Drago di Isolamento -side:K-
11B. 背信の思慕
仲間の待つ宿へと帰還したのは、随分遅い時間だったように思う。
ガキじゃねぇんだ。別に、帰るのが夜更けになろうが朝方になろうが関係無いだろう?――そんなことを心の中で吐き捨てながらも裏口から入ったのは、全身水浸しという無様な姿を誰にも見られたくなかったからだ。
意地を張っている、といえばそれなりに聞こえるが、要は虚勢に過ぎない。
(クソッ……今の俺、めちゃくちゃ格好悪いだろ。)
眉を顰めつつ、部屋がある二階へ続く階段を上がっていく。
歩くたびに濡れた服が肌に張り付いて気持ち悪かったが、部屋に戻るまではどうしようもない。屋内とはいえ、こんなところで服を脱ぐほど馬鹿でもない。
しかし階段を上がりきり、廊下の奥に視線を向けたところで俺は足を止めることになる。
いや、”止められた”と言ったほうが正しいのか。
◇ ◇ ◇
ドアの前にて待ち構える女神は、冷え冷えとした雰囲気を纏わりつかせていた。
嫌でも目立つ美しい彫像のような姿勢に意識を引き寄せられるのは、そんな相手が立っている場所がククールの部屋の前だったりするからだ。
故に、無視しようにもしきれない状況であった。
「……どこへ行っていた。」
感情のない声で吐かれた詰問は、責めるような、非難するような言い方だった。
その口調は、誰かに――あの男に……似ている、ような?
こちらを見つめるその視線の強さ――遅く帰ってきたから怒ってるのか?――にも気後れしたが、かといって馬鹿素直に謝る気持ちはさらさら無い。
凝視に構わず部屋に向かって真っ直ぐ進んでいけば、相手――エイトは、コチラの接近を見るなり僅かに目を眇めて口を開いた。
「……酷い格好だ。」
雨音に掻き消されること無く響いた低音な声に、温かみは微塵も無い。ククールは自嘲を浮かべ、肩を竦める。
(出迎えの挨拶も無い、か。)
雨に濡れて全身ずぶ濡れのこの様を見ても表情すら変えないとは恐れ入る。
彼は、仲間の些細な怪我も目敏く見つける男だったのでは無かったか?
本来なら、「大丈夫か?」と静かに訊ね、過剰ともいえるくらいに丁寧になにかしらの手当てくらいはしてくれている筈なのだ。男女問わず平等に優しく、無表情ながらも手つきは慎重で、治療も的確で。
勿論ククールも、何度か傷(ちなみに掠り傷でも対象になる)をエイトに目敏く見つけられては、薬草を塗っておけだの包帯を巻いておけだの言われたものだった。
ああ、あれはいつの頃だった?
(……パルミドまでは、そうだったよな。)
気まずくなる前のことだ。
(だとすると、俺はもう仲間じゃないのか?)
今この時も、エイトは何も言わない。言ってこない。
どうした、何があったと訊ねてくるものの、それ以上は深く追究してこない。
どうでも良くなったのか。
それとも気にならないのか。
俺は要らないのか?
新しい駒を見つけたから、もう必要ないとでも?
