労働は、思いっきり避けたいところ。
「んー……あの辺、魔力抑えたバギでいけんじゃねーかな。」
庭をぐるりと見渡したククールは、魔法が可能な場所を探りだすと、そんなことを呟くなり、ゆっくりと手を突き出した。
そして魔力の加減に意識を置きつつ、静かに魔法を唱える。
「……集え風の精霊。羽ばたきに震える大気を束ね、我が力となれ。――バギ。」
呼び出した風はうまい具合に小さな旋風になり、小型の自動草刈機よろしく、不規則な軌道ながらもしっかり草を刈っていく。
――イケル。
草を刈り取られた地面を見て、にやりと笑うククール。
何だ、最初っから楽勝じゃねぇか。
鼻歌を歌いながら幾つもの風を召喚し、庭の彼方こちらに飛ばしていく。
だがククールが考えるほど、何事も物事は、そう上手くいかないわけで。
魔力が尽きた後の庭を見渡せば、それらの隅々に、どうしても草が残ってしまっていた。
城壁が風の通りを邪魔してしまうせいか、弱い風はぶつかると直ぐに消えてしまうのだ。
そして、もう魔力は残っていない。
「何でこんなところに壁があるんだよ、チクショウ!」
理不尽な怒りをぶつけて、ククールは舌打ちする。そして側の地面に突き立ててある鎌に目を留めて、ふうと溜め息。
「自分でやれってか……あークソッ!」
ここで仕事を放り投げることも出来るのだが、自分が引き受けた以上は完遂しておかないといけない。
――エイトとの友好度を、下げたくなければ。
「魔法に使われるなってことか。はいはい、やりゃあいんだろ。手作業で。」
ククールは仕方なく袖を捲り上げると、鎌を手にして庭の隅へと歩いていった。
熱を増した日差しが、じりじりとククールの肌を焦がしていく。
けれどククールは作業に熱中してしまい、そのことには特に関心を払わないでいた。
その内、あまりの暑さに耐えかねて、遂には着ていた服をすっかり脱いでしまうと腰に巻きつけてしまう始末。
日焼け止めの存在も、エイトの忠告すらも、みんな太陽に焦がされて。
ククールは一人きりでただ黙々と、半裸の状態で草を刈っていった。