冷たい人の名を呼んで
蒼黒の契約 黄金の誓環 4
「マ、マルチェロ……、教皇、様。」
「二人きりだ。名前で呼べばいい。」
親しげな台詞とは裏腹に、口元には冷笑。冷ややかな眼差しから察するに、今の会話は聞かれていたようだ。
いつから居た?
どこまで……聞いた?
「――誘いに乗らなかったな?」
「……。」
その質問は、最後のやりとりは確実に聞かれていたのだと分かるものだった。
エイトは戸惑ったが、後ろめたいことは何も無い。……あの一部を除けば。
首を横に振り、すぐさま忠誠の言葉を紡ぐ。
「俺には……貴方だけ、です。」
「フン。型通りの返答だな。」
マルチェロが、鼻先でせせら笑う。
「それは本心か?」
「……あ、当たり前です。」
「……どうだかな。」
「教皇さ――っ……!?」
答える隙は無かった。
マルチェロは大股に近づいてくると、顔を上げたエイトの顎を掴み上げた。
ぐっ、と呻く声が上がる。
だが眉間に皺を寄せたマルチェロは手を緩めることもなく、冷ややかな、それでいてどこか蔑んだ瞳で相手を見つめて言った。
「下らん演技は止せ。もう、ここまでだ。」
言われた意味が、分からなかった。
エイトは息苦しさなどすっかり忘れ、目を瞬かせて狼狽する。
「マル……チェロ? な、何を……」
「貴様はスパイとして、ここに――俺の側に居るんだろう?」
「なっ……」
青天の霹靂、とは正にこのことだ。
顎を掴まれた状態では辛かったが、それでも何とか首を横に振って、エイトは言い返す。
「違う! 違います、そんな……どうして!」
どうして、急に。
「アイツが逢いに来たのが良い例だ。厳重な警備を、こうも容易く抜けてこられたのも、内通者がいたから……だろう?」
「俺は連絡なんて、とってない! ……どこにいるのかも知らない――知らなかったのに、連絡なんて!」
事実、彼らとは別れを告げて以来、会っていない。
手紙も、姫……ミーティア、やゼシカなどから届くことはあったが、捨てていた。中身は一切見ていない。
封も切らずに、破棄したのだ。自分で火をつけて。この手で。
責任や後悔からではない。ただ、情報が漏れるのを防ぎたかっただけだ。
俺は彼らを裏切った。
だから、冷酷に徹さないといけない。
優しさなんてみせても辛くなるだけだから。
彼女たちも、そして――俺も。
「……警備に落ち度があったのは、認めます。……すみません、でした。」
「その警備をかいくぐった男に、お前は誘われていたな?」
「あれは断った! ……、あんなもの、断って、追い返したじゃないですか。……俺はアイツに、着いて、いかなかった……」
見ていたのなら、知っているじゃないか。俺の答えを。
聞いていたのなら、分かっているじゃないか。俺の思いを。
「その行動すらも、欺きの一環では無いのか?」
嘲弄と共に吐かれた一言に、今までの忠誠全てが砕かれた気がして、頭の中が真っ白になった。
◇ ◇ ◇
「……違うっっ!」
怒りを混じらせて、エイトが叫んだ。
珍しく感情を昂ぶらせた様子を目にしてマルチェロが唖然とすれば、その肩をエイトが掴み、壁に押し付けた。
形勢逆転ともとれる体勢から、エイトはマルチェロを睨みつけて口を開く。
「俺は今更、罪から逃げる気は無い!」
「フン。強がるな。」
強がってなんかいない。
第一、それは。
――それは貴方のほうじゃないか、マルチェロ。
「……これまでの命令を下したのは貴方だけど、直接、それらに手を掛けたのは俺だ。貴方じゃない。」
「……。何だ。恩でも売るつもりか?」
「違う。――俺は……」
どうして分からない?
いや、違う。
この人は、きっと……解ってる。
「――。」
エイトはそこで息を吸って気持ちを落ち着けると、マルチェロを見つめて言った。
「俺は、貴方の剣であり、盾だ。」
「? なに、を」
「立ち塞がるものは剣として切り殺す。けれどその血は盾となって貴方には浴びせない。――今までそうだっただろう? だから、貴方よりも、きっと俺のほうが多くの血に塗れている。」
「汚れ役は、お前には似合わん。……似合っていないんだ、エイト。」
マルチェロの呟きに、エイトが苦笑した。「貴様」が「お前」に変化している。
――ああ、この人はいつも心を騙すのが下手だ。
マルチェロの胸にそっと頭を傾けて、エイトは笑う。
「俺の手はとっくに血塗れだって言ってるだろ、マルチェロ。……だから、大丈夫だよ。」
何が大丈夫なんだ、といった目でマルチェロがエイトを見下ろす。
エイトは穏やかな笑みを浮かべると、不機嫌な顔のままの相手の手をとり、答えを捧げた。
「罪は、俺がみんな背負っていく。だから、貴方は――マルチェロはずっと前を向いていろ。後ろにいる俺など気にしないでいい。……いいや、するな。」
「何をバカなことを。エイト、お前は、」
「振り返るな。下を見るな。俺は、世界を敵に回してもマルチェロについていくと決めたんだ。そして、マルチェロが俺の運命だ。」
言うなりグイと顔を近づけると、マルチェロに驚く時間も与えず耳元に唇を寄せ、囁く。
「俺の運命が俺から離れていこうとするなんて、ありえない。……だろ?」
忠誠なる龍が発したのは、なんとも傲慢な願い。
勝手に決め付けて、言い切って。
愚かで、馬鹿馬鹿しい命令は、けれど――見事な忠誠の、証。
「ふっ……ははは。下僕の分際で言うじゃないか。」
皮肉と冷笑の中に、楽しげなものが混じる。
「負けた。……完敗だ、エイト。」
宣告と、その後に続いた誓いに、遂にマルチェロは陥落した。
褒美だ、とばかりに口付けを返すと、エイトの体を抱き寄せて言い返す。
「――ならば付き合え、この俺に。死んだ後の地獄の底、光の見えない闇の奥までついて来い。」
「ああ。地獄だろうと何だろうと、マルチェロが居るなら喜んで。」
「馬鹿者め。」
「いいさ、バカで。マルチェロも一緒なんだろう?」
「そうだ。」
ならばついていこう、どこまでも。
付き添わせてやろう、いつまでも。
これも一種の運命共同体。
後世、人は笑うかもしれないが構うものか。
氷の世界。反逆の道。
切り捨てたことに、最早、迷いなど残っていない。
光は無く、その欠片すらも氷の前にひれ伏したのだ。
道連れの、運命。
ああ、なんて良い響き。