(――女々しすぎて吐き気がするな。)
自分の考えながら気が滅入りそうだったので、そこで考えるのは止めにした。
ククールは額に張り付いた前髪を書き上げると、エイトに口を開く。
「どこへ行ってようがお前に関係ないだろ?それと、そういう”尋問”は後にしてくれねぇかな。」
言って、両手を軽く広げて今の惨状を見せてやるも、相手は冷徹な態度を崩さない。
「……入浴時間は、とっくに終了しているぞ。」
端的な言葉の中に込められていたのは冷気。
「そんなになるまで、どこで、何をしていた。」
冷酷な美貌に何の感情も混ぜず淡々と質問を続けるその声には冷酷な響きがあったが、それでも、コチラを真っ直ぐに見つめる相貌はやはりハッと目を引くほど美しくて。
自白したくなったくらいだ。
それこそ、何もかもを。
「――っ!」
だが、耐えた。唇の内側をがりりと噛んで。
そして視線を逸らしながら、これ以上冷気で体温を下げられては堪らないからとっとと話を切り上げてしまおう、と言い訳のようなものを考えた。
「……っ……あーハイハイ。わざわざ心配どーも。」
口中に広がる僅かな血。厭な味だ。エイトはといえば涼しい顔をして、ククールが事情を話すのを待っているのか両腕を胸の前で組んで佇んでいる。
(何だよ。何か言えよ。)
仕草の一つ一つに苛立つのは、昼間見たものが頭から離れないせいだ。
切れかけた電灯のように、あの時見た光景がちらつく。
マルチェロを押し倒し、じっと見つめるエイト。
彼らは何をしていたのだろう。
あの密室、二人きりで、何を。
姦計でも企みあったか。
甘い言葉でも交し合ったか。
――考えれば考えるほど、苛立ちが増す。
「つーか、何なんだ? 俺に何か用なのかよ?」
部屋に入ろうにも相手がその真ん前に立っているものだからククールは何時まで経っても中に入れない。そのせいで、いまだ濡れた服を着ている状態だったから、部屋の前に立ち塞がる相手の後ろを顎で示して「邪魔なんだよ」と言外に表してみたのだが――…。
「……話が、ある。」
相手は窓に流していた視線をククールに戻すと――気を逸らしていたのか?――静かながらも実に響きのいい声で言葉を続けた。
「……。中で、話そう。……入るぞ。」
言うなり部屋のドアを開け、脇へ僅かに身を引く。視線だけで「先に中に入れ」と促した上で。
「おい! 勝手に話を進めるんじゃ――!」
抗議の声を荒げて詰め寄ろうとすれば、エイトの視線がスイと動いて。
『――俺の言うことが聞けないのか?』
闇色の瞳の一閃。
「……っ、……。」
嫌だ、と突っぱねることが出来たらどんなにいいだろう。
このまま反抗してみようか、とそういった考えがちらと脳裏を掠めたが――。
「……どうした? ……早く、入れ。」
冷たい声に気圧されて、結局は部屋の中へと足を踏み入れることになった。
「追い返す」という選択肢を遂に持ち出せなかったことに、酷く自己嫌悪しながら。
◇ ◇ ◇
夜間用なのか、いつもと違って上着の青は普段身につけているものより深い色をしていた。
昼間が澄み切った青天の色だとしたら、いま身につけているそれは海の底のような暗さだと思う。白い肌を引き立てる、色。
「……雑だな。」
冷やかな呟きに顔を上げれば、僅かなシーツの乱れを見つけたらしきエイトがベッドメイクをしているところだった。
いや、というか――……。
(……客なのに何やってんだこいつ。)
呆れながらも特に口を挟まず眺めていれば、やがて作業を終えたエイトが枕を軽く叩くのが見えた。その顔はまるで目標を達成した子供のように誇らしげで、ククールは笑ってしまう。普段が無表情なので、そうした仕草が余計に子供っぽく見えてしまうのだ。
だからか――。
「おいおい、シーツなんか寝ちまえばいくらでもずれるんだ。構うなよ。」
いつの間にか、声を掛けていた。以前のように、気安く。
「……そうか? ……、そう、だな。」
答えた声に、少し残念がった感があった。何をそう名残惜しく感じることがあるのか。
(まさかこういう雑用が好きなのか? ……結構いい役職に就いてるクセに?)
