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Drago di Isolamento -side:K-

09B. 平行線の距離



木陰で目を閉じる女神。
その姿を目の当たりにした俺は、すっかり目的も忘れてしまっていて、ただただ馬鹿みたいに見惚れていた。
考え事でもしているのか、女神――エイトは、全く動く素振りを見せない。

(まさか寝てやしないだろうな?)
そんなことを考えていると、エイトの長めの前髪が、頬の方へ、はらりと落ちかかって、双眸が露わになった。
俺は一瞬、ギクリと身構える。だが、瞳が閉じられているせいか、いつも感じるようなあの闇色の冷気は無い。
いるのは、燦然たる美貌を持つ青年のみ。
風が吹いて木の葉をさらさらと鳴らす。
静謐なる世界は、まるでこの世に二人きりしかいないような錯覚すら起こして。

……クラクラした。

ずっと目を閉じていればいいのに、と思う。
そうすれば、怯えることも無くアイツに近づける――。

――違うな。

(アイツはあのままの方が良いんだ。)
簡単に触れることが出来ない存在。
近づくことも、声を掛けることも、些細な行為すら躊躇わせてこそ、エイトなのだ。
不可侵の女神。
冷徹にて高潔なる、孤高の女神。――そうあるべき、存在。
距離が焦れったくて、だからこそますます焦がれて。

時々、無性にエイトに触りたい、という衝動に駆られる。
あの柔らかそうな髪を梳き、均整の取れた体を抱き寄せ、そして――そして……。

――違う……だろ。

俺は何を考えてるんだ!?
そりゃあ、そんじょそこらの女よりめちゃくちゃ綺麗だが、アイツは男だ。
それに、修道院のジジイど――おっと――院の司教サマがた、の好きそうなナヨナヨした稚児でもない。
アイツは、兵士だ。確か、それなりに由緒のあるだろう城の兵士長だと聞いたことがある。

だから、アイツを抱きたいとかそういうのは――……。
心の中の呟きが聞こえたわけではないだろうが、風が吹いたのに合わせて女神が――エイトが、目を開けた。


◇  ◇  ◇


彼は辺りを見回し、そのまま少しの間ぼうとした風情でその場にいた。
僅かに目を細め、遠景を眺めている。

(寝ぼけてやがんのか? ……はは。まさか、な。)
ククールの苦笑も余所に、エイトは何事も無かったかのようにサッと立ちあがると、再び道なりに沿って歩き出した。
ぴしりと伸びた背筋は、つい今しがたまでうたた寝していたものが見せる姿勢ではない。
怠惰な様など欠片も見せず、真っ直ぐに歩く姿は後ろからでも見惚れるほどに綺麗な動作でいて、寝ぼけているように見えたのは自分の勘違いだったのだろうと思った。

(何でお前、そんな綺麗なんだよ。)
嫉妬なのか何なのかわからない呟きを零しながら、ククールは尚もエイトの後を再び追い始めた。

そうして、どれくらい歩いただろう。
やがてククールは、周囲の景色がどうも見覚えのあるものになっていくのを感じて、嫌な予感がした。
遠くに見える赤茶の屋根。その上に飾られているのは、何をどうしても十字架に見えるような気がしてならない。
(オイオイオイ、この道って……つーか、こいつが行こうとしてるのって、まさか――……!)
その、「まさか」だった。

(――っ……信じらんねぇー……!)
見ただけで嫌な思い出が浮かぶ建物。
その陰に身を隠しつつ、ククールは平然とした顔で中へ入って行ったエイトの背に向かって、愕然とした呟きと視線を投げた。
(何でココに戻って来てんだよ!? というか、もう用事も何もない筈だろ!?)
忘れ物か? コドモじゃあるまいし。
それとも旅の安全を願って、祈りでも来たか? 女神が神に?
ひたすら理由を考えてみたが、どれもこれもピンとくるものは無い。
建物を上から下まで見上げ、溜息を吐く。

(あー……気が乗らねぇー……)
そのまま回れ右でもして帰っても良い――が、しかし、ここで帰ってしまうと、何かに――それとも”誰か”に?――負けたような気がして、癪だった。
(……仕方ねぇ、行くか。)
遂に覚悟を決めると、嫌々ながらも中へ入ることにした。
かといって、正面から入るなんてことはしないわけだが。