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Drago di Isolamento -side:K-

06B. 陽光の下の黒曜



言葉が無くとも。
否、言葉など口にせずとも。
黙っているだけで、その存在が際立つ者を。
口を開かずとも、全てを圧倒させる姿を。
何もかも全てを呑み込むように、強く魅了する絶対無為の存在を。

――俺は知らない。
こいつ以外には。


◇  ◇  ◇


雑踏が、水を打ったかのように静まり返る。
動が一瞬にして静へと映るその様は、正に見事としか言いようの無い光景だった。
全ての視線が、俺――の、隣の人物に集中する。
女神が目に映しているのは、何なのか。何に意識を向けているのかすら、知る術は無い。
我関せず、という態度で町中を歩いていく姿を横目にしながら、俺もその隣に肩を並べて歩く。
陽光の元に居ても、闇は変わらず闇のまま。
纏う冷気も一定で、表情も変化が無い。
けれど、俺は――先程から、何故か視点の定まらないエイトが気になっていた。

(つーか、こいつ……さっきから何を気にしてんだ?)
エイトは、静かに首を傾げては、ゆるりと辺りを見回していた。
何かを気にしているのか、それとも何かが気になっているのか。俺も、釣られるように辺りを見回し、そして気配を探ってみたが、特に怪しいものは無い。
――無い、と思うんだが……。
その時、真っ直ぐ歩いていたエイトが、ふっと道の横に寄った。
「エイト? 何だ、どうした――」
「……いや。……何でもない。」
(何でも無い、だぁ?)
おいおい、幾ら表情に出ないとはいえ、顔色真っ青だぞ!?
色が白いのは知っているが、それに青みがかかり、いつも以上に白く見える様は痛々しく、常に殺気を帯びているような怜悧な視線も、今はどうも弱々しい。

俺は舌打ちすると、エイトの肩に腕を回して引き寄せた。
もっとも、これは今こいつが不調で弱っているから可能なわけで、万全な状態ならばこうも簡単に触れることは叶わない……いや、敵わない――筈だ。
俺は未だ、こいつの放つ冷たい殺気に慣れていない。
仲間としてはどうにも情けないが、な。
冷気に怯む前に、俺は相手の顔を覗き込んで声を掛ける。

「おい、そんなツラして何も無いわけないだろ。どうしたか言ってみな。」
「……本当に、何でも無い。」
眼を伏せ、首を横に振るのは否定の証――だが、その表情、様子から、珍しく見て取れる答えは肯定。
「何でもないから……俺のことは、気に……するな。」
エイトが口にするのは、何処までも否定の言葉。
真っ青な顔をして、力無く俺の肩に凭れるようにしているくせに、尚もまだ強がりを言う。
こんな状態でも、拒絶する。
女神は接触を許さない。
ああ、高潔だ。諸手を上げるくらいに。
ま、お前がそうやって俺を――仲間を、こうも拒絶するのは構わないがな。

――俺が構わなくないんだよ、ちっともな!
肩を抱く腕に力を込めて、俺は相手を睨み付けながら言ってやった。
「お前の言うことなんか聞いてやらねぇ。一先ず、ドコか休める場所へ行くぞ。……いいから、大人しく俺に付いて来い。」
まあ、こんな事など言わなくとも、エイトは大人しいのだが。
とにかく、強引に肩を抱いて歩き出しだした。半ば、引き摺るような格好で。
けれども、適切な場所を探して辺りを見回してみるも、この町はドコもが適切でなく清潔でもなく、ごちゃごちゃなバロックであることを忘れていた。

結局、俺は”通常における適切”を諦め、酒場の突き当たりの、階段を上がったところへと向かうことにした。
地上より、空に近い方が空気もマシだろうと考えて。


◇  ◇  ◇


そこは、屋上のような場所だった。
石で作られたバラックの、屋根の上に広がるのは同じ素材の石畳。意外にもそう汚れてはおらず、陽光が直接差しているせいか温かくて気持ちが良かった。
それに、高さもあってかやはり空気も下よりはマシなほうで、これならばエイトも少しは気分が良くなるだろうと考えた。
そこで、エイトを置いて少し先を置いていた歩いて俺は、そこで背後を振り返って――凝然とすることになる。

笑って、いた。
エイトが。常に無表情でいる男が。
それは本当に微かだが、紛れも無い微笑だった。
柔らかで、穏やかで。
冷たさが息を潜め、そこだけ花が咲いたような笑み。
魂ごと魅了し、束縛するような微笑を目にした俺はそのまま意識を捕らえられ、暫しその表情に見入ってしまっていた。
そしてその俺の凝視と沈黙は、相手の疑問を引き出すには充分すぎた。

「……? どうした、ククール?」
感情の無い声で名を呼ばれ、俺はハッと我に返る。そこに居たのは、いつもの冷気を湛えた氷の双眸と、感情の欠片も無い無表情の男だった。
呆気ない一瞬、けれど見たものは鮮烈に焼きついて。
人外の者が、人に変わった瞬間と言えばいいだろうか?

氷塊の下にあったのは、月下美人。
刹那の美の一撃に、俺はなかなか抜け出せないでいた。
何て……。
何て顔をして微笑うんだ……。

「どうか、したのか?」
しっとりとした艶のある声で問われ、俺の心臓の動きはますます激しくなっていく。
「……いや、別に……何でもねぇ。」
急に視線を合わせるのが困難になり、目を逸らすと腕を掴まれた。
そのようにしてエイトが自分から人に触れてくること自体が珍しい行動だったので、俺は驚いて目を合わせてしまう。
――それが、拙かった。
視線の先にあったのは、一陣の闇の燐光。
そこにはもう、光の欠片が入り込める余地は無い。
ただ冷たく――威圧的な氷。
「ククール? 顔が……赤いが。」
声が、身体全体に響く。頭の芯が痺れるような、深い艶のある声が間近で鳴る。
深淵の闇が俺の全てを包み込む。
伸びる侵食。

……ヤバイ!

「――離れろっ!」
「――っ。」
気づいた時には、そんな事を叫んで、エイトを突き飛ばしていた。
それも、あろうことか思いっきり。
突然のことに防御できなかったエイトは僅かによろめき、唖然として(とは言っても、それでもコイツは無表情なんだが)俺を見返した。
そして闇色の焦点を合わせると、今の行動を咎めるように少しだけ眉根を顰めた。

「……。」
視線だけで、問い掛けられる。
無言の威圧と共に。
陽光が一転して、暗黒に変わった――ような雰囲気を感じた。
再び、殺気に似た、あの冷たく暗い冷気が周囲を漂い、その身に纏われるのを感じる。
「……エ、エイト……その――」
悪かった、と謝罪の言葉を口にし掛ける俺より先に、エイトが言葉をさらう。
「……戻るぞ。」
それは、短いながらも有無を言わせない威力を持っていた。
それ以上はもう何も受け付けない、とでも言うように背を向け、歩きだす。こちらを振り返りもせず、一人で先に。
遠ざかる背中。
近づいた、と思った。
近づけた、と思ったのに。
また――遠ざかって、しまった。

咄嗟にとった行動で深淵を垣間見ることが出来たが、俺の下らない行動一つのせいで、その扉は深く閉ざされてしまったのだ。
小さくなっていくエイトの背を見つめながら、まるで迷子になった子供のように呆然としてその場に立ち尽くす。
空を仰げば、いつの間にか太陽が傾いていて。
俺は、エイトの影にすら置いていかれて。
一つになった影法師。
何とも最悪な締めくくりを前に、一人――独りきりで途方に暮れる羽目になった。