TOPMENU

冷たい人の名を呼んで

蒼黒の契約 黄金の誓環 3



「何しに来たんだ。」
「お前を迎えに来たんだよ、エイト。」

解放軍の若きリーダーは、こともなげにそう言った。
古書独特の匂いが立ち込めている書庫の隅、エイトは壁に押しつけられている。
相手を睨み付けるその視線の刺々しさに、かつての優しさ、穏やかさは何処にも無い。
男は怯む様子を見せなかったが、敵愾心を露わにしたエイトの反応には、少しだけ哀しげな色を瞳に浮かべた。
それでも気を持ち直して、言葉を続ける。

「なあ、俺と一緒に行こうぜ。……みんな、お前を待ってる。」
「……冗談だろ?」
鼻先で笑い、短く吐き捨てたエイトに、解放軍のリーダー……ククールは、微苦笑する。
「冗談でこんなところまで来るかよ。」
ここは書庫だ。だが、普通の場所にあるのならば「こんなところ」とククールが言うわけも無い。
ここは世界の中心。
統べる王が住まう邸がある、サヴェッラ大聖堂。
非常に厳重な警備が布かれている上に、ある一定の位が無ければ立ち入ることすら許されていない場所である。
なのにククールはここに来た。当然のように、無許可で。

――申請など、下りる筈も無い。
反乱軍のリーダーに立ち入りを許すものが何処にいる?
それにしても、どこを掻い潜ってやって来たのだろう。侵入者ありの報告はまだ無いので、誰も気づいていないか。
これは一度、邸全部を点検しないとダメだな……そんなことを考えていたエイトの頭上で、ククールがもう一度、話しかけてくる。

「エイト、俺と来い。」
「煩い。」
「大丈夫だ、俺たちはお前を歓迎する。……なあ、一緒に世界を解放しようぜ。俺と、一緒に。また、前みたいに……さ。」
腕を掴んでいた手は、いつしか縋り付くような力でエイトの手に重ねられていた。
昔と変わらない、温かい手。
懐かしい温もりが、冷たいエイトの手を、心を、和らげていく。

解けていく――説かされる。

「……っ、離……せ!」
心の奥で揺らぎかけた何かの正体が判明する前に、振り払う。
しかし、手は掴まれたまま。エイトの言葉に返されるのは強い声。
「離さない。お前が頷くまで、何回でも言ってやる。――俺と来い、エイト。」
「煩い。」
「こんなところ、お前には似合わねぇよ。」
「……煩いって言ってるだろう! お前は世界だけを解放してればいいんだよ! ……俺に構うな!」
「エイト!」
強く肩を掴まれる。が、その痛みで逆にエイトは我に返ったらしく、高ぶりかけた感情を声と共に押し殺して言った。

「今なら見逃してやる。……とっとと帰れ、反逆者。」
顔を上げ、真っ直ぐに。
エイトはククールを睨みつける。
目は怒りの為か僅かに赤い――が、涙は滲んですらいない。昔は、感情が昂ると泣きそうになっていたのに。

涙脆いあのお人よしは、もういないのか?
敵意しか抱いていない返答をするエイトの腕を、それでも離さず、ククールは食い下がる。
「何と言われようと、俺はお前も連れて行くぜ。」
ウルサイ。
「……行かないって言ってるだろ。」
「連れて行く、って言ってんだ。」
ウルサイ。
「……しつこいんだよお前は。」
あまりにも執拗なククールに、エイトはささくれ立つ心を抑えきれなくなっていく。

「お前が頷いたら、引き下がる。俺と一緒に来い、エイト。」
「――ウルサイッッ!」
上体を捻じり、押さえつける腕を解こうともがくが、ビクともしない。
少し背が高いというだけで、この腕力差だというのか。

「お前なんか嫌いだ! 離せ!」
悔し紛れに悪態をつけば、ククールの瞳に悲しみの影が落ちる。
だが、エイトは気づかない。

もう、気づいてくれない――?

「……エイト――」
「ンッ……!?」
手を伸ばし、顎を掴んで引き寄せ、口付けた。合意ではなく強引に。
押さえつけたエイトの抵抗が、いっそう強くなる。
「ふ、……っっ!」
不意に、赤いバンダナが眼前で舞った。

思わず手を離した――その隙を、突かれた。
剣が空を切るのをどうにかギリギリでかわせば、逃げ損ねた髪の毛が、幾つかパラパラと床に落ちる。
剣閃。
前に視線を戻せば、肩で息をしながらも剣を構えたエイトが、すっかり敵意を剥き出しにしていた。

「今・すぐ・俺の・前から・消えろ。」
「エイト! 俺は――」
前に一歩踏み出した瞬間、今度は閃光音がした。見れば、床に小さく焦げた跡がある。
――雷撃は、エイトが得意とする魔法属性だった。
足元スレスレの一撃は警告。二度目の。三度目は、きっと――……。

「次は当てる。……ここから、出て行け。」
バチッ、と強い雷鳴音。その言葉どおり、今度は本気で来るだろう。
ククールも何種類かの防御魔法を習得してはいるが、ではそれでエイトの本気の攻撃を受けきれる自信はあるのか、と問われれば――答えは、ノー、だ。

「……あーあ、振られちまったか。」
ククールは胸の前で両手を挙げて降参のポーズをとりながら、窓際に後退った。
その動きを追う、エイトの剣先。
尖りきった眼光は、もはや和らぐ気配がない。
ククールはそれを悲しい目で見遣ると、彼に背を向けて窓を開け放つ。冷たい風が吹きつけてきたが、エイトの冷ややかさに比べたら生温いものに思えた。

(重症だな、俺は。)
ふっ、と自嘲を浮かべると、ククールは背後の相手に問いかける。

「なあ。……俺は、もう敵でしかないのか?」
「……あの人の害になる限りは、な。」
「……なんで、マルチェロなんだ?」
「……、」
「俺じゃ……ダメだったのか?」
「……、諦めろ。」
「……そうか。」
それからククールは何度か躊躇いを見せ、その場に佇んでいたが、やがて窓枠に手を掛けるとそこから身を乗り出した。
飛び立つ一瞬、肩越しに振り返り、残りの言葉を告げる。

「俺、お前のこと好きだったんだぜ。エイト。」
「……悪いな。」

――謝るなよ、お人よし。

薄々ながらも感づいていたのだろう。目を伏せたエイトは、少しだけ泣きそうな顔をしていた。
その一瞬、垣間見えた昔の面影に、ククールの心中に苦いものが込み上げる。
しかし、未練を置いて行く気は無い。

あんな顔を見せられては……置いて、いけない。

「じゃあな……エイト。」
複雑な想いを飲み込むと、別れの挨拶だとばかりにルーラを唱え、部屋から出て行った。
彼が振り返ることは二度と無かった。

太陽の後を追うように遠ざかっていく赤い銀色。
それを、ぼうっとした眼差しで見送りながら、エイトは呟く。

「もう、来るなよ……阿呆。」
「密談は終わったのか?」
「――っ!?」
夜気よりも冷たい声にギョッとして振り返れば、ドアの側に冷笑を浮かべた男が立っていた。

Returner