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冷たい人の名を呼んで

蒼黒の契約 黄金の誓環 2



あの日から、世界の全ては一変した。
次代では何と呼ばれるのだろうかは知らないが、今の時代は教会が権力を持つ世界になっている。

教皇次代――人々の間では、恐慌時代と呼ばれているこの世界で、王は一人。
サヴェッラ大聖堂より上、大空に浮かぶ鎖で繋がれた邸にその人は居る。

その性格はあまりにも不遜で高慢で。
冷酷にして無神論者という、聖職者にしてはその対極の人間性。
だが、彼は王なのだ。

大教皇、マルチェロ。
冷ややかな眼差し、冷たい心。

俺の世界の、中心にいる――……俺の、大切な、人。


◇  ◇  ◇


傍ら、かしずいて。
俺は静かにマルチェロの命令を待つ。
大広間には今、俺と彼の二人しかいない。
今日は何を任されるのだろう。頭を垂れてじっと待っていれば、マルチェロが手にした報告書を読み上げる。

「マイエラより依頼が来ている。」
静寂の間に、低音質の声が響く。
「……用件はいつもと同じだ。アイツらをどうにかしてくれ、とな。」
温かみの無い声に失笑が混じるのを聞いて、俺は複雑な気持ちになった。

”アイツら”――それは。

「……反乱軍、ですか。」
「そうだ。」
口元に薄い笑みを浮かべ、マルチェロが続ける。
「報告によると、例の、銀翼の龍――だ、そうだ。」
「……。」
その反乱軍の名前に、俺の思考は固まる。凍りつく。
銀翼の龍。
銀色。
銀。

『――エイト。』

「……。」
不自然すぎる完全な硬直。息すらも詰めて。
そうして身動ぎすらしないでいる俺に、マルチェロは素知らぬ顔で会話を続ける。
「あいつも懲りないやつだ。……お前も、そうは思わんか?」
「は……」
試すような声だった。
”アイツら”と複数形ではなく単数形なのは、まさしくコチラの出方を見ているのだろう。何かを愉しんでいるような雰囲気すら漂わせて、マルチェロは更に話の先を繋ぐ。

「率いている者の名も、相変わらずだ。……確か――」
「……言わなくて、結構です。」
やっと口を開けたが、声に動揺が走っていないことを願う。
その先は、言わないで。
あいつの名前を。あいつのことを。
それ以上は、どうか――どうか、過去を呼ばないで。

「まだ”元”仲間の名前を出されるのは辛いか?」
労わる言葉。だが、その声には面白がっている響きがあった。
試している――試されている。

「……、少し、だけ。」
「ふっ。素直な奴だな。」
「……。」
俺は、貴方を選んだ。
自分の意思で、貴方を。
だから、置いてきたものに対し、申し訳ないという気持ちは少しあるが、後悔はしていない。
……悔んでも、今更だ。
世界は変わらない。俺は恐慌世界の共犯者。この人と共に行くんだと、自分でそう決めたじゃないか。

「戻りたいか?」
心を見透かされた気がした。
弾かれるような勢いで顔を上げれば、無慈悲な鷹の目と視線が合う。
冷たい色。
冷たい声。

この冷たさに、俺は惹かれたんだ。

「いいえ。」
笑みを浮かべ、首を横に振って言い返す。
相手の酷薄さが、深くなる。

「後悔は?」
「していません。」
すると、相手が口端を吊り上げた。
それは――喜悦?
マルチェロは満足げに頷き、言う。

「そうだ、それでいい。――後悔はさせん。そう言ったからな。」
「はい。」
銀の髪の残像が、凍り付く。
そのまま記憶の底で眠ればいい。

「――エイト。」
「はい。」
「愛しているぞ。」
広間に響いた告白が、俺の心を侵していく。
この浸蝕には抗えない。
例え嘘だとしても。

「……俺も、愛してます。貴方を。」
目の前で、嘲弄。
冷笑似合う氷帝。
差し伸べられた手をとって、微笑を返す俺はその下僕。

嘘でもいい。
真実など求めていない。
いつか切り捨てられるのだとしても、それでも俺は、この薄氷の上を行く。
手をとったあの日から、俺の運命はこの人のものなのだ。

俺の行く世界。
俺の着く未来。

いつか薄氷を踏み砕くだろう。それか、誰かによって踏み砕かれるのか。
落ちた先に光は決して無いだろうが、それでも。

落ちた闇のその先に、マルチェロだけが居れば良い。

Servant