蒼空ショコラトリエ
Le ciel chocolat 1
その日は嫌になるくらい良い天気で、空を見上げた誰かが「今日は良い一日になりそうだな」と言うのを聞いた。
見上げれば確かにその通りで、隣にいたアイツがつられた様に「晴れて良かったあ」と晴天のような明るい笑顔で言うのも聞いた。
天候に罪は無い。
晴天に喜んでいるアイツにも、罪は無い。
それでも、俺はウンザリしていた。ソイツがこれから何をするのかを、聞かされているから。前述で「良い一日になりそうだな」と言った男と共に馬車に乗り込みながら、ソイツは俺を振り返って笑う。
「じゃあ俺、ハッサンと行ってくるから。ちょっと留守番ヨロシクな、テリー。」
俺に笑顔を焼き付けて、アイツは――エルドは、行ってしまう。
――行ってしまった。ハッサンを連れて。
俺は残して。
◇ ◇ ◇
「……よかったのか?」
荷台を除き、積んだ荷物が崩れていないかを確認し終えたのを見計らかったように、ハッサンが声を掛けてきた。エルドが顔を上げて、首を傾げる。
「よかったって、何が?」
「アイツを置いてきちまって。」
「テリーは強いぞ?」
「……そういう意味で言ったんじゃなくてだな。」
ファルシオンの手綱をうっかり強く握りしめかけたのに気づいて、ハッサンは失笑した。慌てて握り直すと、荷台の窓から顔を覗かせているエルドを一瞥し、フンと鼻を鳴らす。
この王子様は仲間を気遣うことにかけては優れているが、こと自分に関するとどうにも鈍感だ。
馬車を出す間際、何気なく振り返った時に見えた光景をハッサンは思い出す。
(……テリーのやつ、思いっきり睨んでたよなあ。)
あの視線が向けられていたのはコチラか、それとも――?
「なー、ハッサン。」
「ん?」
「”コレ”配り終わったら、先に城に向かっててくれ。俺は後で行くから。」
「お? ……ああ、別にいいけど、よ。」
ハッサンは躊躇う素振りを見せるので、エルドが「何か問題でもあるのか?」という目を向ければ、相手は間を置いてから答えた。
「俺、タキシード持ってないんだけど。」
「――ぶっ……!」
エルドが噴き出す。なんだそんなことかと笑い、言ってやる。
「正装じゃなくて良いってば。まあ、でも――そんなに着たいなら用意するけど?」
ニヤリと笑い、からかう相手は子供のような顔をしていて。
「この猫かぶりの王子様め。」
「アイテッ!」
ハッサンは苦笑して、その額を指でピシリと弾いてやった。
◇ ◇ ◇
残されたテリーは、剣を磨いていた。留守番だといっても、そもそも一人なので他にすることがない。
同じだな、と呟く。
同じだ。昔と。一人で旅をしていた頃と同じ――独りきり。
いっそ、モンスターでも盗賊でも出てくれればいいのに、と思う。そうしたら剣が抜ける。腕を揮える。戦いになれば、その間だけは何も考えなくて済む。
そうすれば、今みたいに寂しいなんて感じることなんてないのに――……。
「――ツッ……!」
チリッ、と指先に痛みが走って我に返る。視線を落とせば、手のひらに走る一筋の赤。ぼうっとしすぎていて、刃先で切ったのだ。
「刃物を扱っている時は気を逸らすなよ」――以前にエルドから受けた注意を思い出すも、遅い。傷が浅くて済んだのが、せめてもの幸いか。
「……ははっ。」
乾いた笑いが出た。側に剣を置いて、手のひらに目を向ける。じわりと滲んだのは傷が先か、涙が先か。
テリーは空を見上げ、澄んだ青空を眺め、それから項垂れた。
晴れなきゃよかったのによ、と呟く。
雨が降れば台無しになったのに。
今日は、レイドック城でとある催し物が開かれるのだ。平和になった世界を祝うためとのことらしいが、実際は違う。
「行方不明だった王子サマの婚約者探し」――陰で囁かれている噂だが、出所が城の内部なので信憑性は高いだろう。
しかも貴族だけでなく各地の王族も参加するらしいとのことで、ますます真実味があることが窺えた。
それでも、表向きは親睦を兼ねた社交界なので、他にも参加する人間はいる。
例えば、「王子サマと共に世界平和に貢献した協力者の方々」とか。「仲間」ではなく「協力者」としているのは、王子サマのことを考えてのことだろう。――なにせレイドック王子は、辺境の村の青年として過ごしていた時期もあったのだから。
さりげなく引かれた境界線。
当の王子サマは、身分差なんか気にしていないのに。
パーティーに参加している他の仲間は、今頃どうしているだろうと、ふと考える。今回参加しているのは、ミレーユ、バーバラ、ハッサンの三人。他は、所用があったりして参加を辞退していた。
きらびやかな社交場。差別を受けて居心地が悪くなったりすることは無いだろう……と思いたい。あの王子サマは身内を傷つけるものを許さないから。
『留守番ヨロシクな、テリー。』
馬車に乗って行ってしまった彼が置いて行った言葉を、思い出す。
「貴族のパーティーなんか、誰が参加するかよ」――誘いにそう返したのは、自分のほうだった。堅苦しい空気は嫌いなんだ、と後で付け加えておいたのでエルドは苦笑していたが、事実は違う。
「王子サマ」となったエルドを直視したくなかった。この目で見てしまえば、その距離を、存在を、本当に自覚してしまうから。
側に居たい。けれどそれは叶わない。
いつか彼は離れていく。行ってしまう。遠い場所へ。気軽に会えないところまで、行ってしまう。
「参加、すれば良かったな。」
いずれ会えなくなるなら、会えるうちに側に居たい。今になって、そう思う。
「……エルド……。」
嘆くように彼の名前を呼んで、テリーは両手で自分の顔を覆った。