Drago di Isolamento -side:M-
03c. 氷の円卓
「化け物を引き連れた一行を捕らえた」と部下より報告を受けたので幾らか驚いた。
近頃に騒がしくなった世界情勢と関係があるのか。化け物風情が、この神聖なる修道院に侵入してくるとは何たることだ。……そういえば、ある遠方の地においては、何処かの城が壊滅したとか何とか。
もっとも、真意は知るべくも無いし、知ったところでどうもしない。俺には関係の無いことだ。
とりあえず、書きかけの書類を置き、部下に案内されるままに地下の尋問室へと向かった。
その道中、部下に捕縛した輩についての質問をしたのだが――これが皆、どうしたことか口篭る、言い淀む。「いや、それが…」だの「ええと…」など曖昧にぼかして報告するものだから、全く要領が得ない始末。
何だ? それほどに珍妙な奴らなのか?
その答えは、尋問室に足を踏み入れてから判明することになる。
そしてそれが、言葉に表せぬものだったということにも。
◇ ◇ ◇
地下に存在する部屋というものは、気密性が低いこともあってか漂う空気が上と比べてやや冷たい。壁一枚を隔てた後ろにあるものが、土であることも原因の一つだが、けれど――けれど、その時に感じた冷気は、全く別の代物だった。
尋問を行う机に、三人の人間が居た。
一人は、気の強そうな少女。もう一人は、田舎臭い無骨な男。それらは、どうということのない、とりたてて言えば平凡な人間だった。
だが――三人目は、違った。
一瞬、存在が掴めなかった。
その者は少女と男の中央に居て、ただ静かに――そう、まるで静物のように鎮座しているだけなのに、妙に目を、意識を引き付けた。
ピシリと姿勢を伸ばし、何の表情も浮かべずに座っている男。頭に巻いたバンダナの赤よりも、先ずはその顔に目が向いたのは、長めの前髪で覆われたとはいえ、全くに隠しきれていない冴え冴えとした美貌があったせいだろう。現に、部下の何人かが既に青年に釘付けとなっている。呆然として、唖然として。
女ならまだしも、男に見蕩れるとは嘆かわしい――とは思うものの、それ程に惚れ惚れとする美であるものだから、おかしな気分になる。
これまでに、有象無象の美というものを幾つか見てきたが――これは、遥か高みにあった。
両隣の少女と男がやかましく喚く声も気にはならないのか、青年は凍りついた眼差しを僅かに伏せて、押し黙ったままでいる。俺が対面に座ると、その音か気配で少しだけ顔を上げたようだが、それでも何も言い出さない。
喋るのはもっぱら、少女と男だけ。
今回の騒動に関したことや、それに対する嫌疑を説明している間も――青年は口を挟もうとせず、押し黙り、そこに居る。
我関せず。好きにしろといった具合で。まるで「お前たち如きに利く口は無い」、とでもいうような態度でいて。
成程。この女神殿は随分と高潔なようだ。
普通ならば、「虚勢を張っている」だの「恐怖を誤魔化している」だのと解釈して冷笑の一つでもってして応じているところなのだが――”相手にされない”という言葉がそのまま被害妄想めいた感情へと繋がり、不可思議な苛立ちを抱き始めた。
罠に掛かり始めたのは部下たちだけではないようだ。忌々しい。
そのせいか、ついコチラも、大人気なくこんな台詞を吐いてしまった。
「ともかく、お前達の容疑は明白だ。非常に残念だが――明朝、拷問にかけた後、裁かせてもらおう。」
”拷問”という言葉に、少女と男がビクッと身を強張らせた。わざと威力の高い言葉を選んだのは、ひとえに氷の青年がどういった反応をするかという興味があったからだ。
さあ……どう動く、女神殿?
この台詞が効いたのか。
俯くようにしていた青年が、ゆっくりと顔を上げた――。
◇ ◇ ◇
薄氷を踏んだ先に広がっていたのは闇の陥穽。伏せられていた視線の意味が、ようやくそこで理解できたが――愚か者には遅すぎた。
精神を貫かんばかりの強い視線が、言葉の代わりに突き刺さる。かと思うと、間もなく瞬時に凍て付いた気配が室内に満ち、その気に当てられた部下が壁によろめき掛かるのが視界の端で窺えた。
これは……何だ?
歯を噛み締めた口元を、机についた手でさり気無く隠す。
椅子に座っている御蔭で部下のようによろめくことはなかったが、それでも心臓を鷲掴みにされた感覚に眩暈がし、動悸が早くなるのを感じた。
何という深い闇色の瞳か。
見つめ続けていると意識ごと取り込まれそうな――ああ、見事な、闇。
捕まる。いやもう捕まってしまったのか。
視線が……意識が、外せない。檻の中に踏み込んだ獲物。罠が落ちるまで気づかず。
――この男は何者だ?
動揺を振り払う為、己の仕事を思い出す。
事前に受けた報告では、ただの旅人とあった。
なのに、この威圧感は。
壁際で――認めたくはないが――不肖の”弟”が忍び笑っている気配がした。どうも、恐怖を誤魔化している……のではなく、この青年の殺気じみた気配を愉しんでいるようだった。
それと、俺の反応に対しても。
――小賢しい。
とりあえず、青年共々その化け物一行を地下牢に閉じ込める旨を部下に伝えつつ、氷の気配漂うその部屋を後にした。
しかし、部屋に戻ってからも、震えは消えず。
脳裏に焼きついた美貌が、離れてくれず。
思わず壁を殴りつけ、頭を振って考えを跳ね除けることでどうにか自我を保つ自分がそこに居たこの事実をどう見ればいいのだろう。
不覚。この俺が、一介の男に気圧されるなど。
無様。この俺が、その男に見蕩れるなど。
そのような性癖は無い。
不肖の弟なら、ともかく。
ああ……冗談じゃない!
それから後すぐに面倒なことが起こり、不肖の弟を押し付けた上で、彼の女神にはお引取り願ったのだが――どういうことか、また会う様な気がしてならなかった。
それは予感。運命とは決して思いたくはないが。
来たるその時、俺は抵抗できるだろうか。あの青年に。
エイトという名の、怖ろしく冷たい美貌を持つ男を前にして立ち向かえるだろうか。
膝をつくような真似だけは決してない、と――思いたい。