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Drago di Isolamento -side:K-

07B. 暁照らす氷の雫



青みを帯びた艶やかな髪が、柔らかな風を受けて凪ぐ。
完全に明けきらぬ空の下、微かな朝日に照らされた丘の上に、静かに佇む人影が一つ。
その光景は、高貴にして荘厳。まるで一枚の絵。
けれど、そこに佇む人影は――エイトは、何の表情も浮かべていない。鋭利な刃物のように冷たく冷えた空気を纏いながら、ただ静かに空を見ている。
穏やかな光景の、そこだけが異質の世界。

(……近づくどころか、声を掛ける隙すりゃ無ぇな。)
やや離れた木陰で、ククールは心中でそう呟きながら溜息を吐いた。
パルミドのあの一件以来、どうにも気まずくて会話していない――どころか、接触すらしていない。何故なら、エイトが放つ気が、あれから一層冷たくなったように感じられるからだ。
――底冷えのする、肺腑すらも凍りつかせる殺気の復活。
出会った当初に比べ、最近は幾分か慣れてきた筈だったのに、今はそれすら容易く崩され突き通される。視線だけで人を――否、全てを殺せる。
そんなことすら思ってしまう程、エイトの纏う気が強くなった。
闇が燐光を纏った一瞬を見たククールとしては、だから余計に苛立っていた。
エイトをそうさせた、自分自身に。

(あの時、俺が撥ね退けたりしなけりゃ、な……。)
あの瞬間を、今でも強く憶えている。
突き飛ばした感触。
僅かによろめいた相手。
――そして。
ここから先見たものは、自分の見間違いかも知れないが、日頃無表情なエイトの闇色の眼の奥に、微かな感情を見た気がした。
そこにあったのは、深い海の底のような悲しみの色。
それは何かに酷く怯えたような、悲哀を帯びた色だった。
ククールが瞬きする間に消え失せてしまったが、あまりに深いその色は心に強く焼きついた。
エイトが何の表情も持たない人間ではないということは、あの時――パルミドの屋上で微笑を見せた時に分かったのだが。

(あれが見間違いじゃなければ、俺はとんでもないことをしでかしたんじゃ……。)
そんな考えに至り、今度は愕然とする。
もしあの行為が、エイトの過去の傷に触れるものだったとしたら。
そして、それによってエイトがまた心を閉じてしまったのだとしたら。

(……もう、あいつは……笑ってはくれないんだろう。)
自分のとった行動を悔やみながら、回想から返ったククールが視線の先に居るエイトを、そっと窺った時だった。

「……!」
壮麗な横顔、その目元が妙に艶めいてるな、と思った矢先――エイトの頬を、何かがツッと伝い落ちたそれは、涙。
微かな陽光を受けて煌め落ちゆくそれを、美しいと思った。

けれど。
涙を流した、ということに気づき、ハッと息を飲む。

(何で、泣いて……? ……まさ、か……。)
『離れろ』と言って突き飛ばしたあの瞬間、目が合った。
それは本当に、一瞬の光景。
感情の無い闇の瞳が向けられた時のあの時の場面が脳裏に浮かぶ。

『ククール、どうして?』
相手の唇が形取った言の葉は、幻だっただろうか。
『どうして俺を、突き放す?』
心を寄せた相手に拒絶される痛みは知っていたのに。
どうしようもなく辛く、どうしようもなく哀しくて。
泣きたくなるほどに、痛むのだ。
突き放された心は、いつまでも癒えなくて。

それを、知っていた……筈なのに――……。

「……あ。」
そのまま呆然としながら木の幹にもたれ、よろめき――……ずるずると、へたり込んだ。
同じことを、してしまった……?
「違う、俺は……突き飛ばすつもりなんて――……ただ、」
ゆっくりと侵食されていくのが嬉しかった。
背中を預けてもらえるのが嬉しかった。
ただ、相手の意に副わぬようなことをしようと考えていた醜い自分を、知られたくなく、て。

「――っ、……ごめん。」
そう名を呼ぶ声は、吐いた溜め息にすらかき消されるような、細い声。
ふと遠くを見遣れば、相変わらず氷の表情をした女神が立ち尽くし、空を見上げている。
横顔を流れていた落涙はもう無くなっていて、幻を見たような気分になった。