SEASONS [M] *Feb.1
Chocolate Liqueur
部屋の中。
少し冷えたような空気が漂う空間に、二人が居る。
片方は椅子につき、机で仕事をしている。
片方は相手に背を向け、膝を抱えて座り込んでいる。
そんな奇妙な雰囲気の中、彼らは先程から一言も会話していない。
言葉すら交わさず、ずっと沈黙しているのだ。
「……おい。いつまで、そうしているつもりだ?」
先に口火を切ったのはマルチェロだった。
だが相手は返事をせず、更にぎゅっと膝を抱えただけ。マルチェロは溜息を吐き、再度声を投げる。
「……おい。返事くらいしろ。」
「……。」
「……エイト。」
強い声で名を呼んでみせれば、相手――エイトが、そこでようやく反応を見せた。
肩越しに視線を投げ、無言のまま見つめ返してくるだけで、やはりそれ以上、何も言おうとしてこない。マルチェロは眉間に皺を寄せると、席を立ってエイトに近づいた。
「言いたいことがあるのなら、言え。鬱陶しい。」
エイトの前に回りこんで膝を付き、その顎を掴み、自分の方に向かせるように持ち上げて問う。
そんなマルチェロの行為に、エイトは益々視線をきつくした。
「……食べて、ない。」
「――何?」
「俺のチョコレート、食べてない。」
「……。」
昨日、エイトが渡したチョコレートは包装もそのままの状態で、机の上にあった。
そして、今日。
書類を届けにきたエイトが、変わらぬ姿でそこに置かれているものを発見したのだった。
当然、エイトは気落ちした。そして不機嫌になった。
――今の状況に至るまで、そう時間は掛からなかった。
ふぅ、とマルチェロが溜息を吐く。
「お前には、事前に伝えておいた筈だろう。私は、甘いものは好まないと。」
「……だから、甘さを抑えて作ったのに。……食べない、とは言ってなかった……。」
エイトはそう呟くと、どこか悔しそうに唇を噛んで、目を伏せた。
「昨日も仕事だっていうから……我慢、したのに。」
そう呟く声は小さすぎて、マルチェロの耳には届かなかったが。
「……もう、いい。」
エイトが突然立ち上がり、机に上に置いていた箱を取り上げた。
「エイト?」
「……。これ、食べないんなら返してもらう。……別のとこに、持っていくから。」
「別のところ、とは何だ?」
「……確実に食べてもらえる奴のとこ。……その方が、チョコレートの為にも良いから。」
「――待て。どこに行こうというのだ。」
瞬間、マルチェロの脳裏を過ぎったのは、銀の髪。
さすがに、これはマズイと思った。
あの男ならば、チョコレートどころか、別のものまで美味しく頂きかねない。何とは言わないが。
……というか、そのまま掻っ攫われる。確実に。
だがそんな考えに沈んでいたマルチェロも、エイトの次の一言で我に返ることとなる。
「――お前なんかには関係無い!……阿呆っ!」
「っ……待てっ――エイト!」
部屋を出て行こうとするエイトの腕を掴み、引き止めるマルチェロ。それが引き金となったのか、強い力で腕を掴まれたエイトは、悔しさと怒りで感情を爆発させた。
「離せ!何だよ、お前には関係無いって言ってるだろ!甘いもの、好きじゃないんだろう!だったら、こんなもの直ぐに目の前から消してやるよ!――俺ごと!」
「愚か者が!だからといって、どうしてそういう極端な行動をとるんだ貴様は!少しは落ち着け!自分が何を言っているのか、分かっているのか!?」
「煩いな、俺が何しようと勝手だろう!離せ、離せってば!」
「煩いのは、どっちだ。暴れるな、――……こら、落ち着けというに!」
「お前なんか、机でも齧ってろ――!」
ドン、ガタン――ガタタン!
もつれ合いながら、引力と斥力の戦いに勝ったのは斥力――つまり、マルチェロの方。
二人は、そのまま大きくバランスを崩して、共に床の上に倒れ込んで大きな音を立てた。
だが、幸いなことに他のものは出払っていて、駆けつける者は無く。
静まり返った部屋に響くのは、荒い息遣いと――泣き声。
「……っ……ふ、ぇ……っ」
エイトを床との激突の衝撃から庇ったマルチェロは、声を聞いて目を開けた。
すると、身体の上に圧し掛かるような形になったエイトが泣く様が眼に映る。
「ひっ……く……・ふ、っ……。う、えぇ……。」
子供のように泣きじゃくるエイトを見て、マルチェロは上体を起こすと、手を伸ばして相手の髪を梳いた。
「……男が泣くな、見っとも無い。」
「……って、……マル、チェ……っ……要らない……っ!」
泣きながら喋っているそれは、途切れ途切れで言葉を成していない為に、何を言っているのか分からない。
けれど、おおよその見当が付いたマルチェロはエイトの手から優しく箱を取り上げて、言った。
「人の話は、最後まで聞いてから泣け。誰も、食べないとは言ってないだろう。」
「……っ……って、残して……そのまま……っ!」
「一人で食べるのは味気ないと思ったから、そうしたまでだ。……この意味が、分かるか?」
「……っ……、……?」
そこで、やっとエイトが泣くのを止めて、マルチェロを見つめた。
「な、に……?」
きょとんとしたエイトの視線を受けながら、マルチェロは口角を上げる。
「お前に食べさせて欲しいと思ってな。」
「……え、……?」
そう言って、エイトの前に包みを解いた箱を開けて差し出すと、相手は戸惑ったように首を傾げた。
「え、っと……?」
とりあえず、マルチェロの持っている箱からチョコレートを摘むエイト。
そしてそれを、おずおずとした仕草でマルチェロの口元に差し出すのだが――マルチェロはますます苦笑を深めるばかり。
「お前はもう少し聡い奴だと思っていたが?」
「???」
どうにも相手の意図が分からず、チョコレートを摘んだまま眉を寄せているエイトに、マルチェロが笑った。
そして相手のチョコレートを攫うように手にし、顔を近づけて。
「馬鹿が――こういう事だ。」
「えっ?……――んっ。」
チョコレートを、口移しで渡された。
「――あ……!?」
マルチェロの言った「食べさせ方」に、気づいた――否、気づかされたエイトの表情が、見る見るうちに真っ赤になった。
「な、ななな……!」
驚いて、チョコレートをそのままごくりと飲み込んでしまったが、それ以上のものに襲われて咽るどころではなかった。
途端にパニックを起こしたエイトを見ながら、マルチェロは一層笑みを深め、言い告げる。
嬉しげに眼を細めて、意地悪に。
「どうした?何か文句でも?」
あるに決まっているだろう!――と、返してやりたいのだが……。
どうしようも無いことに、自分はそれが嬉しいらしくて……。
怒の感情以上に、喜の方が強いのが……情けないというか、照れくさいというか。
(くそぅ、こうきたか……何て変則技を!)
よりにもよって、作ったチョコレートは十五個入り。
(ククールより、コイツの方が絶対、性質が悪いと思う!)
真っ赤になりながらも、結局は嬉しくて、彼の言うとおりにしてしまうエイトなのだった。