変な奴、と心の中で吐き捨てた言葉を聞きつけたわけではないだろうが、不意にベッドメイクを終えたらしきエイトがククールを振り返った。そしてククールの全身をさっと一瞥すると、少しだけ首を傾げて問い掛ける。
「……お前は、いつまでその格好のままで居る気だ。」
「……へぇ。言ってくれるじゃねぇか。」
その言葉を聞いて、ククールは溜息を吐いた。
そして、ようやく俺の惨状に触れてくれるのか?と言いたげな顔をしつつ、うんざりした声で言い返すのだ。誰のせいでこんな状態でいなければならないのかを、彼の女神に知ってもらうが為に。
「着替えたくても、替えの服とか道具の一切はお前に預けてあっただろうが。違うか?リーダーさんよ。」
そうククールが吐き捨てれば、相手が瞬きするのが見えた。驚いているのか思い出したのか、それとも両方か。
そうなのだ。
道具や装備品の一切合切は、この“女神さま”に預けていたのだ。
ちなみに、全てを預けているというわけでは無い。当然ながら、常に使用する薬草などの道具や装備品といった必要最低限なものは、それぞれ各自で管理し、持ち歩いている。
しかし、それ以外の戦闘の際に必要無いものは――着替えなどの生活必需品など――は、全てこの引率者に預けていた。
理由は簡単かつ単純。「管理が完璧だから」が、その理由である。
実際、エイトに物を預けてみて分かった。
何せ種別ごとに袋に纏めて分類されている上、要請すればすぐに用意されるという優れもの。整理整頓が上手いのもあるだろうが、それ以前に似たような袋の中からどうやって該当品を判別してしるのか謎である。そのせいもあって馬車の中はいつも清潔で、綺麗に整っていた。
トロデ王、いわく――「あやつは我がトロデーンが誇る兵士の長だからのう。何事においても無駄が無いのじゃ!」だそうだ。
事実、エイトが居ると旅の間はほとんど不自由することが無い。
煩うものは取り除かれる。――例えばモンスター。
望めば大抵叶えられる。――例えばその日の料理。
完全無欠たる統率者。
離れがたくなる。頼りにしたくなる。
ああ、どこまでも巧妙で、狡猾で、恐ろしい――”罠”だ。
「……馬車は、外にある。」
「宿の裏手だろ? 言わなくても知ってるっつーの。」
エイトが低い声で呟き――文句でも言っているのか?――そうして、窓辺に視線を走らせた。
外は暗く、雨足はだいぶ酷くなっている。なにも無理に馬車にある着替えを取りに行かずとも、宿の人間に言えば服を借りることが出来るのだ。
しかし、ククールはそれを言おうとしない。
エイトも、そうした方法を口に出さない。
互いに欺いて。
室内に落ちる沈黙。
少しして、動きを見せたのはエイトだった。
「……着替えを持ってくる。」
「持ってくるって……外は大雨――あ、おいっ! エイト!?」
呼び止める間は無かった。
ククールが振り向くも、相手の姿はもう室内には無く。
呼び止めようと上げた手が誰も居ない空間に空振りし、ドアが閉まった音だけが響いて――ククールは室内に取り残された。
「……。信じらんねぇ。普通、こんな大雨の中を出て行くか!?」
悪態を吐いたのは、呼び止めたのに無視されたせいだ。髪を掻き、ベッドに腰を下ろして窓の外を眺める。
大雨。この宿には裏手に馬車を止めることが出来る大きなスペースがあるのだが、それでもそこに辿り着くまで距離はある。
先ほど空振りした手に、何気なく視線が落ちた。
少し前なら、呼び止めることが出来ていた。「エイト」と名前を呼んだ時点で相手は必ず足を止め、一度は振り返ってくれていたのだが。
「俺の声は聞こえていただろう?」
訊ねようにも、エイトは居ない。訊く勇気も無かった。
気配は止まる素振りすらみせなかったから、聞こえない振りをしたのかもしれない。
「俺はもう、お前の目にすら留められ無いのか?」
戦闘要員として価値はあるが、仲間としてはすっかり興味を失われてしまったのか。
しかしこの雨の中、エイトはククールの為に宿の裏手に止めてある馬車へと着替えを取りに走っていった。
少し考える素振りは見せたものの、後は何の躊躇いも無く行動したところを見る限りではまだ仲間だと思ってくれているのだろう。……そう、思いたい。
「――クシュッ!」
クシャミで、現状を思い出す。
「これ、いい加減脱いどくべきだよな。」
立ち上がり、すっかり冷たくなった服を脱ぎ始めた。
ボタンを外しながら、考える。
このまま体調を崩して風邪の一つでも引けば、エイトはどうするだろう?
看病してくれるだろうか。
あの女神の視線を、意識を、再び向けてもらえるならばそれでも良い――と、そんな下らないことを考えるほど、とにかく陰鬱な気持ちになっていた。